例会報告
第78回「ノホホンの会」報告

2018年5月25日(金)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

 前回急用で欠席の恵比寿っさんが戻られて、いつもの活気を取り戻しました。書感やエッセイにはあまり反映されなかったものの、話題の中心は安倍首相とトランプ大統領の動静で、米朝首脳会談の行方、「働き方改革法案」の愚、アメフトの試合から
飛び出した日大の危機管理能力問題など、テーマは豊富にありそうです。次回もお楽しみに。


(今月の書感)

「フルトヴェングラーと私」(本屋学問)/「逆襲される文明」(致智望)/「宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八」(恵比寿っさん)/「日本・日本語・日本人」(山勘)


(今月のネットエッセイ)

「ホツマエッセイ 神社の鈴の生い立ち」(ジョンレノ・ホツマ)/「『客引き国家』ニッポン?」(山勘)/「漂流する「憲法9条」」(山勘)/「認知症の予防」(狸吉)


 (事務局)

 書 感
フルトヴェングラーと私─ユピテルとの邂逅/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ著・野口剛夫訳(河出書房新社 2013年3月30日 初版 本体1,800円)

 名指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラーについて書かれた本は多いが、協演者が語ったものはあまりない。しかも、それがドイツの生んだ名バリトン歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウともなれば、また違ったフルトヴェングラー像が浮かび上がるのではないだろうか。

 1925年にベルリンに生まれたディースカウは、学生の頃からフルトヴェングラーが指揮するベルリンフィルハーモニーの演奏会の常連になっていて、舞台が見渡せる特等席で指揮者の動きや、とくに金管楽器の演奏を観察したそうである。そして、作曲家でもある彼の音楽に対する絶対的な芸術性と深遠な精神性を目の当たりにして、迷わず自分の道を決めたと書いている。

 1950年、ディースカウはザルツブルクでシューベルトの歌曲を歌うことになり、彼のリハーサルを聴いたフルトヴェングラーの友人で音楽会の主催者が、ディースカウの歌を聴くようフルトヴェングラーに勧めた。ディースカウがフルトヴェングラーのピアノ伴奏でブラームスの歌曲を歌うと、フルトヴェングラーは「こんな若い人が、この歌の何たるかを知っているとは」と絶賛したという。それが、その冬のブラームスの「ドイツ・レクイエム」協演のきっかけになった。

 フルトヴェングラーがナチス政権下に留まったことで、アルトゥーロ・トスカニーニやブルーノ・ワルターは快く思っていなかったといわれているが、ライバルどうしだった彼らとのエピソードも興味深い。著者がマーラーの「さすらう若人の歌」をワルターと演奏したとき、フルトヴェングラーのテンポは気が抜けた間違ったもので、「マーラーは神経症を病んでいた。テンポは一時も休まるときはない」とワルターはいった。

 また、トスカニーニに対してフルトヴェングラーが、「ベートーヴェンの作品がトスカニーニのように演奏されるべきだとアメリカで信じられたら、それは恐ろしいことだ」と思っていたとも書いているが、一方でトスカニーニはフルトヴェングラーをニューヨークフィルの指揮者として呼ぶことを考えていたとか、やはりワルターがアメリカに来ることを呼びかけたとか、音楽家どうしの厚い友情も紹介している。

 1951年夏、バイロイト音楽祭でフルトヴェングラーがヘルベルト・フォン・カラヤンから受けた仕打ちを、著者は明らかにしている。フルトヴェングラーとカラヤンはこの音楽祭の総指揮を任されていたが、カラヤンは「ニ―ベルンクの指環」も「トリスタンとイゾルデ」も自分で指揮するように画策して、フルトヴェングラーには開幕プログラムのベートーヴェンの第九だけを振るように仕組んだ。フルトヴェングラーはいつも、カラヤンがバイロイトを私物化することを懸念していたという。

 ディースカウは、「ユピテル」(絶対的存在)としてのフルトヴェングラーを心から尊敬していたが、同時にある程度の距離をおいて冷静に彼を見るという部分も忘れていない。「トリスタンとイゾルデ」を録音したとき、フルトヴェングラーはある女性歌手を大変気に入り、強引に配役替えを要求して実力のあるアルト歌手を土壇場で降ろした。ディースカウは皮肉交じりに、結果的に彼女は自分のパートの大部分を低過ぎる音程で歌ってしまった、こんな理不尽なことも起こるものだと書いている。

 「マタイ受難曲」でディースカウはキリストを歌ったが、フルトヴェングラーは彼に、「イエスという人物には特有の雰囲気が漂っている。それを表現したいなら、弦楽器の和音をまず受け止めて、少しそのままでいることです」といい、4回もやり直した後に合唱団の女性たちには「大丈夫でしたか? テンポは良かったですか?」と労いの言葉をかけていたそうである。厳格な巨匠にもこんな一面があった。また、晩年は難聴に悩まされ、管楽器の音を聴き取れなくなっていたようだ。

 「ワグナー、ベルリオーズ、ブルックナー、ブラームスと偉大な作曲家は多いが、自分を恐れさせ、高めてくれる音楽家はただ1人、ベートーヴェンだ。この作曲家にふさわしい厳しい尺度を備えることを、常に私たちに要求する。私たちは誰にも増して、ベートーヴェンから学ぶべきだ」。この不世出の巨匠は、あるとき著者にこういったそうである。現在、CDになっているフルトヴェングラーの数多のベートーヴェン演奏を聴き、それを少しでも感じ取ることができるのは幸いである。

(本屋学問 2018年5月8日)
 
逆襲される文明/塩野七生(文芸春秋社)

 本書は、近年問題化される「EU崩壊」「民主主義の崩壊」などの現象からくる、大衆迎合政治が問題視されている。そのことに付いて、著者の歴史感からの主張がエッセイの形式で、述べられている。大衆迎合の現象は、文明化社会に逆襲する社会現象であり、先人が築き上げた文明社会の崩壊に向かうと言う著者の立ち位置から、「逆襲される文明」と名打ったエッセイ集である。

 著者の言う、優れたリーダーなくして、文明社会は存続できないとの観点から、文明を築きあげたリーダー達の業績に比べて、現代のリーダー達の愚行、そして文明が進化した現代諸民の愚行に付いて、有ってはならぬ事柄として、現代人に深く考えさせる事柄に皮肉を込めたエッセイとして本書に書き上げている。
 女性文筆家の分際で、天下の指導者や庶民に対し斯くあるべきなどと、説教する立場で無いことをワキマエ、せめて分相応の書き下しとして、皮肉ないし小説からの引用を用い、著者の歴史認識から言わない訳には行かないとの思いが、読む者にとつて歯がゆさを感じ、回りくどい感じは免れないのであるが、随所に表れる著者の主観主張が、却って痛快に感じとる事になる。
 
 ヨーロッパ連合は、2度とヨーロッパ内にて戦争を起こしてはならないと言う高邁な理想を掲げてスタートした。その組織の今後を決める選挙は、各国の内政事情が優先した結果として答えが出たと言う。明日以降も食べて行けるかどうかの不安の前に、高邁な理想や世界での地位向上など知ったことでは無いと言うのが、各国庶民の自然の姿と言う。

 民主主義のリーダーには、大いなる勇気と覚悟、人間性を熟知したうえでの悪辣なまでのしたたかさが求められものであり、メルケルもオランドにもその素質に欠ける。「やつてはいけません」一筋のメルケルには気が滅入ってしまい、リーダーの素質は無いと著者は言いきる。
 
 西洋史上の見事な成果であったルネッサンスは、まず反省から始まっている。1千年の間、神様の教えに従って生きて来たが、それで良かったのであろうか、華麗な絵画彫刻に表れた現実への疑問。そして、続く地球を1つにしてしまった大航海時代に至って、その反省が始まった。反省が花開き新たな文明が生まれ育ったのだが、反省を知らないと不都合が起こる度に責任を他人に転嫁する、自力での前進は望めないと言う。
 キリスト教は、一神教を守りつつもその弊害から逃れる策を探ったのが、政教分離であつた。神の物は神の物、皇帝のものは皇帝に、を抜け道と考えたのである。
 大人になると言うことは、この種の抜け道を見出す事とで、キリスト教の一神教から文明社会を創り上げた、リーダーたちの知恵であり、指導力であったと言う。
 
 ドイツは、EU内でトップの経済力であるが、EU内では嫌われていて、とてもEUのリーダーにはなり得ないと言う。徹底的に相手を打ちのめすのでは、勝はしても相手を巻き込んで新秩序など及びも付かないことである。多民族国家は、考え方や生き方が違うのだから、どの民族にも利益をもたらす確かな根源的な一つの方針を示し、従わせること、それを成し遂げたのがローマ帝国の「パクス・ロマーナ」を掲げたことである。これに、反しない限り各民族とも自由と言うゆるやかな柔軟構造社会をつくつて、永い平和世界をつくり上げたと言う。

 ナチスドイツを憎悪するのは、600万人を殺した事実よりも、冷酷にして陰惨な肉体的にも精神的にも追いつめた行動、それが快楽ででもあるかの様な振る舞いであったことが、ことを悪くしている。これが、最近のギリシャへの対応に見てとれると言う。

 ギリシャへの借金の半分は棒引き、残りはEUからの借金、返済と利子はそこから出さない、産業と観光を支援し自立できる基盤創りが先決であると言う。しかもギリシャにはその素地はあるのだから、その程度の事がなぜドイツの経済力を以てして出来ないか、根っこのところはナチスと同じではないかと言う。そうなのか、随分手厳しいこと言っているように思う。
 
 著者の長年の外国暮らしから来る日本人を観る目、そこから発せられる日本人への忠告も面白い。日本人のもてなしに付いてのことだが、人間関係で「ありがとう」と言ったときに、それでそのまま終わるものではない。「どういたしまして」と言って半分かえす。この人間関係は、素晴らしいことで、この言葉にはそれが表れていると思う。だから外国人に対して日本語で返す事だと思う。ここで忘れてならないのがニコッとすることで、これが日本人になかなか出来ない、それも相手の目を見ての行動が大切と言う。確かに、外国の知識層は皆さんそのようでありますね。日本人の痛いところです。
 
 塩野七生の歴史小説は、戦争場面であろうが平和時であろうが、リーダーの在り方を主張している。著者の独特の言い回しは、特に戦争の場面表現には感銘を受ける。このことから、著者の小説が日本の経営者に広く読まれ称賛される原点と思う。著者が語る、現代社会の政治と社会を切る本書には、そのエキスがエッセイとして述べられていて、全ての日本人に読んで貰いたい書と思った。

(致智望 2018年5月12日)

宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八/小野雅裕SB新書   本体800円 2018年2月15日発行)

 宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八 NASAの中核研究機関であるJPLで、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。

 1982年大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部宇宙工学科を卒業し、同年MITに留学。2012年に同航空宇宙工学科博士課程及び技術政策プログラム修士課程修了。

 2012年4月より2013年3月まで慶應義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013年5月よりNASAのJPLで勤務。2016年よりミーちゃんのぱぱ。

 主な著書は『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020年打ち上げ予定のNASA火星探査計画『マーズ2020ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わるほか、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行っている。阪神ファン。好物はたくあん。


新創世記
プロローグ
幼年期の終わり~宇宙時代の夜明け

最初のフロンティア
小さな一歩~技術者のアポロ

異世界の空
一千億分の八~太陽系探査全史

命の讃歌
Are we alone?~気球外生命探査最前線
Pale Blue Dot
ホモ・アストロルム~我々はどこへ行くのか?
エピローグ

 サブタイトルにある一千億分の八。人類は太陽系の全惑星(8)の全てに探査機を送り込んだが、銀河系にある惑星の数は約一千億と言われているので、著者はこういう表現をしている。
(なお、本書には書かれていないが、宇宙全体では銀河は一千億あるらしい。途轍もなく宇宙は広い、それでも宇宙の大きさは有限というから驚く)

 私は第2章に魅かれた。アポロ11号が月に着陸したのは1969年。スマホどころか、携帯電話もデジカメもカーナビもない時代。この時代には電卓すら数十万円した。

 ケネディが月に人間を送ると言ったのは1960年代初頭。40万人がこの計画実現に携わったと言うが、著者は2人の技術者の功績を重視している。

 1人はJ・ハウボルトで「月軌道ランデブーモード」(司令船と着陸船を一体で打ち上げ、司令船は月の軌道上で待機して着陸船がもどってドッキングしてから一体で地球に戻る)の提案者。実際に司令船と着陸船はこの軌道でドッキングして地球へ帰還した。当時は「直接上昇モード」(巨大なロケットで打ち上げられた宇宙船が月に着陸し、再び離陸して地球へ帰還)と「地球軌道ランデブーモード」(何機かのロケットで打ち上げ地球軌道上で組立、月に着陸して再度離陸して地球に帰還)が提唱されていたので、異端者。V・ブラウン(地球軌道論)はその理論の優位を知っていたのか、最初は頑なに反対していたが、最後には独断で決定したとのこと。

 もう一人は、M・ハミルトンという女性プログラマ。パンチカードでプログラム(PGM)を作る時代。夫は学生で、一人娘がいてその子を職場に連れて行って休日もなく開発に携わったそうだ。それがアポロ誘導コンピュータ。計算速度は今のスマホの1000分の1以下。IC(LSIじゃないですよぅ!)を採用した最初のコンピュータだ。間違った動作をすれば、宇宙士は死ぬ。このときに開発されたのがコア・メモリーで信頼性が高い。小さなドーナツ状のマグネットが1ビット。これをたくさん縫い合わせていた。(←このことはこの本で初めて知りましたが、コア・メモリーはその製法が日本メーカーの某社が画期的な方法を開発して、高信頼のメモリーとして市中に大量に出回るようになりましたね)。

 ちょうどこのころ、ソフトウェアの概念が現れて、アポロ誘導コンピュータは当初はナビゲーション機能だけだったのに、後からNASAはオートパイロット機能も要求したが、それにも対応できたのはソフトウェアの追加で対応できたからである。

 娘が誤ってシミュレータをクラッシュさせてしまい、ハミルトンは宇宙飛行士も間違った操作をする可能性に気付き、エラー回避プログラムを付加した。飛行士は使わないと言ったが…。着陸時にアラームが出たときも地球との連携で20秒後には着陸継続が実行されたそうだ。今や常識になった、コンピュータが人間の間違いを補えるという発想はこれに始まる。

(恵比寿っさん 2018年5月17日)

日本・日本語・日本人/大野晋 森本哲郎 鈴木孝夫(新潮選書 本体1,200円)

 本書のオビに、「日本語を愛してやまぬ三人が、日本と日本語を軸に語り合った白熱の特別討論!』とある。3人は、大野晋学習院大名誉教授、森本哲郎 評論家、鈴木孝夫慶応大名誉教授。

本書の主な内容は4部にわたり、「第一部 日本について」では、日本という国は、古来、軸をもたない融通無碍の国である。神様の実体がはっきりしない八百万の神の国である、といった話からはじまり談論風発となる。

 「第二部 日本語について」では、現在の文学中心、文法中心の国語教育で国語嫌いになる疑問が語られ、戦後の漢字制限による国民の漢字力の低下、片仮名用語の氾濫などが語られる。

 「第三部 日本人はついて」では、歴史の中で中国、西洋、アメリカの文明を受け入れて3回も文明のパラダイム、基本的な枠組みを変えた日本人のメンタリティ、特質などが語られる。

 「第四部 英語第二公用語論について」では、まず国語教育をしっかりやるべきで、安易に英語教育を増やすのはどちらも中途半端になるとする。必要な日本人が身に着けるべき英語力は、国際交渉力、防衛攻撃力を高め、国を守り、国益を擁護するための武器であると言う。

 そして第一部~三部の終わりにそれぞれ著者1人の論稿が添えてある。第一部には、大野晋氏の「日本人は日本語をどう作り上げてきたか」という論稿があり、ここでは、著者長年の研究成果に基づき、最古の日本語の由来を南インドのタミル語に求める説を紹介し、ここからカミの概念を獲得し、さらに漢文によってホトケを拝むことを日本人は学んだと見る。それが日本の文明と文化の基礎となった。しかし日本人は、借り物に頼り、「体系的思考」に弱い。そして「感じること」をよしとするが、物事の本質を「見分けること」、そして処理する「科学的」な態度が必要だとする。

 第二部には、「日本人は言葉とどうつきあってきたか」という森本哲郎氏の論稿があり、ここでは、思考とは具体的な もの から抽象的な こと へと高まっていく、と言う。たとえば、「働く」という動作を「働き」という概念に、「寒い」という感覚を「寒さ」に、「親しい」という関係を「親しみ」にというふうに、日本語(大和言葉)でも徐々に抽象化が進んでいった。ところがその“発育過程”で漢語が入ってきて、大和言葉の概念化は漢語で代用されるようになった。それも一知半解のままで使われたので、今日に至るまで抽象語は曖昧な機能しか果たせないでいると言う。

 第三部には、「英語といかに付き合うべきか―武器としての言葉―」という鈴木孝夫氏の論稿があり、ここでは、日本は侵略的攻撃的な国で、日本人は残虐的で非道な民族だといった欧米人や近隣諸国からの非難攻撃を、まともに信じている人が少なくない。日本の千数百年ほどの歴史では、7世紀後半(660年)に、百済の求めに応じて朝鮮半島に出兵し、663年白村江の戦いで新羅と唐の連合軍に大敗した。次は何と900年以上後の16世紀末、秀吉による2度の朝鮮侵略がある。それからさらに2世紀半も後の19世紀末の日清、日露、大東亜戦争に至る50年間がある。ユーラシア大陸諸民族の戦乱に明け暮れた歴史に比べ、日本が世界と対決したのはわずか約60年である。

 その日本が戦後の経済成長で西洋先進国に追いつき追い越した途端に、経済面では自立型の国になったにもかかわらず、精神面では依然として他国に範を求める他律型のままで、国家の性格が分裂し腰が定まらない状態にあると警告する。

(山勘 2018年5月20日)

 エッセイ 
ホツマエッセイ 神社の鈴の生い立ち

 神社の正面に鈴が祀られているのは、鈴の音が神様の御霊を引き付けるためという説明が一般的のようですが、生い立ちについては、触れておらずはっきりしていないようです。

 ホツマツタヱを読んでいくうちに、日本の創世記の葦原中国(あしはらなかくに)という言葉と、この鈴(すず)が結びついているような気がしました。

 「鈴」の生い立ちについて、古代の鉄とか金属関連を調査された方々の書物などから「鈴石」であることは承知していました。鈴石と言うのは中が空洞で振ると音がする石のことで、褐鉄鉱と呼ばれる水酸化鉄「FeO(OH)」のことですが、錫とも呼ばれていたようです。

 褐鉄鉱は、場所や形状によって、鈴石、鳴石、針鉄鉱、岩壺、高師小僧とも呼ばれているようです。

 火山国日本で、葦原の生茂っている茶色に色づいている水辺は鉄分が多く、長い年月をかけて葦の根元に鉄分が吸い寄せられ、水酸化鉄の被膜となって根の周りで成長し鈴の外側のようになり、やがて中に閉じ込められた葦の根は涸れはて中で固まり、振ると音が出るようになりました。鈴の原型と言えます。

 葦は、河川や湖沼の水際に背の高い群落を形成し、水流の少ないところに育ち、多数の茎が水中に並び立つことから、その根本には鉄分を含んだ泥が溜まりやすくなっているようです。

 根っこより茎の部分に纏わりついて細長いのが高師小僧と呼ばれているものです。この形の違う高師小僧も同じ水酸化鉄でできています。鉄鐸と呼ばれているものにそっくりです。

 では、なぜ、鈴が神社の正面に祀られているのか。それは、この鈴石を溶かして生まれた鉄は非常に貴重なものであったからです。
 昭和の時代までは「鉄は国家なり」と言われてきましたが、このホツマツタヱの前半がまとめられた紀元前660年より以前の紀元前1000年以上も昔から「鉄は国家なり」であったことが推測できます。これは、縄文時代の話になります。

 さて、この褐鉄鉱と呼ばれている水酸化鉄という化合物について、驚く事実を再確認しました。今まで、漠然と見過ごしてしまっていましたが、水酸化鉄は350~400℃で分解を始めます。

 縄文土器の焼成温度は500~600℃からサンプルによっては700~800℃であったと報告されています。土器を焼く温度より低い温度で溶融できるわけです。鉄の分子そのものが完全に熔解するのではなく、不純物と分離して液状になっていきます。
 この水酸化鉄を鉄ではなく錫という表示している方もおられました。融点が低かったので勘違いされても当然だと思いました。
 私も、鉄(Fe)の熔解温度は800℃ですので、褐鉄鉱でも同じ程度の温度が必要であると思い込んでいました。今まで、想像していた以上に低い温度で溶け始めていたことを改めて認識しました。

 では、この鈴石・褐鉄鉱である水酸化鉄をどういう方法で溶融していたかですが、今までは具体的にどのような方法をとっていたか思いつくことが出来ないでいましたが、大型の縄文土器に入れて加熱していたということに合点がいきました。
 大型の縄文土器の華麗に装飾された外観は、土器の中に入れた鈴石・褐鉄鉱に少しでも速く熱が伝わり溶融するよう多くのヒレを作って表面積を大きくしたと考えられます。以前は、縄文土器のダイナミックな外観にただ感心していただけでしたが、用途が分かった上で改めて見ると納得できる外観に感心しました。

 この褐鉄鉱で作られた鉄は、権力者の象徴として、斧などに形を変えてより一層ゆるぎないものになっていったものと考えます。

ただ、ここでの完成品は通常我々が目にしている800℃以上で熔解された鉄製品とは違い、例えて言えば、漆喰のような感じのものではなかったでしょうか。硬さは得られても、耐久性については今一つと言ったところではないでしょうか。そのため、これらの製品が現存していない理由も理解できます。

 時間の経過とともに、あちこちで縄文土器によって褐鉄鉱の溶融が出来るようになると、原料となる褐鉄鉱を取りつくしてしまい、探すことも大変になって来たと推測されます。多くの臣や民の時間と労力を要して出来上がった象徴として、鈴を献上し、引き続き鈴が得られるように願ったものと考えます。

 しかし、時代と共に、この葦の根や茎に付着していた鈴石を取りつくしてしまったら、今度は褐鉄鉱が成長するまで気が遠くなるほどの時間待たなければなりません。
 早く葦原で再生できるよう土の神や水の神に祈った化身が、銅鐸となり、鉄鐸となったのではないでしょうか。

 併せて、大陸に褐鉄鉱を求めて、あるいは新たな製鉄方法を求めていたことが考えられます。
後に、大陸から大量に砂鉄を使ったタタラ製鉄が導入されるからです。
 これは、当時の産業革命です。
褐鉄鉱・鈴石を何十年、百何十年と待つことなしに、川砂に含まれている砂鉄から鉄を作り出すことが出来るようになったからです。
 
そうなると、鈴石が早く成長できるようにと祈っていた銅鐸の存在価値が忽然と消えてしまいました。

 ここで、新しいたたら製鉄を採用する者と、今までの鈴石からの方法にこだわっていた者の間で、いろいろな争いごとが起こります。

 ホツマツタヱ34綾に「いずもをまつってください」という歌が暗示しています。

    ねみかがみ みそこたからの (み=3、そ=10、こ=9→39)
    みからぬし たにみくゝりみ
    たましづか うましみかみは
    みからぬしやも

 賀茂岩倉遺跡から39の銅鐸が出現しましたが、ホツマツタヱの記述の中に、「39体の「みからぬし」(銅鐸のこと言っていると思う)を谷底に置いたままになっている」が、まさにこの状況であったと思われます。
このホツマエッセイのきっかけは「御柱祭 火と鉄と神と 縄文時代を科学する 百瀬高子著 渓流社 2006年7月」を読んで今まで漠然としていた個所がはっきりしたからです。ありがとうございました。
                                       (ジョンレノ・ホツマ 2018年5月17日)
2018/5/17
ジョンレノ・ホツマ

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「客引き国家」ニッポン?

 カジノ法案のことを書きたいのだが、その前に、“受難”が続く安倍政権の状況に触れておきたい。いま安倍氏自身の政治手腕が問われているわけではない。本命のアベノミクスは、必ずしも成功しているとは言い難いものの、歴代政権の経済政策に劣っているわけではない。外交政策には安定感がある。安倍は北朝鮮問題でカヤの外に置かれている、などと非難するのは酷である。立派に韓国や米国に働きかけている。“モリ”はまずかったが、“カケ”は非難されるほどまずいものではない。

 それにもかかわらず、昭恵夫人や友人大臣や秘書や官僚や自衛隊やらに、とりわけ政策なき野党に足を引っ張られて、政策運営も国会運営もままならず、9月の総理3選も容易ではなくなってきている。まことに気の毒としか言いようがない。

 と、ご同情申し上げた上で、少しアベノミクスにモノ申したい。なによりも政府のやるべき肝心の岩盤規制緩和や経済成長政策に力がない。やっていることは日銀の金融政策による物価上昇を頼み、それによる企業の賃上げや設備投資の回復を願うなど、経済政策は“他力本願”である。加えて「働き方改革」が最重要課題だなどと、本来産業界のやるべき“周辺対策”に力を入れている。

 そして今度はカジノ法案である。安倍政権は先月4月、念願のカジノ法案を閣議決定した。経済成長の重要な柱として、この、カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案を今国会に上程するという。公明党にはカジノ法案に賛否両論があり、日本維新の会は導入に前向きだといわれるが、立憲民主党や共産党などほとんどの野党は、ギャンブル依存症が増えるとか、マネーロンダリングすなわち不正な金の“資金洗浄”に使われるとか、暴力団の介入を招くなど、予想される悪影響を挙げてカジノ法案に反対している。

 事の始まりは、2010年に発足した「国際観光産業振興議員連盟」、通称“カジノ議連”である。当初、社民党と共産党を除く200名を超える超党派国会議員が参加した。目的はカジノの合法化による観光産業の振興と、パチンコ景品の換金を合法化しようということだった。これに多くの議員先生たちが熱くなったというのが解せない。そもそもカジノ議連設立の動機が不純だったと思うのは私だけだろうか。

 最近、テレビを漫然と見ていたら、だいぶ以前にカジノ賭博で名を挙げた?大王製紙元会長の井川意高氏が出ていて、賭博にハマった経緯を淡々と語っていた。あれから20年経っているという。最初は家族旅行の折りにカジノに立ち寄って、100万円掛けたら2千万円になったのが病みつきの始まりで、2度目は200万円を持って出かけ、たちまち掛け金はウン千万円から億の単位になったという。現地では顔が利くようになり、しまいには、ホテルのスイートルームをタダで提供され、掛け金はいくらでも借りられるようになっていた。バレた時には100億円超をつぎ込んでいた。これでは自社はおろか系列会社まで巻き込んで掛け金を“徴収”しなければ間に合わなくなっていたわけである。

 ギャンブル依存症対策では、安倍首相も公明党や野党に気を使って、日本人の入場回数や掛金の制限などを検討しているというが、先の井川氏は、日本でカジノが開設されれば賭博マニアが増え、日本ではすぐに顔を覚えられたりしてやりにくくなるので、自分と同じようにたちまちシンガポールやマカオに出向くだろうと言っている。“専門家”が言うのだから、この予想は当たりだろう。

 ありていに言えば、今カジノ法案を急ぐのは、中国人観光客の「爆買い」が山を越えたところで、それどころでない大儲けができるカジノ賭博で外国人観光客を呼び込もうという作戦である。モノづくり日本を大事に思う者としては、観光立国とか観光大国などという旗印にさえ違和感を覚えるが、これ以上節操のない“客引き国家”ニッポンに堕落することだけはごめん被りたい。

(山勘 2018年5月20日)
漂流する「憲法9条」

 安倍内閣だからこそ憲法改正にこぎつけたが、安倍内閣だからこそ憲法改正がつぶれる、などと揶揄される憲法改正問題だが、その先行きには暗雲が漂っている。改憲の目玉は、戦争放棄の9条である。私は、先に、なぞなぞ「憲法9条」というエッセイを書いた。16項目の設問にイエス、ノーで答えてもらい、イエスが多ければ自衛隊違憲論、ノーが多ければ合憲論になるしかけだ。

 具体的な“なぞなぞ”質問の例を挙げれば、①現行の憲法「第9条」についての質問では、『「武力」とは、自衛隊の保有する「戦う能力」である イエス ノー』。②自民党の改憲案についての質問では、『「自衛隊を保持する」というのは、現行9条の「武力の否定」と矛盾する イエス ノー』。③自民党改憲案の修正案についての質問では、『「必要な自衛の措置」とは、「自衛隊の実力行使」の意味である イエス ノー』といった具合の16問である。答えてくれた人の多くが違憲論だった。

 要するに、9条を論理的に解釈するか、政治的に解釈するかがいま問題となっている。それで想起されるのは、自衛隊の合憲性について争われた長沼ナイキ事件である。この、北海道・長沼町における航空自衛隊のミサイル基地建設を巡る反対住民と国の係争で、住民側は、自衛隊は違憲であり、国有保安林指定のある基地建設予定地の「保安林指定」の取り消しは違反だと訴えた。

 一審の札幌地裁は、「自衛隊は憲法9条が禁ずる陸海空軍に該当し違憲である」として、明確に初の違憲判決を出した。しかし、二審の札幌高裁では、憲法判断を避け、「高度に政治性のある国家行為は司法審査の範囲外にある」として一審判決をしりぞけた。上告された最高裁は、原告の訴えは「利益」のない訴えで、原告は「適格」でないとして棄却し、「違憲審査」を回避した(昭57)。

 言ってみれば、一審判決は、まともな(あるいは青臭い)憲法判断であり、二審および最高裁の判決は巧緻な(あるいは狡知な)政治的判断である。前者は、国際情勢の変化を見ず、いまだに自衛隊の違憲を主張する多くの憲法学者の立場であり、後者は、70年以上も9条解釈の屋上屋をかさねて“解釈改憲”をしてきた上に、今、安倍内閣が狙っている政治的改憲につながる流れである。

 自民党内でも、石破茂元幹事長は、論理的に9条の違法性を指摘した上で、実力組織としての自衛隊(名称は変えても)を明確化した改正をすべきだとしている。安倍首相もその違法性を認識していながら、公明党や野党などに気兼ねして、国会通過と国民投票を得られやすいように、9条に手を付けず、付加条項で自衛隊を認めさせようという“妥協案”を提起しているのである。安倍首相の改憲案では、現憲法と現自衛隊が71年間背負い続けた“違憲性”が残り続けることになる。

 問題は、国民の多くが自衛隊を「合憲」だとしていることである。マスコミの両雄?朝日と読売の直近の世論調査によると、朝日新聞では、安倍政権のもとでの憲法改正は「反対」58%、自衛隊は「憲法違反」23パーセント、「違反していない」、つまり合憲65%、となっている。読売新聞では、憲法改正「賛成」51%、自衛隊「合憲」76%となっている。この調査結果は両社の“体質”を反映させているが、注目すべき点は、朝日でさえも?自衛隊「合憲」が65%と高いことである。

 誤解を恐れずに言えば、国民的論議の不十分な現時点で、自衛隊は合憲か違憲かを国民に問うのは問題ではないか。自衛隊は合憲だと答えた国民の中には、現に存在し、災害などで活動している自衛隊に対する肯定的な認知を単純に表出した人も少なくないのではないか。しかし国民の平均的な国語力レベルで冷静に9条を読み直せば、自衛隊の「違憲性」に気づかないはずはない。憲法の“漂流”はどこまで続くのか分からないが、拙速の改憲は避けるべきではないか。

(山勘 2018年5月20日)

認知症の予防
 「認知症で徘徊する老人」や「認知症のドライバーが道路を逆走」など、認知症によるトラブルが昨今増えてきた。かく言う私も今や後期高齢者。多少なりとも知的職業に従事してきた者にとって、ある日突然馬鹿になるという恐怖は耐え難い。ことによるともう仲間入りをしているかもしれないが、先ず実態を知ろうと区内図書館の蔵書検索を行った。

 最初に「ボケ」をキーワードに検索したら何と4987件ヒット!これは関連表題も含むためで、目的の本を拾い出せない。キーワードをずばり「認知症」に切り替えて検索したら564件に縮小したが、まだ膨大な数である。つまり、認知症は今日の社会にとって大問題なのだ。これ以上の絞込みは難しいので、興味を引く題名の本を7冊ほど借りて目を通した。著者の視点と専により強調する領域は異なるが、読んでためになりそうな本を紹介する。

 先ず奥村歩著「MCIを知れば認知症にならない」という本を見つけ、「MCIとは何だ?」と疑問を持った。これは正常と異常の中間段階で、MCI(Mild Cognitive Impairment:軽度認知障害)というのだそうだ。認知機能(記憶、決定、理由づけ、実行など)のうち1つの機能に問題が生じているが、日常生活には支障がない状態である。同じ著者の「ボケない技術」にはMCIの自己診断リストがあり、試しにやってみたらもう少しでMCIに分類される設問に当たりヒヤリとした。この本の後半には、ボケ防止に役立つ趣味、食事などの紹介があるのは親切である。
 
 広川慶裕(よしひろ)著「あなたの認知症は40歳からわかる」は著者が認知症予防医を名乗るだけあって、MCIの診断法と治療法について述べている。認知症は一方的に悪化するだけではなく、進行を遅らせたり、状況を好転させたりできるのだそうだ。治療可能と聞いてMCI一歩手前の私も俄然元気が出た。歳をとれば行き着く先は認知症と諦めず、この世にある限り生き生きと頑張ろう。
 
 以下同書が勧める認知症への対策を列挙する。
 
 食事は食べ過ぎず、良質の蛋白質やビタミン、ミネラルを十分にとる。
 漢字・計算ドリルなど脳トレを行う。
 ATP産生を助けるサプリメントをとる。必要に応じ点滴療法もあり。
 症状に合わせアリセプト、リバスタッチなど薬物を服用。
 家族の精神的なサポート

 ここまで書き終わった翌日近くの老人福祉施設で、「認知症サポーター養成講座」なる講習会があり、家内と一緒に受講した。講師の専門家の話によると、85歳の4人に一人は認知症だそうだ。日本では全国で約1万5千人が徘徊で保護され家に戻されるが、200人弱は完全に行方不明になるとのこと。

 この講座では認知症の予防策に重点を置いていたので参考になった。講師がまず強調したのは、「家に引きこもらず外に出よ」である。外に出れば人と言葉を交わし、新しい情報も入る。よって脳が活性化する。人の面倒を見る役割を分担できればさらによい。逆に外に出ないと刺激が無く脳が萎縮する。うつ状態となりますます外出困難となる負のスパイラルに陥るとのこと。

 最後に「脳の活性化にもっとも効果的なのは恋をすること」と強調していた。「人間いくつになっても枯れてはいけない」と肝に銘じておこう。

 以上で終わりにしようと思っていたら、NHKテレビ「ためしてガッテン」で「物忘れ&認知症を予防!“記憶物質”大発見SP」という、正にそのものズバリの番組があった。内容を一言でいうと、「頭を働かせるにはインスリンが糖を脳内に取り込む必要がある。ところが血糖値が高くなり過ぎると、膵臓で作られるインスリンが途中で消費され、脳まで届かなくなり、脳は糖不足になり活動が弱まる」のだそうだ。

 対策としては甘いものを控え、食事も糖質を制限するとよい。運動もインスリンを増やすのに役立つ。対策を実施したところ認知力が向上し理論が実証された。海外では鼻からインスリンを吸入し認知症を治療する臨床試験が始まった。わが国ではいつ実用化されるのだろうか。
 
(2018年5月25日 狸吉)