例会報告 |
第65回「ノホホンの会」報告 2017年3月24日(金)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議 室、参加者:狸吉、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問) 今回も早々に書感を投稿した致智望さんが急な事情で欠席となり、残念でした。「語彙力…」は日常の会話や読書から思い当たることしきりです。「病から…」も、最新の西洋医学の限界から漢方を模索するテレビドキュメントを観たばかりで、これもタイムリーでした。「財務省と…」からの皆さんの共通の感想は、「増税する前に国がやるべきことはたくさんある」。社用族と役人、他人の金を自分の金のように無駄使いする2大悪です。 致智望さんの「日本がやばい」は、次回に発表をお願いします。 (今月の書感) 「語彙力こそが教養である」(狸吉)/「潰えた野望」(本屋学問)/「財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済」(恵比寿っさん/「大同類聚方」探索「病から古代を解く」(ジョンレノ・ホツマ)/「仁義なきキリスト教史」(山勘) (今月のネットエッセイ) 「「正論」不要、「ポスト真実」の時代」(山勘)/「正月映画「沈黙」からの歴史的“雑念”」(山勘) |
書 感 |
潰えた野望─なぜバーグマスター社は消えたのか/マックス・ホーランド著 三原淳雄・土屋安衛訳(ダイヤモンド社 1992年3月 本体2,718円)
アメリカのコングロマリット(複合企業)フーダイ社(当時)は1983年、日本政府が工作機械業界と共謀してアメリカに不公正な輸出をしているとして、関税障壁を設けるようアメリカ政府に要請した。1年後、当時のレーガン政府はこれを却下するが、このことが本書を執筆するきっかけになったと著者は書いている。というのは、著者の父親はフーダイ傘下の名門工作機械メーカー、バーグマスター社で30年間技術者として働き、父から聞いていたバーグマスター社の内情とフーダイ社の主張があまりにも違っていたからだ。 タレットボール盤やマシニングンタの先駆者として有名なバーグマスター社は、創業者バーグをはじめ職人気質の技術者集団だったが、1960年代になるとアメリカの工作機械産業全体が日本との熾烈な競争に入り、業績が悪化する。一方、無反動砲を発明したフランスのフーダイの特許と名前を買い取ったフーダイ社は、自動車用ショックアブソーバ始め自動車部品、建築資材、工具、工作機械、配合飼料まで手掛ける“コングロマリット”の代名詞ともいえる企業に成長した。 |
財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済/上念 司(講談社+α文庫 本体880円 2016年9月20日初版一刷発行) 著者紹介 じょうねん・つかさ 1969年東京都に生まれる。中央大学法学部法律学科卒業。 日本長期信用銀行、臨海セミナーに勤務したあと独立。 2007年、勝間和代氏と株式会社「監査と分析」を設立し、取締役・共同事業パートナーに就任。 2011年の東日本大震災に際しては勝間氏と共に「デフレ脱却国民会議」を設立し、事務局長に就任。 震災対策として震災国債を日本銀行の買いオペ対象とすることを要求。白川明総裁までの日本銀行の政策を強く批判してきた。著書に『「日銀貴族」が国を亡ぼす』(光文社新書)、『異次元緩和の先にあるとてつもない日本』(徳間書店)、『経済で読み解く大東亜戦争』(ベストセラーズ)などがある。2008年退官。
まえがき なぜ彼らは700兆円の政府資産を隠すのか 日本経済の実力と官僚・記者の実力 日本国の財政の嘘 税と金利と社会保障の真実 日本と中国とEUの近未来 あとがき 日本経済を貶める行為の本質
日本はGDPの2倍の借金を抱え、その金額は≒1000兆円、国民一人当たりにすると≒830万円。 ずっと以前から言われてきていることで、日本は破産するかもしれないと不安を駆り立てて、挙句の果てには消費税増税を煽り立てている節がある。 |
「大同類聚方」探索「病から古代を解く」/槇佐知子著(新泉社 1992/8初版、2000/6改訂版発行)
ホツマツタヱの記述には、ありとあらゆる分野の記述が織り込まれているので、専門分野や得意な分野の事であれば、おおよその解釈はできますが、それ以外のことについては思い込みで的外れの解釈をしてチンプンカンプンです。 全てを知り尽くしている人はいないと思います。そこで、解らないなりに解釈するために、先人者の解釈を良しとしてそのまま引用したりしています。100人いたら100通りの解釈があると言われるのも頷けます。
病気の症状、草木や鉱物の薬効や薬名などの他に、多くの処方された人の名前などを読み解いていくと、新たな発見が見えてきます。 大陸から伝えられたものがあったにせよ、漢方とは違う日本古来のものがあったと解釈できるのではないかと思えます。 ホツマツタヱを解読するのに、この分野の記述を確かなものにすべき非常に貴重な本であると思いました。 多岐にわたるため、いくつかの記述のみ取り上げてみました。
花鎮(はなしずめ)薬 (花鎮祭) 桜の花が散るとき、疫病の気が四方に飛び散って流行すると考えた古代の人々が、これを鎮めるために、桜の花と桃の樹皮を用いた。 これは、大神(おおみわ)神社に伝わっている薬方で、ここの御祭神はオオナムチ(大己貴命)とスクナヒコナ(少彦名命)で、我が国の医業の鼻祖として広く知れ渡っている。
桃は中国原産と言われていますが、ホツマツタヱ24綾の記述の中に、ウケステメ(後のニシノハハ神・西王母)が2回来日して、ミネコシ(峰でも使える輿)を寄贈されたお礼に桃を土産に持たせています。これが国に帰ってから貴重なものとして広まったことが原産地になってしまったと思われます。
やまごぼう・葛根・朴皮・はじかみ・セッコク(ラン科)を配合する。
カハヤナギ(ネコヤナギ:解熱剤・下痢)・ツチタカラ(独活:解熱・鎮痛・発汗)・ハチスノミ・ヤマセリ・カラスクハヒ(滋養を与え虚寒の症状を正常に)の薬草を配合する。
なお、著者は平安・鎌倉時代にかけての「医心方」全30巻の翻訳もされております。 「自然に医力あり」(スギ花粉症の治療法と杉の文化史・自然の癒し・医心方の世界・夏から秋にかけての健康法・古代人の健康法に学んで等々)や、「野菜の効用」(医心方4千年の知恵から)なども刊行している。 |
仁義なきキリスト教史/架神恭介(筑摩書房 880円+税)
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語彙力こそが教養である/斎藤孝(角川新書 2015年 本体840円)
本書は語彙の豊かさは教養に比例する。その語彙を増やすにはどうすればよいか、具体的に解説している。
著者はまず何故語彙力が必要かを説く。日本語の90%を理解するのに必要な語彙は約1万。これに対し英語は3千、フランス語。スペイン語は2千で大きな差がある。覚えるべき語彙が多いのは負担だが、複雑な内容を短く的確に伝えることもできるのだ。
話し相手との会話の中に気の利いた言葉が登場した際、それを生かした応答が続けば、互いに相手の教養レベルを同程度と理解し、以後有意義な時間を持てるであろう。逆に最初のやり取りが理解できぬと、「この人はレベルが低い」と判断され、以後蚊帳の外に押し出されてしまう。よって、相手にさりげなくこちらの教養レベルを知らせるため、常に語彙を増やしておく必要がある。
語彙は単に言葉の意味を知るのとは違う。どのような場面で使われるか、文章の要素として覚えこむ必要がある。そしていつでも使えるよう頭に叩き込まなくてはならない。そのために効果的なのはよい文章の素読・音読である。続いて、毎週3冊本を読め。難しい本も読め。ミステリーもいいぞ、インターネットも活用せよ、などいろいろ役に立つ助言が並ぶ。論語、三国志、徒然草、平家物語など具体的な書名が挙げられているのも有難い。
著者の説くところはすべて説得力があり、まことにもっともである。その一方、著者は語彙を増やすため、週末にNET配信の映画を9本も見て、録画番組は溜まる一方。買った本もつんどくが増えて行くと嘆いている。著者のようにモノ書きが本業ならばそれでもよいが、本業の合間に本を紐解く大方の読者にとって、そこまで徹しきれぬのではないか?
また、「同じ教養レベルの者同士でないと有用な情報交換はできない」こともよく分かる。しかし、話題によっては仕方の無いことであろう。たとえば囲碁、カラオケ、ゴルフなど趣味について一方がまったく無知な場合、相手は教えることに徹するか、話題を変えざるを得ない。本書の教えを生かすには、それが通用する世界を見定める必要があると感じた。
先日、カフェ「オモンパカル」なる店を名前の由来を聞いたら「慮る」!「慮る」は「オモンBAカル」と長年思い込んでいたが、何と「オモンPAカル」が正しいのだそうだ。歳をとってもまだまだ学ぶことはあるものだ。 |
エッセイ |
「正論」不要、「ポスト真実」の時代
私が所属する美術団体の委員会のあと、たいてい数人の仲間と一杯やる。メートルが上がると会議への不満が出る。意見が通らない腹いせから「正論は通らない」というグチが出た。これに「いや正論は必ず通る」と反論が出る。私は「通らないのが正論だ」と混ぜっ返した。そもそも「正論」とは何か。人生を長年やってくると?世論をリードする「正論」や、世の中で行われている一見「正しい」ことのうさん臭さが見えてくる。 |
正月映画「沈黙」からの歴史的“雑念”
正月には、いい映画を一本観たいと思って選んだのが、遠藤周作原作の「沈黙-サイレンス-」である。舞台は江戸初期。ポルトガルのキリスト教司祭2人が、先に渡日した師と仰ぐ司祭が棄教したという噂を信じられずに、真実を探るべく、キリシタン弾圧下の長崎に潜入する。そこでは、隠れキリシタンの日本人たちが棄教を迫られ、厳しい拷問を受けている。 そして棄教した司祭は江戸に移され、死去した人の戸籍と名前とその妻と子を当てがわれて、転びバテレンとしてひっそりと生きる。しかし「私はあの人(キリスト)を裏切ってはいない」と信じ、「今までと違ったかたちであの人を愛している。私がその愛を知るためには、いままでのすべてが必要だったのだ。私はこの国で今でも最後の切支丹司教なのだ。そしてあの人は沈黙していたのではなかった」と顧みる。30数年を生き、齢64でこの世を去る。 |