例会報告
第86回「ノホホンの会」報告
 

2019年2月20日(水)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議
参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

 一時の寒さがようやく緩んできた気配があります。まさに“梅一輪一輪ほどの暖かさ”。いつものように、皆さん元気に参加です。エッセイに取り上げられるほど安倍政権下での経済状況が話題になり、さらにイギリスのEU離脱問題、トランプの経済外交と、世界はまさに混沌状態です。毎回の熱い議論が、本会の真骨頂かもしれませ
ん。

 なお、本会の創始者であり、ここしばらくはご無沙汰だったI・K氏の訃報が披露されました。ご冥福を祈るとともに、その遺志を継いで、本会も長く続いてほしいものです。


(今月の書感)

「読む力 現代の羅針盤となる150冊」(山勘)/「日航123便墜落の新事実─目撃証言から真相に迫る」(本屋学問)/「僕たちは、宇宙のことぜんぜんわからない」(恵比寿っさん)/「森の教え、海の教え─辺境の旅から」(ジョンレノ・ホツマ)/「エッフェル塔物語」(狸吉)


(今月のネットエッセイ)

「19年―新年講演会より」(致智望)/「2月6日付日経新聞朝刊記事から」(致智望)/「偉い人の言うことは聞け」(山勘)

  (事務局)

 書 感
読む力 現代の羅針盤となる150冊/松岡正剛 佐藤 優(中公新書ラクレ 本体820円)

 松岡氏は著書「知の編集工学」などを持つ編集工学研究所所長。佐藤氏は「読書の技法」などを持つ作家・評論家・元外務省主任分析官。後期高齢者向きではないと予感しながら、「読む力」という漠とした書名に引かれて本書を手に取った。

 本書は、版元の「中央公論」創刊130年にちなんで、その間の思想の流れを俯瞰しようというもの。オビに、「混迷の時代を読み解く この130年の、この150冊!」とある。オビ裏には、「読むとは、従属じゃない。守って破って離れることだ!」とあり、〈本文より〉として2人の会話を一部紹介している。
松岡 本はコストパフォーマンスもいいし、折ったり、赤線を引いたりしながら読めます。ダブルページ(見開き)単位で内容を追っていけるのもいい。スクロールでは、かなり段落を短くしないと読みにくい。
佐藤 僕も「本は汚く読め」と言っています。
松岡 賛成。僕も「本はノートにしろ」と言っている。
佐藤 どうしても綺麗に読みたければ、2冊買えと。1冊は書き込んで、1冊は保存用にすればいいのだから。─これだけで知の大海を漕ぎ渡る二人の構えが分かる。

 第1章では、子どもの頃に家庭で、学校で、読んだ本や開眼させてくれた先生の思い出などが語られ、子どもの頃の読書体験の大切さが語られる。

 第2章では、最近の論壇・論文は社会の一断面をテーマにしたものが多く、近視眼的だ。ハッキング対象にもならず、異質を取り込む耐性がないと言い、だから論壇からはエロスも官能も感じられず魅力が亡くなったと言う。
第3章では、「読書の見取り図」として日本の論壇には2つの系統があったと言い、1つは江戸時代までの儒教や国学や仏教を体系知としてまとめた明治の徳富蘇峰らの系譜、もう一つは、欧米に追い付け追い越せという開明欧化思想の福沢諭吉らの系譜を上げる。

 そして北一輝、大川周明のファシズム、丸山眞男らのナショナリズム、さらに社会主義、共産主義、農本主義とアナーキズムなどが論じられ、「日本を見渡す48冊」が紹介される。
第4章では、民族と国家と資本主義の関係性が語られる。明治維新の時代以降の日本・欧米の国家の態様と知識人の仕事の系譜を語り、東西冷戦の終焉からグローバリゼーション、そしてネット社会の今日までを俯瞰し、「海外を見渡す52冊」が紹介される。
第5章では、ラッセル、養老孟司、広兼憲史を中心に、現代の知識人・論者の仕事を取り上げ、学問の普及には「通俗化」が必要だと語り合う。

 読後感を言えば、本を読む面白さには共感したが、冒頭に記した通り、「後期高齢者向きではないという予感」は当たりだった。お2人のように本を汚く読むのも好きではない。挙げられた150冊もほとんど読んでいない。お2人の読書量と該博な知識に圧倒されるばかりだ。これから知識人を目指す人や読書好きなサラリーマンなどに読んでもらいたいと思うが、劣等感や無力感に陥らないようご用心と言いたい。

(山勘 2019年2月14日)

僕たちは、宇宙のことぜんぜんわからない/ジョージ・チャム+ダニエル・ホワイトソン著・水谷淳訳(ダイヤモンド社 本体1,800円 2018年11月7日)

 チャムは漫画家で累計5000万以上の閲覧がある。年間読者700万人。
ホワイトソンは現在カリフォルニア大学アーヴァイン校の実験素粒子物理学教授。かつてはフェルミ研究所で陽子=反陽子コライダー実験を行い、現在はCERN(欧州原子核研究機構)で研究。

はじめに
第1章 宇宙は何でできているの?
第2章 ダークマターって何?
第3章 ダークエネルギーって何?
第4章 物質のいちばん基本的な部品は何?
第5章 質量の謎
第6章 どうして重力はほかの力とこんなに違うの?
第7章 空間って何?
第8章 時間って何?
第9章 次元はいくつあるの?
第10章 光より速く進むことはできる?
第11章 地球に超高速素粒子を打ち込んでくるのは誰?
第12章 どうして僕らは反物質じゃなくて物質でできているの?
第13章 ビッグバンのとき何が起こったの?
第14章 宇宙はどのくらい大きいの?
第15章 万物理論はあるの?
第16章 宇宙で僕らはひとりぼっちなの?
「まとめ」みたいなもの

 宇宙の95%が何でできているかわかってないので、宇宙の疑問について知りたくてこの本を読んだ人は間違い、と書いてある(あとがき)。分からないこと(疑問)が書いてある本だ。検証が出来てないまでも検証の可能性のある範囲は宇宙全体の一部だ。尤も本格的な検証が始まって未だ≒100年。これからに期待しようという点ではわくわくする。

 私の先輩(友人)の御子息はT大教授。ノーベル賞を狙っている。この本を読むと可能性があるということが理解できる。テーマが絞り込めれば、日本人は結果を出すのに飽きずに取り組むので。それだけテーマに事欠かないんだということがこの本から分かった。それだけでもこの本の価値はある。

 この本で初めて知ったが、質量には2種類あるそう。重力質量(物体が重力をうけてどれだけ動きたがるか)と慣性質量(物体が動かされるのにどれだけ抵抗するか)、これは素粒子物理学の世界では別のものとして扱うが、我々の生活範囲では(実験しても)同じものだ。どこかでつながっているのでは、というのも未解明。これも解明できればノーベル賞でしょうね。

 読み始めたら、馬鹿馬鹿しいくらい答えのないことばかり提示されている(最後まで)。タイトル通りだ。
しかし、これだけわからないことがあるということは、それだけノーベル物理学賞のネタが氾濫しているということであり、途中からは楽しくなってきた。

(恵比寿っさん 2019年2月15日)

日航123便墜落の新事実─目撃証言から真相に迫る/青山透子(河出書房新社 本体1,600円 2017年7月)

 1985年8月12日、524人を乗せて羽田から大阪に向かった日航ジャンボ機123便が、離陸後間もない相模湾上空で垂直尾翼とAPU(補助動力装置)を破壊して操縦機能を失い、静岡、山梨、東京、埼玉と迷走飛行を続けて、最後は群馬県上野村の御巣鷹山中に墜落、航空史上最悪の520人という犠牲者を出した事故は、34年を経た現在も決して忘れることはない。

 本書は、機長、副操縦士、機関士始め当時の先輩や同僚を含む乗員15人を失った日本航空の元スチュワーデスが、目撃証言というユニークな角度からこの墜落事故を丹念に調べ直した渾身のドキュメントで、機内の気圧変化状況や衝撃音を聞いた生存者の証言などから、当時の航空事故調査委員会が結論付けた圧力隔壁修理ミスによる後部胴体破壊という原因に大きな疑問を投げかけている点で、きわめて興味深い。

 翌日のヨーロッパフライトに備えて寮の食堂で夕食を取っていた著者は、テレビの緊急放送で事態の深刻さを知る。見ていた全員の箸が止まり、その直後に寮の全室に引かれていた336台の電話が身内を案じて一斉に鳴ったという冒頭の記述は、その場にいた者にしか書けない緊迫感が伝わってくる。

 2010年、著者は先輩たちのことや当時の報道や資料を詳読するうちに湧いた素朴な疑問をまとめて「天空の星たちへ─日航123便 あの日の記憶」を出版するが、その反響は大きく、墜落現場の上野村村長を始め事故処理にあたった消防団員、警察官、検視官、歯科医など多くの関係者のなかには、公式発表の事故原因に違和感を抱き、腑に落ちないことや多くの疑問を抱いていることを知る。もちろん、一方で根拠のない誹謗中傷や、脅迫まがいのものもあったと著者は書いている。

 当時の運輸大臣で事故処理に尽力した山下徳夫は、わざわざ著者に連絡をくれて率直な感想を述べたそうだが、彼は当日午後福岡から事故機で帰京したこと、123便の高浜雅己機長とは1972年にインド・ボンベイ空港で起こった日航機の滑走路誤認着陸事故で席が隣どうしだったという因縁を話した。 

 本書で紹介されている重要証言として、静岡、埼玉、群馬で123便と思われる大型ジェット機の後を2機の小型ジェット機(航空自衛隊の「F-4ファントム」戦闘機)が墜落直前まで追尾していた様子や、静岡では低く飛ぶ大型ジェット機の腹部が真っ赤だったことが目撃されている。

 さらに、墜落現場付近を偶然飛んでいたアメリカ軍輸送機が早い段階で墜落地点を特定し、それを受けて救助に向かったアメリカ軍ヘリコプターが日本政府の要請で直前に作戦を中止、その後関係者に緘口令が敷かれたこと、東京消防庁の救助ヘリも出動を拒否されたこと、各自治体や報道機関に翌日未明まで5時間近く正確な墜落場所が知らされなかったが、自衛隊の一部はすでに現場に到着して活動していたことなどがある。

 墜落現場も混乱をきわめ、重要な証拠品である圧力隔壁は、遺体収容の妨げになり搬出しにくいという理由から電動カッタで5分割された。現場保存という基本概念はまったくなかったようで、それを改めて組み直し、なぜ圧力隔壁修理ミスという結論に達したのか。それと、ジェット燃料(ケロシン)火災だけでは説明がつかないほど遺体の炭化が激しく、墜落現場一帯はまるで火炎放射器を使ったときのガソリンとタールが混ざったような、ケロシンにはない臭気があったそうだ。

 さらに、遺品のカメラにあったフィルムを現像すると、窓の外に富士山をバックに飛ぶ黒点が写っていて、詳細に分析するとオレンジ色に見える。同時刻に相模湾海域では、海上自衛隊の護衛艦「まつゆき」が公試運転でオレンジ色に塗られた短距離ミサイルの試験中だったこともわかっていて、訓練用あるいは試験用飛翔体が上空のジャンボ機に何らかの飛行障害を与えたのではないかという推理もあながち荒唐無稽でない。

 著者によれば、取材の過程で日本航空関係者も後部圧力隔壁が原因ではないと考えている節があり、ボーイング社は当初、墜落原因は圧力隔壁の修理ミスであることを否定していたが、その後日本側事故調査委員会の公式発表前に唐突にそれを認めるなど不可解なこともあった。政府関係者や日本航空首脳に至っては、問いただしても何かに怯え真実に触れたくない感じを持ったと著者は書いている。

 2015年8月、123便の飛行ルートの真下にあたる静岡県東伊豆町沖2.5km、水深160mの海底で、APUの一部と思われる部品が発見された。元調査官はそれを回収して再調査する必要性を訴えたが、運輸安全委員会は事故調査がすでに終了したという理由でそれを引き揚げないことを決めた。この消極的な態度はいったい何を物語るのか、事故調査に時効はないと本書はいう。

 著者は最後に「墜落発生時まで遡って新聞報道や関係資料を読み、現場を体験した人々の声を聞き、信憑性のある目撃情報を科学的に分析した答は、これは事故ではなく事件である可能性が高い」と書いている。つまり、この事故は未解決事件であり、本来ならマスコミが率先して真正面から追及すべき重要なテーマであるが、著者によればいざとなるとほとんどのマスコミ関係者が及び腰になったという。その意味で、精力的に目撃証言を取材し、専門外の知見は徹底して専門家にあたり、これだけの内容にまとめ上げた著者の力量は半端なものではない。まさに孤軍奮闘、本当に頭が下がる。心から敬意を表したい。

 1996年に起こったアメリカ・トランスワールド航空800便の墜落事故調査にあたった6人の委員が、2013年になって当時の事故報告は虚偽で、実は多数の目撃情報のようにアメリカ軍のミサイル誤射だったことを明らかにしたと本書は紹介しているが、示唆に富む真相である。日本でも偽りのない真実を解明できる日がいつかくるのだろうか。

(本屋学問 2019年2月15日

森の教え、海の教え─辺境の旅から/芦原伸(発行:天夢人 発売:山と渓谷社2018年1月)

 紀伊半島、和歌山県と三重県の県境に大台ケ原がある。切り立つ峻険な山々が多い紀伊半島では珍しく高原状の緩やかな稜線をもつ山塊である。ここはニホンオオカミの最後の地といわれるところだ。
 その大台ケ原を源にして、五十鈴川は伊勢神宮の禊の水となる。オオカミと神々の森が美しい清流、宮川で結ばれている。

 著者は、この大台ヶ原の宮川村(現・大台町)で戦後生まれ育ったとあり、都会に移り住んだが、辺境めざして旅をし、文明から遠ざかるほど、そこで異質な風物や体験があり、改めて文明社会を見直すきっかけともなった。辺境では現代社会の「快適」「清潔」「安全」のルールは保証されない。むしろ、「不便」「不潔」「危険」を覚悟しなければならない時もある。その代わり、そこには清澄な空気、大きな空、森の限りない静けさがある。 著者は世界の辺境の片隅で、地球本来の物言わぬ風景のなかにたたずむ時、母の胎内にいるかのような、何とも言えない安心感やぬくもりを覚える。

 清冽な水、幾星霜を生き抜いてきた森、流れゆく白雲、無言でたたずむ巨岩、そこに息づく野生動物の足跡は古代の神々の”おしるし”と思えるときがある。森羅万象に神々は宿っている。神々は今もメッセージを送り続けてくれている。

 土地々々に伝わる「教え」を学ぶと、見える風景も変わってくる。歴史や風土、民俗に触れることにより、旅人の視野は広がる。人々の暮らし方、生き方が理解できる。伝承や習慣は人々が昔からつないできたもので、伝統芸能はその結晶といえるものだ。

 文明から遠ざかるほど、そこには異質な風物や体験があり、改めて文明社会を見直すきっかけともなった。果たして丈明は人問を幸福にしたのか、と危惧される事象にも出合った。辺境の旅は私の心の鏡を磨かせてくれたのだった。

山の教えからは、
〇オオカミが教えてくれたこと、〇マタギが教えてくれたこと、〇森林鉄道が教えてくれたこと、〇仮面が教えてくれたこと、〇南方熊楠が教えてくれたこと、〇里人が教えてくれたこと、〇山伏が教えてくれたこと、〇鬼が教えてくれたこと
海の教えからは、
〇鯨が教えてくれたこと、〇渡り漁師が教えてくれたこと、〇アイヌが教えてくれたこと、〇天女が教えてくれたこと、〇ブラキストンが教えてくれたこと、〇島猫が教えてくれたこと、〇神女が教えてくれたこと、〇ワタリガラスが教えてくれたこと
日本各地の辺境の地に残る「教え」をまとめたものになっている。

 最初の章のオオカミが教えてくれたことでは、
 オオカミは食肉目イヌ科。体長1~1.41メートルで、古来日本全国の森林に生息し、シカ、イノシシなどの大型哺乳類を捕食していた。北海道にはより体の大きいエゾオオカミがいた。

 古来日本のオオカミは眷属(けんぞく・神の使い)として崇拝されてきた。しかし、江戸中期の享保年間にオオカミの間で狂犬病が流行し人にも感染したことから疎んじられた。更に明治以降、森林伐採や狩猟が活発となり、また洋犬輸入によるジステンパーが流行し、駆除に追い込まれた。

 明治政府はオオカミ駆除に報奨金を出し、毒殺用の薬物を開発して配給した。
 ニホンオオカミが絶滅したのは、日露戦争のさなかだった。近代化を進める国の政策のなかで、オオカミは消えた。森の霊力の結晶でもあり、神々の眷属だったオオカミを切り捨てた。 近代化が進むなかでオオカミは次第に邪悪な存在となっていったが、古代から明治までオオカミはむしろ愛され、崇められる存在であった。

 秩父にはヤマトタケルが東征の折、山犬(オオカミ)が一行を火難から救い、安全な場所へ導いたという逸話がある。オオカミを神あるいは眷属として敬う神社は三峯神社、御嶽神社などおおく、いずれも狛犬ではなくオオカミが社殿をまもっている。

 辺境の古代人は神の怒りを恐れた。洪水、火災、地震は神の怒りだった。それゆえ、神々から与えられた多様性社会を尊び、森林を守り、野生動物との共存を図った。同時に祖先の霊を敬った。祖先は天空の神と現在をつなぐ人柱だからだ。

 オオカミは畑を荒らす鹿やイノシシを更には野ネズミを捕食してくれるありがたい存在であり、古来、人間は動物に頼って生きてきた。自然に根ざした人間の霊感とつながっている。それが動物信仰を育んだ。
 深い森の中にいる超自然を信じることで、弱い人間ではどうしようもない、見えない力への尊敬、大自然の神秘を敬うという心だった。

 著者は、ホツマツタヱの存在はご存じないだろうが、ホツマツタヱの記述から読み取れる内容と相通じるものを感じ取りました。
 オオカミを漢字で書くと「狼」になるが、著者は全てカタカナで記しており、「大」きい「神」:オオカミと古代の人は神を敬っていたことが分かりました。

 更に、神社の社殿の狛犬は古来、オオカミであったことが分かり、著者は明言していませんが、なぜ犬にすり替わってしまったかの経緯も分かりました。

(ジョンレノ・ホツマ 2019年2月15日)

エッフェル塔物語/フレデリック・サイツ著 松本榮壽・小浜清子訳(2002年8月 玉川大学出版部 本体2,000円)

 
20世紀を迎える前年、1889年パリ万国博覧会開催に合わせて建設されたエッフェル塔は、1958年に東京タワーが完成するまで、70年近く世界一高いタワーとしてパリの観光名所となった。

 観光名所になるのだから、この建設はパリ市民に歓迎されたと思うと大違い。計画段階から「周辺の美観を汚す」と強い反対運動があった。本書は、エッフェル塔が様々の試練を乗り越え、今日の安定した地位を得るまでの物語である。

 先ずⅠ章「エッフェル塔の誕生」では、パリ万博の建築コンクールで選ばれたギュスタヴ・エッフェルが、資金の一部を負担して建設に邁進する様子が語られる。19世紀末には欧米各地で高層タワーの建設計画が進んでいたが、エッフェルが参考にできる先行例はまだ無かった。そのため、当初リベットで結合した部材を後に溶接に変えたり、水圧エレベーターを電気式に交換したり、数々の改造が行われた。

 エッフェルが直面した問題は技術面だけではなく、建設前からの反対運動であった。「無用で醜悪な塔」の建設に反対する人々は法的手段に訴えて、エッフェル塔の建設中止を求め、著名な知識人たちも反対運動に加わった。エッフェルはむろんこれに反論した。しかしながら、そんな論争をよそに、完成したエッフェル塔には開業直後から人々が押し寄せた。万博開幕時に塔のエレベーターはまだ操業していなかったが、待ちきれない群集は徒歩で階段を登った。万博期間中200万人近い人々が塔を訪れ、大成功を収めた。

 Ⅱ章「都市の景観とエッフェル塔」は、エッフェルの金融スキャンダルから始まる。1881年レセップスがパナマ運河建設に乗り出したが、1889年事業清算。このときのフランス政界への政治工作が問題化し、エッフェルは建設業者として事件に巻きこまれ起訴された。一旦は有罪となるが最高裁で無罪となる。しかし、この事件は長く心の痛手となった。

 エッフェルは60歳を過ぎていたが、この事件をきっかけに建設業界を去り、気象学、空気力学、無線電信の実験に専念し始めた。エッフェル塔の利用により、これらの分野は研究が大いに進み、1909年経度局の要請により時間信号を発信するようになった。その後、この信号は国際的な時間の基準となり、地球全体の時間が統一された。

 エッフェル塔がその高さの威力を存分に発揮したのは、第一次世界大戦である。あるときはドイツ軍の無線を傍受し、パリのタクシーを動員して予備軍を移送し、ドイツ軍の侵攻を阻止した。戦後、エッフェル塔はラジオ放送、テレビ放送に活用された。物語はⅢ章「記念塔の平穏な時代」、Ⅳ章「エッフェル塔の市営化」、V章「結論」と続くが、塔は何度も大規模な改修工事が行なわれ、1980年代の工事で今日の姿となった。

 本書を読み終え、エッフェル塔が誕生から幾多の困難を乗り越え、今日の姿になる歴史を初めて知った。中でも建設反対派との争いが、塔が完成してからも長く続いたとは驚きである。将来を見通す政府要人の強力な支援が無ければ、エッフェル塔は今日存在しなかったかもしれない。いつの時代でも、先駆者は苦難の道を歩む運命なのだ。19世紀末から20世紀に渡る塔の歴史をかくも詳細に綴った著者と、それを日本語で読めるようにした訳者に感謝する。各章の終わりに多数挿入された当時の写真や図版が、理解を大いに助けている。

(狸吉 2019年2月17日)

 エッセイ 
日経新聞社新年講演会

 先般、日経新聞社の記者による新年講演会が、或る団体の記念講演会にて行われ、参加の機会を得たので行ってきました。この講演会の内容が気になるので、感じ取ったものをエッセイとして紹介します。

公演内容は、記者のみが知ると言う機密内容ではありませんが、新聞記事上で書くには少し抵抗がある、オフの機会でないと話しにくいと前置きしての講演で、レジメ無し、録音、写真は遠慮願いたいとのことで始まりました。

 黒田さんの日銀総裁の任期が伸びた、今後の政策も従来通りリフレ政策が続くのか、経済記者にも全く分からないし予測も出来ない。この件は、今後の政策運営上で必要が有って任期延長と誰しも思うのが自然と言う。

 先進国の債務状況に付いて2018年のデータでは、日本の債務残高に対するGDP比は236%であった、先進国の中でもイタリア130%、アメリカ108%、ドイツ60%で日本の状況は、断然のトップで悪すぎると誰しも思うのは自然である。この悪い状況の中でも為替レートが円高で進むのはなぜか、それは日本人が円を買うからで、日本人が演出していると言う。それは何故か、トヨタを見ても理解できるように販売量は圧倒して国内よりも海外が多い、企業の資金需要はドルを売って円を買うと言う当たり前の行動から来るもの、それと庶民の蓄財行動からドルを売って円を買うのである。一時期のドルの蓄財が逆流して金を始めとする価値ある物、株式投資など、の購入がさかんと言う。この裕福層の行動傾向には、実態を知る機会は無いものの、この環境が変わるときが恐ろしい。

 米国の政治状況やEUに付いてであるが、米国のトランプも民主党と共和党の連合でトランプ弾劾と言う番外事件が無いとも限らない。また、イギリスのEU離脱もメイ氏の辞任によって離脱は無かったものとして落ち着く番外事件となるかも知れない。
 トランプは、韓国との同盟関係の費用削減を本気で考えている節があり、大統領令の書類にサインをする準備中の書類をデスク上に見つけた側近が、即捨てたと言う、誰が何したと言う証拠を残さずに済んだとか、色々オフレコの噂問題があったと言う。
 ボブ・ウッドワード著「恐怖の男~トランプ政権の真実」と言う書が紹介されたが、和訳本が有るのか、聴きそびれたので注視して行きたい。

 今の世界経済は、グローバル経済の推進を標榜している最中で、それに異を唱える行動が各所で起きている。グローバル経済にも欠陥がある、「良い悪い」の議論は別として、何時どこで如何に動くか、世界経済状況が大きく変わる節目であることを認識しておくこと。

 問題提起に終始した講演であった。

(致知望 2019年2月11日)

12月6日付日経新聞朝刊記事から

 企業が経営者に掛ける生命保険に付いて、中小企業の利益操作に利用されているので、禁止の施策が報道されていました。
 この件、安倍首相が言ったのであれば、言い訳出来ない二枚舌発言といわざるを得ないのです。企業会計法は、中小企業も大企業も同じルールで運用されていて、この弊害は免れない事実として存在します。企業の行う設備投資や商品の仕込み行動は、資金の前倒し出費でありキャッシュが先行して出で行く。しかも、この先行費用は、経営者のリスクを伴いつつも、企業活動の活性化には欠かせない重要な行動なのです。

 現用の経営者生命保険は、掛け金を経費扱いとし、必要な時に解約して現金化出来るもので、解約時に益金扱いとなります。中小企業の活性化対策としての施策であったはず、それをここにきて、中止すると言うのは何事か。中小企業活性化と言っていた安部さんである、その都度言うことが変わるのは何か、この事象をとらえて全く信用を失ったと言うのが私の思いであり、我々企業経営者はいよいよもって自己防衛にシュリンクせざるを得ないのであります。

 本件の問題は、商品の仕込み、在庫、設備投資等の費用は、先行投資としてキャッシュが当該企業から出て行く。この費用は、企業会計上で益金勘定として計上するのが原則であり、資金力の乏しい中小企業には大きな負担となるのです。

 決算期に、在庫費や設備資金のような後日でないと資金化出来ない費用について、キャッシュと同じ扱いで益金勘定され課税されるのは、大企業ならいざ知らず、資金力の乏しい中小企業の活力を削ぐ何物でもないのであります、過去から認識され継続されていたことであり、「何を今更」の感、極まりないのであります。

 中小企業の活性化と声を大にして語る安部さんは、二枚舌と言わざるを得ない所以であります。この施策は、小役人の考えたことかも知れないが、それにしても、安倍さん、麻生さん、お粗末な事と思いませんか。こんな人達を信用して、リフレ政策の正当性を認める、ロシアとの領土問題を任せる。だから我々国民の見識も疑われ、日本人のお人よしをアッピールすることになる、ここから何が得られるのでしょうか。庶民は、賢く生きるべく行動しています、2%の物価上昇も架空のものになるのです。

(致知望 2019年2月11日)

偉い人の言うことは聞け

 いよいよ今年から、中学校で道徳の時間が始まる。そのような折りに文科省の元トップ前川喜平氏の近著が出た。その著「はっきり言わせていただきます」(前川喜平×谷口真由美著 集英社刊)では、政治、教育、社会の「黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題」に、軽い会話でツッコミを入れている。

 同氏は、文科次官当時、加計学園問題に関する「総理のご意向文書」の存在を記者会見で認め、「出会い系バー」通いで名を挙げた? その同氏が、本章のあたまの方で、批判というものは、事実や発言について前向きに愛をもって行うべきで個人の人格を否定してはならない旨、断っているところが面白い。

 同書では、元文科省トップとして「教育が直面している厳しい現実」(第3章)について熱く語っているのは当然だが、一家言あるはずの道徳教育については、『「道徳」が本当に危ない!』と言いながらあまり深掘りしていない。

 わずかに、戦前の「修身」を引きずっていたような安倍首相の祖父 岸信介内閣が小学校教育に「道徳の時間」をつくり、第二次安倍内閣が「道徳教科書」を作った経緯を語り、小学校は18年から、中学校は今年19年から道徳教育が正科となったことを危惧する。

 同書では、教科書から「星野君の二塁打」という少年野球の話を引用し、監督のサインは送りバントだったのに、とっさの判断で星野君がバットを振り、二塁打にして決勝点を上げたものの、ルール無視はいけないと諭された。前川氏はその危なさ、怖さを指摘する。

 話は飛ぶが、「文芸思潮」(アジア文化社、2018秋号)に、前川氏の「政治と教育のはざまで」と題する講演記録が載っている。ここでは「星野君の二塁打」について、もっと熱く語り、「道徳」の中身を憂いている。

 まず昨年から全国小学校で採用された検定教科書については、個人の尊厳とか自由などには触れず、集団に帰属することの大切さ、役割・責任が強調されていると指摘する。集団も家族や学校や国家であり、その先の地球とか世界とか人類などには触れていないとして、これを氏は「個と地球の欠如」と言う。

 そこで星野君の話だが、前川氏は、今バッターボックスに立つ星野君の緊張、コーチのバント・サイン、一塁の俊足 岩田君、コースに来た絶好球、などについて実況中継風の語り口で試合内容を紹介する。結局、試合には勝って上の大会への出場権を得たものの、試合の後のミーティングなどを通じて、教科書は、勝つことよりもルールを守ることが大事だというところに子供たちを誘導していると前川氏は言う。

 そして、実際の道徳の時間では、あなたが星野君ならどうする、あなたが監督ならどうすると、みんなで話し合う必要性を指摘する。文科省の立場は、特定の価値観を刷り込むことをせず、子どもたちが「考え、議論する道徳」の実践を勧めているのだという。
前川氏は、「星野君の二塁打」の話は「ルールは守れ」「偉い人の言うことは聞け」「自分で判断して動くな」という教えを子供たちに刷り込むものだと結論づけた。ところが前川氏は、省内の秘匿「ルールを守らず」、安倍首相ら「偉い人の言うことを聞かず」、信念に従って「自分の判断で動いた」ことで文科省トップの座を失った。これを皮肉と言うべきか、または、おのれの良心に従って決断した前川氏は偉かったというべきか。

(山勘 2019年2月14日)