例会報告
第81回「ノホホンの会」報告
 

 2018年9月27日(木)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)


 未曾有の酷暑に見舞われた今夏がやっと終わったら、涼しくなる間もなく不順な天候の9月が始まり、寒ささえ感じる今日この頃です。致智望さんが急用で欠席でしたが、皆さん雨模様のなか元気に出席でした。日本経済は相変わらずパッとしませんが、効果的なカンフル剤はないものでしょうか。国民の高齢化や若者の政治離れで積極的な政策に無関心になる傾向が、日本をますます駄目にするという意見も出ました。致智望さんの書感は、次回にお願いします。


(今月の書感)

 「日本人の知らないトランプのアメリカ」(致智望)/「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(本屋学問)/「地球を脅かす化学物質」(ジョンレノ・ホツマ)/「2050年世界経済の未来史 経済、産業、技術、構造の変化を読む」(恵比寿っさん)/「マネーカースト」(ジョンレノ・ホツマ)


(今月のネットエッセイ)

 「4年ぶりのイギリス」(狸吉)/「幼児救出作戦に足りない視点」(山勘)/「安倍三選と政治不信の進行」(山勘)


  (事務局)

 書 感
 日本人の知らないトランプのアメリカ 日高義樹著 (海竜社 2018年5月)\1,760
 
著者の日高義樹は、1959年NHKに入局し、ワシントン特派員をかわきりに、ニューヨーク支局長などを歴任し1992年退職後、ハドソン研究所首席研究員として日米関係の将来に関する調査、研究の責任者を務める。NHK特派員として、カーター大統領への取材がはじめて、それをきっかけに、ホワイトハウスのスタッフと繋がりが出来て、以来取材ができるようになったと言う。当時の米国には、敗戦国の日本には特殊な感情が有って、カーター大統領も例外では無く極めて幸運な時期に恵まれたと言う。

 永い間の取材経験から45代大統領のトランプをみると、トランプは政治の素人であり、ビジネスの感覚でアメリカの政治を動かしているから、その周辺は変化の大きさに幻惑されマスメディアや政治評論家たちは、変化の実像を捉えきれないでいる。そのことに、トランプがハラをたて「フェイクニュース」とよぶ報道に繋がっていると言う。

 トランプのアメリカは、想像を超えた大変化を起こしつつあり、その変化の実像を日本人に伝えたいというのが本書の上梓となった。

 経済の伸びが、オバマ時代の2倍になった。それは、トランプの減税策が大きく貢献している。その政策の特徴は、企業の投資に対し、その全額を納税額から控除すると言う減税政策で、投資資金がそっくり経費扱いとなり、その結果モルガンスタンレーなどは、資金の投資という行動が出来なくなり、ウオール街での活動を殆ど停止せざるを得なくなったと言う。(致知望意見 : 投資減税策は、企業経営に極めて有効であり、特に起業の初期には絶対に必要な策であり、ビジネスマンの起業意欲が向上する事間違いが、過去に行われた例は記憶にない)

 トランプの歴史的減税によって、大きな景気の到来を期待して、低迷していたトランプの人気がようやく上がり始め、大統領弾劾の話まであつたが、支持率50%を超す結果が出ていて、この政策は我々中小企業にとっては「そうあるべき」と考える当然の善政である。

 一方の国家安全保障戦略については、「極東の範囲」という考え方が無くなっている。安倍政権は、中国の侵略から尖閣列島を守るために日米安保条約を頼りにしているが、このストラテージからは、日米安保には言及されておらず、さらに、西太平洋、極東と言う考え方すらも消えてしまっている。

 アジアの安全を考える基本的な地勢範囲としてアメリカ西海岸からインド洋、アフリカ大陸の東海岸までをひとまとめにしている。日本を防衛するための極東の範囲と言った考えは、アメリカの戦略構想の中から締め出されたと言う。
 トランプが1年の間に、たて続けに新しい国家戦略を構築したのは、ロシアや中国と比べてアメリカが決定的に強力であると言う実態を失ってしまったからで、それは、クリントンを含めて、24年間の失策がトランプ政権にのし掛かつているからとトランプは言う。

 トランプの強硬な貿易政策は、「貿易戦争の始まり」と言うけれど、トランプの政策は不法な経済活動によって、経済が拡大した中国の政治権力をより強化する習近平に対する戦いの宣言と言う。
 習近平は、軍事力を使わずに、経済の拡大によって、主席任期の地位撤廃という中国皇帝の地位を得たこととなり、ナポレオンにも出来なかったことを成し遂げてしまった。

 しかし、その実態は水増しされた経済拡大と、それを背景にした権力闘争の勝利等の実績しかないとみている。
トランプ叩きは、大統領にたいする反乱謀反にもみえるほど激しく常識を逸している、健全な政治システムが、アメリカと言う国の根本を揺るがす大きな変動が始まっているように思える。これは、クリントンが大統領になると思っていた人たちの政治体制に関わる官僚、リベラル派の政治家、そしてマスコミの人たちにとって、大番狂わせの結果であり、アメリカの歴史を否定するものと、著者は大きな問題として提起している。

 トランプが、充分な準備をしないままに、アメリカの複雑な政治体制の中に踏み込んでしまったことで、アメリカが大きな危機を迎えてしまったことに著者は憂いている。そして、トランプの政治的危機は、これからもさらに深刻なものになる。それは、アメリカの現在の政治的混乱と危機的状況は、トランプの用心に欠けた行動の事業自得であり、その先には第三期政権を抱いたオバマの反逆が、大きな原因となることは間違いと言う。

 トランプの経済政策について言うと、オバマの規制と社会主義的な政策を撤廃することにより、アメリカ経済を急速に立ち直らせた。税金を払っていない人々のために、政府が多額の援助を行うと言うオバマの福祉偏重政策を税金の無駄使いと言い切る。企業向けの減税はいくら増やしても構わない、それにつれて経済が拡大し国の収入も増える。今のままでは、向こう10年はアメリカの収支バランスが改善するとは考えられない。強気で押しまくるのが、トランプ流でこのギャンブル的政策による財政赤字とインフレを長い目でみた経済拡大の要因として、抱えて行こうとしている。それで、現状のアメリカ経済はインフレが視野に入り好調を続けると言う。しかし、経済拡大にも関わらず財政赤字は減らないことが明らかになっていて、世界の投資家がドルに魅力を感じなくなっている。その原因は、3つあり、一つは経済拡大によって、賃金が上がっている。2番目は、製造業が伸びていない。3番目は、貿易赤字が拡大している。要は、甘やかされた労動者と積もり積もった財政赤字が、急に動き出した経済活動にひずみを生じさせたと言う。

 大統領のドクトリンを考えてみると、大統領が基本原則を持ち、大統領としての矜持、そして大統領としての業績を纏めたもの。それを以て、アメリカの「 力」 に対する信頼によって世界を動かすと言うドクトリンに欠けるのがトランプであり、加えてアカデミックな世界とのかかわりを初めから絶ってしまつている。専門家たちは、トランプがいつかアメリカを危機に追い込むのではないかと強い懸念を抱いていると言う。

ホワイトハウスを良く知る著者が日本の有るべき姿を暗示する見解を最後に述べている。トランプの政策は、対中国、対ロシア、について過去の大統領達のミスジャッジを補うべく真っ当な政策を取っていると著者は言う。

 アメリカ政治の奥の院たるホワイトハウスは、魑魅魍魎で一筋ならではの状況であり、トランプはこの状況のホワイトハウスには寄り付かず、ドランプタワーで生活し、自分の別荘で海外の賓客を接待している。ホワイトハウスは、アメリカの軍事拠点であり、指揮機能が集中した場所である。過去の大統領も良きにしろ、悪きにしろ、この組織をフルに活用してきた。その弊害は、無責任な政治を勧めたケネディー、アメリカを社会主義体制にしたオバマのように、大きな組織の責任者を務めたことのない、軽薄なイデオロギーの政治家が、マスメディアに動かされ簡単に多数派に組み込まれてしまう仕組みもある。トランプは、この仕組みになじまず、行動していることが危険と言う。

 アメリカのあるべき姿を愚直に実行しようとするトランプの行動は、アメリカの歴史が構築してきた仕組みに対し、自分に合わない仕組みとして挑戦している。トランプは、アメリカ経済を立て直し、アメリカの時代を続ける姿勢を明確にしている。しかし、重要なことは、アメリカを動かしているホワイトハウスを自らの見識と器量で機能するようにしてからアメリカの敵と戦わなければならない、トランプが問われているのは、まさにこの一点と著者は言い切る。

 日高芳樹の本書は、アメリカの恐ろしい現状をレポートしていると見た。今のアメリカには、アイゼンハワーのような優れたリーターを必要としていることも、著者は暗示している。

                    (致智望 2018年8月30日)
小澤征爾さんと、音楽について話をする/小澤征爾×村上春樹(新潮文庫 2014年7月1日発行 本体710円)

 ジャズやクラシックにも造詣の深い作家の村上春樹が、ボストン交響楽団の音楽監督を30年、さらにウィーン国立歌劇場の音楽監督も務めた世界的指揮者の小澤征爾と、クラシック音楽や演奏家、作曲家などについて何回か語り合い、それを著者自身がまとめたものである。

 巻頭にも書いているように、一クラシックファンだった村上が小澤を直接知ることになったのは、小澤の長女でエッセイストの征良(せいら)との交流がきっかけで、彼女に紹介されて何度か会ううちに意気投合し、個人的に親しくなったそうだ。

 「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番をめぐって」、「カーネギーホールのブラームス」、「グスタフ・マーラーの音楽をめぐって」など、基本的には小澤のCDやレコードを2人で聴きながら、その演奏方法や解釈について村上が聞き、小澤が折々の演奏体験を村上に語り、お互い忌憚のない意見を交換しながら話が進む。

 驚くのは、村上が本来の作家活動の合間に普段からよくクラシック音楽を聴き、コンサートにも足を運んで豊富な知識と相当な鑑賞力があることで、何十年ただ漫然と聴いてきただけの私には新鮮なことばかりで、まさに目から鱗の感がある。

 ブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏のテンポを巡って、指揮者のレナード・バーンスタインとピアニストのグレン・グールドが衝突し、演奏前にバーンスタインが聴衆に向かって事情を説明したというエピソードは有名で、そのままCDにもなっている。バーンスタインが「本来ならアシスタントに指揮を任せてもよいのだが…」と語るのを、当時ニューヨークフィルのアシスタント指揮者だった小澤は会場のカーネギーホールで聞いていた。つまり、事情が変われば小澤が指揮をしていた可能性があったのである。

 小澤がボストン交響楽団の音楽監督になると、ヨーロッパのウィーンフィルやベルリンフィルなど世界的なオーケストラの客演をするようになったが、音楽専門紙誌や耳の肥えた聴衆からはお決まりの厳しい洗礼を受けて落ち込むこともあった。しかし、彼の才能や人柄をわかってくれるオケの団員もいて、それ以上に師匠のヘルベルト・フォン・カラヤンやレナード・バーンスタインが常に温かく見守ってくれたと語っている。この分野では欧米人が圧倒的な時代、彼の孤独な戦いを大きく支えてくれた感動的な話である。

 今や世界的に有名な「サイトウ・キネン・オーケストラ」は、小澤の最初の師である桐朋学園の斎藤秀雄の弟子を中心に小澤らが結成したもので、本書で一度はカラヤンや親しいカルロス・クライバーに指揮してもらいたかったといっている。もしそれが実現していたら本当に夢のような話だが、カラヤンはその後サイトウ・キネン・オーケストラをザルツブルクに招待してくれたそうである。それと、どちらかといえばオペラが苦手だった小澤に、カラヤンが何とかして教え込もうとしたというエピソードも微笑ましい。

 小澤征爾は全集を含めてマーラーの交響曲を数多く録音しているが、奏法の細かい指示を始めその演奏はとても難しいという。同じユダヤ系のバーンスタインは2度も全集を出したが、あのカラヤンでさえ数曲しか残していない。小澤は、楽譜の情報量が多すぎてマーラーほど指揮者で音が変わる作曲者はいないのではないかともいっているが、今日、ベートーヴェンやブルックナー以上に演奏される機会が多いことは、マーラーファンにとってはまことに喜ばしいことだ。

 他にも、ブラームスの交響曲第1番第4楽章にホルンが登場する部分で、ブラームスは息継ぎで音が途切れないよう2人のホルン奏者が同じ音を重ねて吹くよう楽譜に指示したが、ボストン交響楽団の頑固な名手が1人で吹くと主張し、案の定ホルンの息継ぎ部分で見事に無音になってしまった話など、2人が実際にその映像を観ながら興味の尽きないエピソードが次から次へと登場する。

 ”音楽は時間の芸術”という小澤は、それを最大限に表現するためにスコア(総譜)を徹底的に読み込む勉強家で知られ、早朝の数時間をそれにあてているそうだが、村上も午前4時に起きて5時間くらいは構想に集中するとかで、早起きはしても私のような凡人には到底真似のできないそのことだけでも頭が下がる。

 毎年ノーベル文学賞候補に挙がる村上春樹の作品を実は一度も読んだことがないが、確かにそれだけの力量と才能、教養を備えていなければ、世界中のファンを魅了する作品を出し続けられないのだろう。本書からも音楽に対する彼の感受性の高さの片鱗がうかがえ、そのほんの一部しか紹介できなかったが、折に触れて読み返してみたい1冊になった。

(本屋学問 2018年9月17日)

地球を脅かす化学物質/木村-黒田純子(海鳴社 2018年7月発行)

 この半世紀ほどの間で、子供の健康問題、アレルギー、喘息など免疫疾患、肥満、糖尿病などの代謝・内分泌系の異常、脳の発達に何らかの障害のある子供たちが急増していることが環境省の調査で確認されている。文部科学省は2012年発達障害の可能性のある児童は全体の6.5%(15人に1人)と発表し、2016年には自閉症、注意欠如多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)などの発達障害の児童が、平成17~27年の間にほぼ2倍に急増したと発表。さらに不妊や、妊娠しても子供が育たない不育症、早産、低体重出生なども増え、今後の日本を担う次世代の人口の低下は深刻です。

 自閉症などの発達障害や、引きこもり、切れやすいなどの社会性、対人関係に問題のある児童・若者が急増していることは、少子化に加え今後の日本の大きな社会問題で、日本経済への深刻な圧迫となっている。一方で日本人の平均寿命は長くなったが、アルツハイマー病、パーキンソン病、うつ病などの精神神経疾患やがん患者などが増え、健康障害を持つ高齢者の増加も重大な社会問題である。

 著者は、公的研究機関で、PCBや農薬など有害な環境化学物質が脳の発達に及ぼす影響について研究を続けてきており、子供の脳だけでなく様々な健康障害は、有害な環境化学物質の曝露と深くかかわっていることも分かってきた。
 海外では様々な機関が公式に警告しているが、今の日本ではこの環境化学物質の問題は一般にはあまり知られていない。と、前書きに記しています。

 更に、個々の農薬や人工化学物質が及ぼす健康影響や生態毒性について書くことは山ほどあるが、それでは根本的な解決に至らないと思いがある。農薬は毒性が判明してから、代替えの農薬が開発されることを繰り返してきた。便利で安全と思われたPCB、有機フッ素化合物、プラスチック製品、フロンガスなども、多用されてからヒトや地球に悪影響を及ぼすことが判明してきた。人間の活動そのものの価値観や目的・方法を変換しない限り、いつまでもこのジレンマが続くように思える。と、あとがきにあります。

 個々の詳細について、今までにも、多くの方から農薬や化学肥料、化学添加物、遺伝子組み換え食品などの警告を知り得てきましたが、本書は、調査研究をされてきた方が、今までの経緯や現象を踏まえて、これからどう取り組んでいくべきかも提案している一冊です。

 ひとつは、オリンピックを契機に「有機・無農薬農業」への舵取りをの項目で、2012年のロンドンオリンピックでは、選手村のレストランで有機野菜が用いられたように、海外のアスリートは、食材の安全性を重要視します。2020年の東京オリンピックでは、GAP推奨を基準としている。その中で有機農産物を推奨するとしているので、オリンピックを契機に有機農業を推進したい。選手だけでなく、スローフード運動が盛んな欧米から来る旅行者が有機野菜を要求することが予想されホテルやレストランでは今から準備が必要です。

 日本は世界でも農地面積当たりの農薬使用量がとても高い国。OECD(経済開発協力機構)加盟国中、この十数年来、韓国と日本が第1位と2位を競っている(中国はOECDに加盟していない)。
将来の日本の姿として、開発してきた人工化学物質のすべてを捨て、感染症に苦しみ、食べる食料にも事欠く生活に戻るのは不可能です。
 しかし、膨大な種類の有害な人工化学物質に暴露され続け、健康を害する社会や、目先の利益を追求しすぎ本来の幸せを失う社会はもうたくさんだ。私たちの生活様式は方向転換が必要で、国が安全性を確保しじっこしてくれるのを待っている事態ではない。とあります。

 我が家でも、化学肥料や農薬を使用していない自然栽培や有機栽培の食材、化学添加物を使っていない食材を探し求めている現状です。

(ジョンレノ・ホツマ 2018年9月18日)

2050年世界経済の未来史 経済、産業、技術、構造の変化を読む/真壁昭夫(徳間書店 本体1800円 2018年5月31日初版発行)

法政大学大学院政策創造研究科教授。
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現:みずほ現行)入行。
ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリルリンチ社ニューヨーク本社へ出向。
みずほ総研主席研究員などを経て現職に至る。

テレビ朝日「報道ステーション」、ニッポンテレビ「所さんの目がテン」など多数のTV番組に出演し、日経CNBC「NEWS ZONE」ではレギュラーコメンテーターを務めている。

主な著書に「仮想通貨で銀行が消える日」(祥伝社)、「逆オイルショック」(祥伝社)、「VW不正と中国・ドイツ経済同盟」(小学館)、「行動経済学入門」(ダイヤモンド社)などがある。

はじめに
プロローグ 2050年の世界をイメージする
第1章 2050年人類とロボットの共存社会
第2章 第4次産業革命後の世界を占う
第3章 2050年地球環境クライシス
第4章 2050年の国家論
第5章 現在→2050年世界経済の長期展望
第6章 2050年日本が経済大国であるための提言
おわりに

 本書を手にしたときに興味はなかった。なぜなら、この変化の激しい世界情勢の中で、予測したことなんて当たりっこない、と思ったが、最終章に目が留まり、こりゃ核心をついてるなと6章のみ精読した。

6章は 高まる日本の財政ファイナンス依存度
     今後の展開 シナリオ1現在の状況が続くケース
              シナリオ2改革断行のケース
     日本がとるべき政策
     日本の高齢社会の将来像
     日本発のイノベーションは生まれるか
     日本と国際社会
 の7節で構成されている。

 安倍内閣が幸運だったのは、発足時に$上昇圧力が高まっていたことだと断りながら、政権が日銀とタッグを組んで、デフレからの脱却を目指して異次元の金融緩和を導入し、企業業績をかさ上げして株価が上昇したが、まさにこれは“金融政策一本足打法”。将来の経済成長を原資に財政再建をめざすのであれば、金融緩和だけでなく、構造改革も同時に進めることで、成長基盤を強化することが重要。そのうえで海外経済を中心にファンダメンタルズに大きな変化がないのであれば、計画に沿って消費税率を引き上げることが本来あるべき政策の運営であろう。安倍政権はそれが出来ていない。

 私(著者じゃないです)はかねてより、構造改革をやったうえでもファンダメンタルズの改善が得られないならば、消費税率は20%でも30%でも払うと言ってきた。過去において構造改革が行われたのは小泉政権の郵政改革のみ。こんなのは氷山の一角。

 この先、米経済が弱まれば、円高圧力が高まり、そうなれば日銀はさらなる追加の金融政策を打たざるを得ないと著者はいうが、もう限界じゃないんでしょうか。

 変化を阻む要因として一億総中流を上げているが、我が国の変化を受け入れるためには、社会環境の変化に伴い、個々人に求められる能力、スキル、職務の内容が変わってゆくことを理解する必要がある。政府・企業とも旧来の発想から抜け出せていない。失われた20年で働いても給料が伸びないことも閉塞感につながっている。

 既得権益や高齢者に便益が集まりやすい社会保障改革ができないと、社会の閉塞感が高まるだけでなく、何をやってもこの状況は変わらないというあきらめに近い心理が広がり、そうなってからでは社会を変えることはさらに難しくなると著者はいう。

 皆同じという状況は、競争原理を基礎とする資本主義の発想にはそぐわない。その基本的な認識を社会全体で共有し、新しい取り組みを進めることの重要性を理解することが大切だ。不断の改革は不可欠。変化に伴ってヒト・モノ・カネが成長分野に配分される仕組み作りが求められる。これが構造改革の意義。経済政策だけでは限界があり、発想の転換が必須と著者は説く。

(恵比寿っさん 2018年9月18日)

マネーカースト/ベンジャミンフルフォード(かや書房 2018年5月発行)

 マネーカーストのカーストとは、以前のインドのカースト制度をもじって、一部の支配者がその他多数を支配するようになった貧富拡大を言っていると納得しました。

 特に、気になったのが最終章の日本に関しての内容です。あまりにも、苛酷な内容で直ちには納得できないというか、本当なのだろうかという疑問を持ちつつ、あり得るかなという感覚を持った次第です。

 裏で操っている人間・組織に対し、言うことを聞かざるを得ない、そうせざるを得ない操り人形でいなければならない政治の世界が存在しているのだなと思いました。

幾つか、特に気になった項目を以下に列記してみました。

 トランプが大統領就任したとき、安倍さんの迅速な行動に驚いていましたが裏を知り納得しました。ハザールマフィアの息がかからない政権の誕生に慌てた安倍は、日本の資産を手みやげにトランプにもすり寄ったのだ。

 ハザールマフィアと、トランプおよびアメリカ軍のどちらに転んでも、自分の身が守られるように保険をかけたのだ。

 2018年に入り、不要になった安倍を排除するために起きたのが「森友・加計学園問題」の再燃である。ペンタゴン筋からの情報によると、日本人のカネをハザールマフィアへ流す窓口であった安倍政権を潰すことが意図されているという。ハザールマフィアの収入源の一つを断ち切ろうというのだ。

 2014年1月に開催されたダボス会議の演説で、安倍は中国に対する強硬的な姿勢を示した。第三次世界大戦を目論むハザールマフィアの意向をくんでのことだ。

 安倍は中国との戦争の準備を始める。集団的自衛権問題をクリアにするために、憲法改正を推し進めようとする。さらにその裏では、軍事力増強に力を入れていたのである。

 右翼筋の情報によると、安倍が秘密裏に進めていた軍事力増強とは、一つ目は「中国上陸戦を目的とした大量の武器や物資を、極秘で熊本に結集させる」計画である。この計画は実行され、自衛隊基地地下に続々と武器・物資が集められていたという。

 しかし、2016年4月14日、熊本地震が発生する。震度7が計測され、250人以上の死者を出し、被害総額4.6兆円にも上る大地震である。この地震により、九州に準備されていた大量の兵器は破壊されることとなった。右翼筋の情報によれば、この地震は中国当局の地震兵器によるものであった可能性が高い。近年、自衛隊駐屯地をはじめとする軍の施設を狙って地震兵器が使われるというパターンが続いているのである。

 二つ目は「加計学園に獣医学部を新設して生物兵器の研究、開発をする」計画である。第二次世界大戦中の旧日本軍の秘密生物兵器開発機関、731部隊の再来である。2017年、森友・加計学園問題により、生物兵器工場の計画も頓挫することとなった。アメリカ軍による「安倍降ろし」の本格化で、対中国軍事拠点の一つ、加計学園「獣医学部」=「生物兵器工場」計画も阻止される。ジャパンハンドラーズの失脚により、安倍政権はその後ろ楯を失った。

2017年10月に発覚した大手鉄鋼メーカー「神戸製鋼所」の、品質に関するデータ改ざん問題である。

 神戸製鋼所といえば、朝鮮戦争時の戦争特需によって巨大化した企業である。当然、アメリカの軍産複合体とも取引のある、ハザールマフィアの息のかかった軍需企業である。

 ペンタゴン筋からの情報によると、アメリカ国内でアメリカ軍に勢力を奪われつつあるハザールマフィアが目論んだ「アメリカ軍機の品質を意図的に落とすための工作」こそが、このデータ改ざん問題の真相だという。

 ハザールマフィアは日本人の「生殺与奪」の権利も握っている。

 ハザールマフィアの人間は、エコであり、ロハスであり、ナチュラル志向である。食生活はオーガニックでベジタリアン。水道水も飲まない。健康的で健全なライフスタイルを送る人間たちなのである。

 彼らが被支配階級「家畜」に与えるのは、不健康で不健全な、何から何までまったく逆のものだ。ハザールマフィアの「家畜」に対する基本方針は、「増やさず」「絶滅させず」「力をつけさせず」である。搾取し続けるのに最適なように、種を管理するのだ。その管理方法の基本は「餌」である。

 家畜に与えられる餌とは、スーパーマーケットやファーストフード店に並ぶ「市販の加工食品」だ。それらの食品には、家畜に「依存」をもたらすよう計算された加工が施されている。欧米企業の大型ファーストフード店が大量に売りさばく商品ばかりである。

 多量の農薬を散布して大量生産した小麦やジャガイモに、有害な化学溶剤漬けの油、石油原料の化学調味料、さらに防腐剤、合成着色料、軟化剤、防臭剤、人工香料、人工甘味料などを混ぜ合わせたシロモノである

 厚生労働省に圧力をかけて数々の食品や日用品の中に「発がん性物質」を投入した政治家の一人に、中曽根康弘がいる。1985年の「プラザ合意」を受け入れた日本の総理人臣その人である。日本の金融システム破壊と、日本人の「生命」破壊は、ワンセットで押し進められてきたのである。

 抗がん剤という高額の「毒薬」製造元こそが、ロックフェラー一族を中心にした「メガファーマ」である。ロックフェラー一族の医療・製薬業界に対する投資はかなり早い時期から行われている。

 その商売の主岫の一つが、「抗がん削」治療であった。欧米メガファーマのお得意先が、日本の医療界であるのは説明するまでもない。

 日本人の寿命末期の数年間は、医療機関による「吸い上げ期間」として存在しているのである。

 食品や日用品に「毒物」を仕込まれて、細胞レベルから生命を管理され、人生最後の数年間で「医療」の名の下に財産をすべて吸い上げられる……。まさに、ゆりかごから墓場まで搾取される「家畜」、これが日本人の現状である。日本は「人間牧場」とても呼びたくなるような非人道的な管理社会なのだ。

(ジョンレノ・ホツマ 2018年9月19日)

 エッセイ 
 4年ぶりのイギリス

 2014年に娘の結婚式に参加して以来、4年ぶりに10日間のイギリス旅行をした。イギリスと言ってもロンドン郊外の娘のマンションに滞在しただけだが、4年前と変わったところが目に付いた。

 まず第一は新興住宅地の出現である。娘一家の住むストラトフォードは、ロンドン中心部から東北東に約10㎞離れた交通不便な場所だった。ところが、2016年にここがオリンピックのメイン会場となったため鉄道が敷かれ、跡地に広大な公園が整備され、マンションが続々と建ち、建設ブームがまだ続いている。娘一家のマンションは駅から徒歩10分だが、2年後にはヒースロー空港から高速列車で二つ目の便利な駅になるそうだ。このように数年前まで何も無かった場所に、忽然として巨大な街が出現する現象は、私の家の近くの二子玉川や武蔵小杉も同様である。

 第二はカード決済の普及である。イギリス人はほんの小額の支払いにもカードかスマホを使い、小銭も出番が無い。中には現金お断りの店もある。イギリス版パスモのオイスターカードにチャージするのもカードオンリーで、現金は使えない。ロンドン市内の予約制展望台に登ったときも、予約券はスマホにQRコードで送信され、入り口で係員がスマホの画面を読取り機でスキャンし、データが合えばゲートが開く仕組みだった。

 最後は目新しいことではないが、人々の社会的弱者に対する気配りだ。今回の旅行は昨年の骨折事故以来、初めての海外旅行であり、歩きやすいように杖を持参した。この杖の意外な効用は混雑したバスや電車でも、戸口に近い席に座っている人たちが、一斉に立ち上がって席を譲ってくれることである。いくら混雑していても場所を空けて席を勧めるので、遠慮していると皆が迷惑する。日本でも若い人に席を譲られることはよくあるが、混雑した車両で譲られた経験は極めて少ない。

 ある日比較的空いた車両に乗り込んだところ、小学生くらいの兄弟が私の前の空席に素早く滑り込んだ。すると後から乗り込んだ父親が子供達を呼び戻し、私に席を譲るよう叱っていた。これを見て、「なるほど、幼いときからこうしてしつけているのか」と感心したが、さて日本の親達はどうだろうか? 私自身も遅きに失するが反省した次第。

(狸吉 2018年9月15日)
幼児救出作戦に足りない視点

 先の、山口県で起きた幼児救出劇は感動的だった。藤本理稀(よしき)ちゃんを無事発見したのは、大分県から駆けつけたボランティアの尾畠春夫さん(78歳)。捜索ボランティアの専門家と言ってもいい尾畠さんのシワ深い笑顔と飾らない口ぶりは、テレビを見る視聴者の頬まで緩めた。

 尾畠さんに学ぶべき教訓は、「大人目線」ではなく、「子供目線」の捜索だ。尾畠さんは、過去の経験から「幼児は坂を上る」と見た。ここが重要だ。尾畠さんは、2年前、大分県で2歳女児が行方不明になった時にも探索に参加し、他のボランティアが、警察などの捜索範囲を外れた山道を登って無事発見したことを教訓として胸に刻んでいた。

 ここで、私の現役時代の先輩Y氏の説を借りる。幼児の一般的な特質は、①思いがけない距離を移動すること。元気にまかせて歩き、興味にまかせて止まったり、歩いたりして相当な距離を移動する。今度の2歳児にとっても、560メートルはさほど遠い距離ではなかった。②幼児は行方不明時の説明ができない。その間、どうしていたのと聞いてもムダ。時間的な連続性も、行動的な論理性もない。記憶はあるが断片的である。③大人と子供は興味の対象が違う。大人が聞きたい失踪時の内容と、幼児が見て、感じていた興味の対象や景色が違う。④幼児は自然児である。動物としてのDNAを持っている。行動し、疲れたら休む。眠くなったら眠る。お腹がすいたと思っても食べるものはない。しかし大人ほど切実ではない。時間の観念もなく、死の恐れもない。誰かが来てくれることを無意識に信じている。だから捜索の尾畠さんが呼ぶと「ぼく、ここ」と答える。と、先輩Y氏は見る。

 それにしても、めでたしめでたしの結末を迎えたはずの救出劇であり、わずか20分ていどという短時間での鮮やかな救出である。ところがその救出劇で、世の耳目を集め、時のヒーローになったはずの尾畠さんに、心ない誹謗中傷の声がネットに出た。2歳児にいきなり飴玉をあげたのはよくない、のどに詰まらせたらどうする、死んだらどうする、子供を警察官や探索隊に渡さず母親のもとに連れて行ったのはよくない、などというネットでの匿名の非難である。

 しかし尾畠さんの経験と判断は正しい。エネルギー補給の飴玉をあげ、2歳児になって強くなった歯でガリガリと噛む姿を観察している。異常があれば吐き出させるに決まっている。警察官に渡し、救急車、病院の検査と進むより、まず救急車の心配のなさそうな理稀チャンを真っ先に母の懐に抱かせようと考えたのも正しかった。だれよりも理稀ちゃんが一番うれしかったはずだ。
 テレビでみる母親に抱かれた理稀ちゃんは乳幼児のように見え、こんな幼子がどうして560メートルも山を登れたのかと改めて驚かされた。そこで、ネットで2歳児の、心身の発達の特徴を引いてみた。おおよそ、2歳になると飛躍的に手足の運動機能が発達する。行動範囲が広くなり、探索行動が盛んになる。自発性や自立心が生まれる。反抗期が始まり自己主張が始まる、などとある。親と一緒に行くことを拒否したのも2歳児の反抗期の芽生えと自己主張であり、理稀ちゃんは急速に発達した運動機能で、興味に任せた探索行動に出たのである。

 結論的に言えば、先輩Y氏も指摘するように、幼児行方不明の原因は「大人の不注意、油断」である。これからの幼児救出作戦は、テレビで専門家が解説する「大人目線」でなく、「子供目線」で寄り添う「幼児行動の理解」が大事だろう。言い換えれば子供の心理と行動、その子の個性と行動、現場の環境などに対する「子供目線」の分析に基づく捜索計画を考えるべきではないか。

(山勘 2018年9月24日)

安倍三選と政治不信の進行

 そして何がどう変わるのか。おそらく安倍三選政治で大きく変わることは何もない。今回の自民党総裁選で“露呈”したのは、安倍政権と国民意識の大きな“ズレ”である。石破氏はその中間に位置して、国民寄りの地方票を大幅に獲得して善戦した。

 安倍首相は、国民の多くに、「ほかよりよさそう」だから支持されたのであり、石破氏は、「人柄や言動が信頼できそう」だから支持されたのである。言ってみれば、安倍氏は「政治的比較」により選択されたのであり、石破氏は「人間的価値」により選択されたのである。現在の深刻な政治不信を回復するためには、どちらの「選択基準」がより重要であろうか。

 総裁選では、当初、石破氏は「正直、公正」という政治理念を掲げたが、安倍首相への個人攻撃ととられるおそれがあるという「自陣」からの抑制で“高言”を控えた。「正直、公正」こそが、政官不祥事の根を断つ根幹ではないか。ところがその後、安倍首相は「謙虚、丁寧」な政局運営を“高言”した。石破氏の看板を横取りしたような安倍発言に違和感を覚えたのは私だけだろうか。

 「正直、公正」「謙虚、丁寧」は、いずれも政治家の人柄、政策立案、政局運営に欠かすことのできない資質であろう。そしてこの“キャッチフレーズ”がどちらの政治家によりふさわしいかは明らかだ。とはいえ、この、「正直、公正」と「謙虚、丁寧」が、肝心の選挙結果にあまり大きな作用を及ぼさなかったところに国民の不幸がある。

 安倍政権下の政官を巡る不祥事で、国民の政治不信は強まる一方だ。今後も「モリカケ問題」については、秋の臨時国会でもまた、逃げの一手の総理答弁が国民のイライラと失望を煽ることになろう。森友問題について安倍首相自身がどう関与したのかしないのかも明らかでないが、加計学園問題では安倍首相自身が加計理事長と2015年2月に面会していたという記録が出てきたにもかかわらず、これを否定している、昭恵夫人の森友関与についてはきっぱりと全面否定している。しかし、少なくとも昭恵夫人の“軽率”な関与があったことはほぼ明らかにされている。

 政治不信の“進行過程”については前にも書いたが、簡単にいえば、政治への信頼が低下しているということは、政治家への信頼が低下しているということである。政治家への信頼が低下しているのは、政治家の言動への信頼が低下していることである。政治家の言動への信頼が低下しているのは、政治家の言動に真実さ、誠実さ、道徳観がないからである。

 安倍総理は以前から「丁寧に説明してご理解を得る」ことをモットーとしてきたが、このままでは依然として、政治への信頼回復はほど遠い。政治不信のもとが、安倍総理が得意とするような、紙を見ないで滔滔と語る政治家の「説明能力」の問題でも、「丁寧な説明」の不足でもないことは明らかである。それにも増して深刻な政治不信の原因は、今回の総裁選の結果が示す国民の意識と政治家の認識が乖離していることだ。

(山勘 2018年9月24日)