例会報告
第87回「ノホホンの会」報告

 
2019年3月22日(金)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

 今回は、山勘さんが花粉症症状悪化その他で急遽欠席となりましたが、皆さん時間前に集合で、相変わらずの熱意を感じます。はからずも「孤独」論争になりました。人間は本当に1人で生きてゆけるのか。孤独になってからの女性と男性では、その後の寿命が違うのではないか…。山勘さんの書感、エッセイは、4月例会で発表をお願いします。

 なお、仮想通貨について狸吉さんからインターネットへの紹介がありました。詳細はそちらにアクセスしてご覧ください。
https://kasobu.com/wherebuy-bitcoin/#i
https://crypto.watch.impress.co.jp/docs/excerpted/9784295003755/1126683.html


(今月の書感)

 「脳が老いない 世界一シンプルな方法」(致智望)/「極上の孤独」(恵比寿っさん)/「なぜ日本だけが成長できないのか」(本屋学問)/「日本と韓国・朝鮮の歴史」(山勘)


(今月のネットエッセイ)

 「『タタラ』について」(ジョンレノ・ホツマ)/「仮想通貨」(狸吉)/「キュレーションアプリ開発依頼」(恵比寿っさん)「100年前の朝鮮独立運動の教訓」(山勘)/「情けない安倍総理の自衛隊擁護論」(山勘)


 (事務局)

 書 感
脳が老いない─世界一シンプルな方法/久賀谷 亮(ダイヤモンド社 本体1600円)

 著者の久賀谷 亮は、イェール大学医学部精神神経科卒業、アメリカ神経精神医学会会員で、臨床医としてアメリカ屈指の精神医療の現場で実績を積み現在UCLA常勤医を務める。

 脳の老化を決める長寿遺伝子「テロメア」が、最近のエイジング研究で解明されつつあり、脳の老化はこのテロメアの長さが短くなると言う、そのテロメアの長さに関わるのが「テロメラーゼ」と言う酵素で、適切な運動や健康的な食事、充分な睡眠などの巷で言われる「アンチエイジング法」がこの酵素に有効に働くと言う。このテロメラーゼ分泌によってテロメアの伸張を促し脳の老化を止める働きをし、そして、テロメアの長さが寿命の長さと関係していて、テロメアは寿命のバロメーターとも言われている。

 本書は、この臨床例を元に「脳の若さ」を保つ、「世界一シンプルな方法」を最近話題となる「マインドフルネス」であると説いているが、これは日本古来の瞑想に至るので、特に新しい手法では無いが、学問的裏付けがなされたと言うのが読書後の私の結論である。

 本書の前部分では、日常生活の中で出来ることをハウツー的に説明している。後半では、老いの仕組み、老いを恐れる精神的問題の克服、そして脳の劣化の過程である「認知」をめぐるエイジング・サイエンスなどが、物語風に説かれている。

前半部のハウツー的療法として、3つが述べられている。
1. 毎日出来るマインドフルネス呼吸法、
2. 運動中に出来るマインドフル・インターバル
3. 食事中に出来るマインドフル食事術

 例えば、マインドフルネスは、宗教色を抜いた瞑想を効率的にフォーカスし、脳と心を休める技術で、誰でも何処でも簡単に実践できるシンプルなメソッドとして、その方法などが記されている。

 後半に述べられる例として、脳の老化に向かう精神的問題の克服が物語風に述べられている。その一つとして、「死」から目をそらし、過去や未来に圧迫され続ける生き方が問われ、過去を後悔したり、明日を憂いたりするのではなく、「いまここ」に意識を向けよと、「いまこの瞬間に自分が生きている」と言う事実に新鮮な目を向けよ、死は直線的な時間の先にある漠然とした点ではない。「いまここ」の裏側に絶えず可能性としてあるもので、エタイの知れない恐れを抱いてはいけない。飢えと孤独が有れば、人はこのパニックに陥らないと言う事実を知れと説いている。

 哲学のような、宗教のような一見厄介なテーマであるが、物語風に著者が説いて行く。その物語は、施設に入居する祖母を看取る寸前の若い娘と精神科医の教授(筆者自身であろう)との対話が、祖母に起こる日常現象を都度毎に対峙しつつ語られて行く。

 結論的には、精神修行などと言う難しい次元で無く、日常の起こりうる事象から有るべき姿を説いている書であり、宗教的修行や精神修行のようなものではない。

 テーマの割に読みやすい書でもあり、人生を達観した人や、理解し尽くした人には少女嗜好と思うかも知れないが、私にはある意味でバイブル的存在になりそうだ。

(致知望 2019年3月5日)

極上の孤独/下重暁子(幻冬舎新書  本体780円 2018年3月)
早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。
女性トップアナウンサーとして活躍後、フリーとなる。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。
ジャンルはエッセイ、評論、ノンフィクション、小説と多岐にわたる。
公益財団法人JKA(旧・日本自転車振興会)会長などを歴任。
現在、日本ペンクラブ副会長、日本旅行作家協会会長。
『家族という病』『家族という病2』(ともに幻冬舎新書)など著書多数。

はじめに
第一章 なぜ私は孤独を好むのか
第二章 極上の孤独を味わう
第三章 中年からの孤独をどう過ごすか
第四章 孤独と品性は切り離せない
第五章 孤独の中で自分を知る

 私は長生きするために今を生きている。誰よりも長生きをしたいという強い意志と希望をもって毎日を送っている。それが実現できるかどうかは、私の心がけ次第であり、神様のみ知るところだとは承知していますが…(笑)。
 しかし、それが実現した暁というか、その過程において、家族や友人が周りからいなくなった時の不安も併せて持っています。そんな時にこの本が目に留まったので、飛びついた。

 孤独をどう受け止めるかは人によって様々だが、日本人は「寂しい」「嫌だ」「避けたい」が多い気がするが、逆にある種の人たちは「孤高」「自由」「群れない」などを連想して孤独に魅かれ憧れすら抱く。著者は後者の一人だという。小学2年時の結核で2年間自宅療養したので、否応なく孤独になったが、幼くしてその楽しさを知ってしまったと。

 一人の時間を孤独だと捉えず、自分と対面する時間と思えば、汲めども尽きぬ、本当の自分を知ることになるし、生き方が見えてくる。孤独ほど、贅沢な愉快はない。誰にも邪魔されない自由もある。群れず、媚びず、自分の姿勢を貫くと内側から品もにじみ出てくる。そんな成熟した人間だけが到達できる境地が「孤独」なのである。
 なので、家族が死んで一人になることを恐れる必要はない。

 逆に集団の中で本当の自分でいることは難しい。他人に合わせるくらいなら孤独を選ぶ。家族がいるから寂しくない、は本当か。孤独を知らない人に品性はない、とも。孤独でないと感が鈍るし、孤独だからこそやり遂げられる。

 私は一人になった時の切羽詰まった時の心得の参考になると思って手に取ったわけではない。私自身、昔から何故か群れは嫌い(かといって友人がいないわけではない)で、孤独を味わうのが好きだったからだし、重慶や上海の一人暮らしで孤独で寂しい思いもしてきたが、タイトルの「極上の」とはどういう孤独なのか知りたかったし、冒頭に上げた理由により一気に読了した。

 私自身も一人で妄想?する時間は楽しい時間である。

 高齢化社会といっても必ず人は死ぬ。どっちが先に行ってしまうかは時の運だが、一人残されても、今のままで生きられるような気がしてきた。

(恵比寿っさん 2019年3月14日)

なぜ日本だけが成長できないのか/森永卓郎(角川新書 2018年12月 本体840円)
 本書の内容は、帯の惹句を紹介しただけでもある程度は伝えられるかもしれない。“日本のGDPは、この20年で世界シェア17.5%から6.5%に落ちてしまった。その原因は「人口減」や「高齢化」ではない。新自由主義者たちが3つの神話で我々を騙した。「米国の軍事力の傘の下にいなければ日本は守れない」「金融緩和はハイパーインフレを引き起こす」「日本の財政は危機的状況にある。消費税を引き上げるしか方法はない」。グローバル資本とその片棒をかつぐ構造改革派が日本を転落させた。そして利権を独占しているのだ。財務省支配に終止符を打て”

 著者は、経済アナリストというよりテレビタレントとしてのほうが有名かもしれないが、東京大学経済学部を卒業後、日本専売公社や経済企画庁(現・内閣府)、UFJ総合研究所に勤務して計量経済や労働経済に詳しく、現在は獨協大学経済学部教授で、複雑な経済のしくみをわかりやすく解説することで知られている。

 戦後、日本が奇跡的な経済復興を遂げた最大の要因は“日本型金融システム”だと著者はいう。つまり、銀行が不動産を担保に融資し、地価が上がれば担保余力が生まれ、さらに借入れによって新たな設備投資をして企業は成長する。一般的に世界の銀行は、返済不能な場合を想定して高利で融資し、回収できないとそれに備えた積立資金で穴埋めするが、日本は低金利で融資し、損失は担保不動産でカバーする方法を取った。

 本書が紹介する「現代日本経済システムの源流」(1993年)によれば、日本型雇用慣行や長期・系列取引、行政指導などの“日本型経済システム”は日本の伝統や文化に根差したものでなく、1937年の日中戦争から1945年の終戦までのわずか8年間に戦時経済体制として生まれたもので、しかも旧ソ連の計画経済が手本であり、最大の特徴が「メインバンク制度」だった。これにより日本の産業は安定した経営システムを構築したが、不動産価格が大幅下落すると機能しなくなるというアキレス腱があった。そこに付け入ったのが、アメリカを始めとする海外ファンドだ。

 著者は1984年から1986年まで経済企画庁にいたが、当時の日銀総裁の「前川レポート」の内容は、日本を超円高に追い込んだプラザ合意を受けて円高不況対策として大規模公共事業を実施、さらに海外資本による投資機運をつくって日本企業売却環境を整備するものという認識を著者は持っていた。つまり、アメリカはこの時点で日本経済乗っ取りを考えていたのではないかというのだ。

 自由民主党の保守本流は、伝統的に平和主義、平等主義が基本理念であり、保守傍流は市場原理主義、主戦論で、小泉政権以降自民党は保守傍流に支配され、アメリカ全面服従を基本政策とするようになったというのである。日本のGDPシェアが本格的に転落し始めたのは2001年、小泉内閣発足の年からで、著者によれば「構造改革」が日本経済沈没の最大の原因という。
バブル崩壊で発生した不良債権の大部分は単なる担保割れだったが、わざわざ逆バブルになるよう総量規制に踏み切った当時の大蔵省と、強烈な量的金融引締めを続けた日本銀行は、日本経済叩き売りの主犯といってよいと著者はいう。もちろん、その背後にはアメリカがいた。

 不良債権処理で日本の大切な資本が二束三文で外資に買われ、儲けは当然海外に流れる。一見日本企業に見えても一定株式を外資に握られ、その株式分布状況は1990年度が5%未満だったものが、2017年度には30%を超えている。さらに、日本企業の海外生産比率も1985年の3%から2016年には24%と、約1/4が海外で生産されているのが現状である。国内ゴルフ場の場合、2004年時点でアメリカの投資ファンド「ゴールドマン・サックス」と「ローンスター」2社で全国180か所を保有していたという。

 同じ2004年、西武鉄道は有価証券報告書の虚偽記載で上場廃止になった。小泉内閣で竹中平蔵金融担当大臣、五味廣文金融庁長官らが経済政策を取り仕切った時期である。西武鉄道は融資停止になったが、2013年にアメリカの投資ファンド「サーベラス」が提案した、もし西武乗っ取りに成功したときの新取締役候補の1人が五味氏だったという興味深い話がある。創業者堤家を追放した後、資金協力したアメリカのファンドに経営権を売り渡す筋書きがあったようだ。

 その後、乗っ取りに失敗したサーベラスは、2017年までに保有する全西武株式を手放し、約11年で1,400億円、さらに「あおぞら銀行」投資でも1,000億円の投資で3,000億円以上回収したそうだ。日本の生命保険会社も、7社のうち5社が外資の手に渡った。最近の「働き方改革」法案にしても、アメリカ企業が日本進出したときにビジネスしやすいようにすることだと著者は見ている。
一方で、日本中が不良債権だらけになったが、そうなっても日本経済が助かる道はあった。最近の地価がバブル期以上に値上がりしていることを考えれば、逆バブルも放置すれば必ず弾ける。つまり、余計なことをせず静観していれば、その泡もいつかは消えたはずだ。だから、不良債権処理が日本を駄目にしたと分析している。

 著者はまた、安倍政権の政策の大部分は反対だが、財政・金融政策は間違っていないという。旧民主党の野田政権は消費税引上げ凍結を訴えながら、結局は財務省に洗脳されてしまった。しかし、安倍は人事面で官邸スタッフを経済産業省出身で固め、消費税を上げない方向では財務省にとって史上初めての天敵だと評価する。だから、森友学園問題は財務省による安倍降ろしではないかと。

 それでは、今後の日本はどうすればよいのか。現在最も重要なことは、2016年末で350兆円の対外純資産と960兆円の国内資産を持つ日本の経済力を正しく認識し、平和主義と平等主義を掲げてアメリカ従属からの脱却を考えるまともな政党の出現である。そして、社会保障拡充、その財源としての金融緩和を目指す。また、財務省の強大な権力を削ぐために国税庁を完全分離し、消費税を引き下げる。そうすれば国民の実質所得が増え、消費は拡大してデフレを脱却できる。

 さらに、著者は「ベーシックインカム」の導入を提案する。財源は税金であるが、無条件で一定額を国民に支給するシステムで、すでにフィンランドやインドでは社会実験が始まっている。たとえば、1人あたり7万円で100兆円必要になるが、失業給付や基礎年金など廃止できるものがある。新しく64兆円の財源が必要だが、相続税や所得税引上げ、超富裕投資資産への課税などで財政的余裕が生まれれば、逆に消費税引下げも可能になるというのである。

 現実的には解決が難しい問題ばかりだが、何となくわかったような気になり、少しは夢を持てる未来を描けそうな経済論である。もう20年も低迷している日本経済なので、一度試みてみてもこれ以上悪くはならないのではないか。

(本屋学問 2019年3月18日)

日本と韓国・朝鮮の歴史/中塚 明(高文研 本体1,300円)

 著者は奈良女子大学名誉教授。本書のオビにこうある。「無自覚のうちにも偏見と誤解に虫食われた歴史観を克服し、事実にもとづく歴史認識を“国民的常識”とするために、日朝関係史の第一人者が古代から現代までエッセンシャルな事実を選んで、平易解明に説いた入門書!」

 内容は3部からなり、第1部 いま、なぜ「日本と韓国・朝鮮」なのか。第2部 日本と韓国・朝鮮の関係。第3部 未来のために歴史を語り合おう―となっている。

 第1部では、日本では明治時代を「国際的地位が向上した時代」であり、日清・日露戦争までの「明治は栄光の時代」だったが、満州事変(1931-昭和6)以降は政治家も軍人もダメになり、太平洋戦争で敗北を喫することになる、「昭和は汚辱の時代、恥ずかしい時代だった」とされる。司馬遼太郎もそう言ったと本書は言う。しかしその日本の栄光と挫折の裏に韓国の犠牲と屈辱があるとするのが本書の基本的な歴史観である。

 第2部では、秀吉の朝鮮侵略にも古代から途切れることのなかった朝鮮蔑視観があるとする。時代が下って江戸末期から明治初年にかけて強まった「征韓論」にも影響を与えた吉田松陰は、昔、三韓を征した神功皇后、蒙古を殲(ころ)した北条時宗、秀吉の朝鮮征伐は、「豪傑というべし」と褒め、朝鮮を攻め、満州を割き、南は台湾・呂宗(ルソン)を収めよと説いたと言う。

 そして朝鮮侵攻の発火点となったのが「江華島事件」(明治8)である。漢城に近い江華島沖で朝鮮の砲台と日本の艦船が砲火を交えた事変である。朝鮮側の発砲が先だというのが通説だが、本書はいずれとも書いていない。結果は朝鮮が謝罪するかたちで修好条規を結んで開国した。

 日清・日露戦争を経て1910年(明43)の結ばれた「韓国併合に関する条約」における「併合」は日本が作った新語で、あたかも対等の国の合併のようだが、現実は韓国の「廃滅」だったとして、当時の外務省高官は後に「韓国を廃滅して帝国領土の一部となす」目的だったと言ったという。

 そしてそれまで日本に抵抗してきた朝鮮の皇帝高宗が1907年に強制退位させられ、1919年に急逝したことをきっかけに朝鮮民族の「三・一独立運動」が始まった。その1919年3月1日から今年で100年、韓国では独立記念式典が盛大に行われた。しかし真の韓国独立は太平洋戦争における日本の敗北を待たなければならなかった。さらにその後の朝鮮は南北に分断されて今日に至る。
 第三部は、昨年(2001年。本誌第1刷2002年、2018年11刷刊行)の日本の歴史教科書について、韓国は35カ所の修正を求めたが、日本政府は「事実の誤り以外は修正しない」と答えた。これについて本書は、「あった事実をかくしたり勝手な解釈でゆがめたりするのは、教科書にウソを書く、事実の誤りと同じことです」と」言う。さらにいろいろな事例と論拠を示して、「日本では、なぜふるい朝鮮観を引きずっているのか」と言う。

 本書の最後は「未来のために歴史を語り合おう―事実に目をそむけない勇気を」と結ばれる。本書は徹底した韓国スタンスの歴史観だけに、全面的に肯定するわけにはいかないが、碩学の論証だけに相当な説得力があり、一読に値する。

(山勘 2019年3月19日)

 エッセイ 
仮想通貨
 最近世間を騒がせている仮想通貨なるものを勉強しようと、とある講演会に行ってきた。複数の講師が様々な角度から解説するが、話が早くてよく理解できない。もっとも完全に理解するには高度な数学的知識が要るそうで、年寄りが聞いても分からないのは無理もないか。
 
 分からないながらも、講演のポイントをいくつか拾ってみた。
1) 現在の紙幣も、物々交換から硬貨の時代を経て扱いやすい形態に発展してきた。仮想通貨は汚損や焼失の恐れもなく、紙幣より安全で便利な通貨である。
2) 現在の紙幣の信用は、各国の中央銀行が個別に支えている。基軸通貨国(かつてはイギリス、現在はアメリカ)は勝手に紙幣を増刷して、他国からモノを買うことができる。ただし、その価値が下がると結果的に他国にインフレを輸出することになる。
3) 仮想通貨は国際的な協調の下に価値の総枠を決めるので、基軸通貨国が勝手に紙幣を増刷することはできない。いずれすべての取引が仮想通貨でなされ、現金を扱わない社会が実現しよう。そのときには現在の銀行は消滅する。

 講演後「その時期は何時か?」との質問に、講師は「恐らく2030年代か40年代。現在開発が進行中の汎用型量子コンピュータが完成した後」と答えていた。いずれにせよブロックチェーンなどの技術を知らない経理担当者は早晩戦力外となろう。
 
 講師の論点はいずれも説得力がある。たしかに日常の買い物も物々交換から貨幣の支払いに変り、さらにカード・スマホやインターネットによるキャッスレス決済に進化してきた。すでに海外では普及しつつあるが、遂に日本でも現金支払いお断りの店が現れた。こうなると仮想通貨への進化は必然かも知れぬ。すでにビットコインで買い物できる通販サイトがNET上に存在する。
 
 このところビットコイン事件や、知らぬ間の巨額引出し事件が報じられている。講師は「ビットコインは一業者が起こしたトラブルであり、仮想通貨の仕組み自体に問題は無い。またパスワードをしっかり管理していれば、通貨を盗まれる心配は無い」と言うが、何となく不安が残る。自分が決めたパスワード以外に金庫を開けないのはたしかに安全だが、パスワードを忘れると、他に開く方法は無いそうだ。つまり忘れた瞬間に自分の金が闇に消えてしまう!
 
 認知症気味の高齢者など生きていられぬ恐ろしい社会が到来しそうだ。

(狸吉 2019年3月11日)
「タタラ」について

 ホツマツタヱ15綾6ページに、「デルアラカネヲ タゝラナシ フイゴニネレヨ 」という記述があります。

アラカネ: 租金 金属を含む土砂、製錬前の鉱石、砂鉄

タタラ 初期
 野だたら、露天たたら と呼ばれ、地面を掘った穴に炭と鉄鉱石をくべた。
 スズと呼ばれる鈴石、褐鉄鉱の団塊、高師小僧とも呼ばれ水辺の葦の根に付着した水酸化鉄(融点135℃)など⇒神社の鈴のいわれ タタラの初期は、取りつくしてしまったら、次の鈴石が葦の根に付着するのを待つのに非常に長い年月を待たなければならなかった。ミカラヌシ(銅鐸)を葦の生えている湿原にから天(神の居られる山頂)に向けて祀っていたと考えられます。

タタラ 後期
 ソサノオの年代以降本格的なタタラ操業
 砂鉄が多く含まれる山を切り崩し、川に落とし、砂鉄をふるい分けて、不要の土砂を下流へ流し落とした。鉄穴流し後期 ソサノオ以降本格的なタタラ操業になり、以前のようにスズが取れるようになるまで待つ必要が無くなり、銅鐸の存在が不要になった。
 39体のミカラヌシが祀られなくなった記述からも頷けます。荒神谷から銅鐸が39体まとまって発見されたことを裏付ける内容です。
















図は和鋼博物館資料より

ホツマツタヱの9綾4頁より
「ヒカワノカミノ ヤエダニハ ツネニムラクモ タチノボリ」とあり、
 ヤクモタチ ⇒ 八雲立ち の語源と思われる。

「斐伊川の神の 八重谷には 常に叢雲 立ち昇り」の記述は、タタラ操業していることを示している。

「おろち」という言葉の意味について
①山から切り崩した土砂(鉄分を含み赤茶色)が怒涛のように流れ落ち大蛇のように見える。
②タタラ操業の神を祀るときに「生け贄」を奉げたことが考えられる。
ハハヤカガチノ ヒトミケト ツツガセラレル ナナムスメ(9綾)
 「アシナヅチ」の8人の姫が殺され、ただ一人残った「イナダ姫」も狙われていたのを「ソサノウ」が助ける経緯があります。
現在でも、製鉄には石灰(Ca)が使用されており、鉄を熔解する温度を下げる効果に必要なものであったことが考えられる。

タタラ関連の言葉、語源など
ダイダラボッチ
一つ目小僧
片葉の葦(一本足・ふいご)
代わり番子
炭焼き長者 (砂鉄7里に炭3里)


金属の融点(参考まで)

金属  融点℃
 錫    232
 鉛    27.5
 金    1064
 銀     962
 銅    1085
 鉄    1536
水酸化鉄 135
はんだ(錫+鉛) 183
青銅(銅+錫) 875


金属の温度による色の変化(参考まで)

温度℃   
 500    薄赤
 650   暗桜色
 770    桜色
 870  明るい赤色
1000  オレンジ色
1070   レモン色
1200 白みがかった黄色
1270    白色

(ジョンレノ・ホツマ 2019年3月9日)

 キュレーションアプリ開発依頼

 キュレーションアプリとは必要な情報(サイト)を集めてくれるアプリのこと。
 情報が氾濫している世の中ですが…。
 それらに振り回されないで、自分の必要な情報だけを収集できるアプリがあったらな、と思いGOOGLE先生にお願いしました。
 即ち、RSSのfeed設定をしなくてもキーワード(検索と同じ要領)を設定しておき、必要な時にそのアプリを開くと欲しい情報が提示される、というアプリをリクエストしました。既存のキュレーションサイトは繊細な条件設定が出来ないので、不要な情報を拾ってきたり、ピンポイントな情報を収集してくれるまでは至らないで、これがあったら情報市民生活はとても楽になります。GOOGLEのアプリは奇想天外にして便利なものが多いですが、私のリクエストが実現したら、人と情報との親和性が必要にして十分なものに進化します(笑)。
 GOOGLE先生よろしくお願いいたします<m(__)m>。

 あ、このサイト(下図)に行きリクエストは翻訳版(日本語)でお願いしました。このようなアプリを無料で使うには、個人情報の登録が必要で、それを嫌う方も多いですが、私は厭いません。提供する側はビッグデータを収集できるし、我々個人は消費者余剰を受け取ることが出来るからです。

 実はもう一つお願いしてあります。
 それは「名刺管理ソフト(アプリ)」です。今のそれらは名刺をスマホのカメラで撮れば即座に読み取り登録できますが、すべてクラウドを使っているし、個人情報が漏れる危惧をしています。

facebookでも漏洩しましたね。GOOGLEはそういうこと未だ起こってないので、一番信頼できるように思い、GOOGLE先生に開発のリクエストをした次第です。


GOOGLEが公開しているリクエストの受付画面

(恵比寿っさん 2019年3月14日)
100年前の朝鮮独立運動の教訓

 日本統治下の朝鮮で独立運動が起きた1919年3月1日の「3・1独立運動」から今年で100年を迎える。その節目に、植民地支配からの解放を求め、「良心はわれらとともにある」と訴えた一枚の「独立宣言書」が長崎県の個人宅から見つかった(朝日2・26)。これは韓国にも8枚ほどしか現存しない貴重な資料だという。

 当時、保持していれば憲兵につかまるという危険きわまりないこの資料を秘匿していたのは、現在、長崎在住の佐藤さんの祖父。その祖父は100前の平壌で陶器商を営んでいた。朝鮮語を話し、朝鮮語で読み書きもでき、朝鮮の人々を差別することのなかった人だという。いざこざの堪えない現下の日韓関係を思えば、日本統治下の朝鮮に、こんな日本人がいたことが誇らしい。この話は、いまの韓国の人たちにもぜひ知ってほしいものだ。

 さて文在寅大統領の韓国が、この3月1日の「三・一独立運動」100周年記念式典をどう迎えるか注目されていたが、このところの険悪な日韓関係に多少の軌道修正を加えた感じの演説を祈念式典で行ったと報じられた。

 すなわち文大統領は、記念式典の演説で、現在の日本を直接批判せず協力強化の方針を明言した。悪化が続く日韓関係を考慮し、対日刺激を避けたとみられる(産経3/1)。そして文氏は、昨年の記念式典では、日韓が2015年に解決で合意した慰安婦問題について「解決していない」との立場を強調し、日本側の対応を批判。竹島(島根県隠岐の島町)の「韓国領有」も主張した。

 それに比べて、今年は慰安婦や徴用工の問題も、独島(日本の竹島)の名も口にせず、「被害者(元慰安婦や元徴用工)らの苦痛を癒やしたとき、韓日は真の友人になる」と日本に協力を暗に求め、「朝鮮半島の平和のために日本との協力を強化する」と宣言したというから拍子抜けだ?。ひょっとすると今度の、ベトナムにおける米国と北朝鮮の首脳会談の物別れとトランプ大統領の韓国批判が、米韓の関係を取り持ったのは自分だという強い自負心と自慢の鼻に少しばかり冷水を浴びせたのかもしれない。

 先ごろ、韓国国会議長の文喜相(ムン・ヒサン)とかいうご仁が、元慰安婦への呆れた天皇謝罪要求で日本人の神経を逆なでしておいて「韓日両国間で不必要な論争を望んでもおらず、起きてもいけない」と言った。そのお説をかりれば、不必要な論争を繰り返してはいけないが、そもそも「三・一独立運動」は、中国(当時の清国)からの独立を目指したものだ。史実によると、清(大清帝国と自称)の冊封(さくほう)体制からの脱却を目指した運動で、後に日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約で清に李氏朝鮮の独立を認めさせたことで、李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになった。ソウルの「独立門」は大清帝国からの独立を祝して建立されたものだという。

 勘違いや逆恨みをしないで、未来志向の日韓関係を築く努力をすべきだ。冗談に、約束は破るためにあるというが、それを地でいくように日本との合意や約束事を破り続けるのでは、けっしていいことではないが、近ごろの日本のように韓国を相手にしなくなったり無視したりするようになる。解決のカギは韓国側にある。

(山勘 2019年3月19日)

情けない安倍総理の自衛隊擁護論

 安倍首相は、政局の風向きが変わって下火になりそうな憲法改正機運にいら立ちをみせている。今国会では、地方自治体の6割強が自衛隊員募集活動に協力してくれないなどと、見当違いな恨み言を述べ、自衛隊員が可哀そうという同情論で9条改正の必要性を訴えている。自衛隊合憲論をいう憲法学者は2割ほどしかいないとボヤくのも情けない。

 従来から安倍首相は、憲法9条に自衛隊の存在を明記したいというかねてからの持論を説明するにあたっても、「憲法違反かもしれないが、何かあれば命を張ってくれ」とは言えないという同情論を繰り返している。「憲法違反かもしれない」点についてのまっとうな論議を避けている。それを論議して、9条の理非を国民に分かってもらったうえで審判してもらうのが9条改正の本道ではないか。

 とはいっても、憲法学者の法解釈を拝聴していては間に合わない緊迫した世界の、アジアの現実がある。乱暴に、9条解釈の経緯を括れば、戦後の吉田茂首相が、まず「正当防衛権」を否定するところから始まりながら、早々に、「武力によらざる自衛権」の容認に急変し、さらに「自衛権の発動としての戦争」の承認に進み、ついには「自衛手段の戦力」の容認に進むまでさほどの時間はかからなかった。その吉田茂の最終的な“変節解釈”が今日まで続いているのである。

 要するに吉田茂の変節解釈にみるように、そもそも自衛隊の位置づけは憲法違反解釈から出発したのである。しかし現実に自衛隊は存立している。国民の大半は自衛隊の存在を認知している。それならば具合の悪い9条の条文をまともな形に改正すべきではないか。言ってしまえば身も蓋もないが、“安倍改憲論”より“石破改憲論”のほうがまっとうだということになるのではないか。

 具体的に9条を考えると、1項にいう「戦争の放棄」は、「国際紛争を解決する手段としては」戦争しないということである。「戦争」には、向こうから仕掛けてくる戦争と、こちらから仕掛ける戦争がある。国際間のもめごとを解決する手段として、面倒だからやっちまえとこちらから仕掛ける戦争という手段は用いないというのが「戦争の放棄」である。

 当然、向こうから仕掛けられた戦争は受けて立たざるを得ない。受けて立つためには武力が必要だ。具体的には自衛隊が必要だ。要するに、自衛権や集団安全保障が必要だ。だから9条2項にいう、「戦力の不保持」は、戦争を仕掛けるための戦力でなくて、しかけられた戦争を防ぐための「自衛権や集団安全保障」のための戦力だと言うことになる。

 そのことを分かりやすくするために、憲法9条をこう変えたいのだがどうだと、条文案を示して国民の審判を仰ぐべきだ。その方が安倍首相の期待するまっとうな自衛隊擁護論の実現にたどりつく道ではないか。

(山勘2019年3月19日