例会報告
第71回「ノホホンの会」報告
 

 2017年10月25日(水)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

衆議院選挙直後の例会でしたが、与党圧勝という最終的には予想された結果のためか、選挙結果に対する意見もあまりなく、静かに始まりました。今月は韓国関連の書感が2冊紹介されましたが、山勘さんの「明治維新から見た…」は、次回に紹介ということになりました。ご了解ください。 

相変わらず国際経済問題が話題に上り、基軸通貨のドル以外にポンド、円、元と実勢経済の力関係が微妙に働いて、どれを持っていれば一番安全なのか、興味津々です。次回も活発な議論の展開を期待しています。

 (今月の書感)

「韓国人に生まれなくて良かった」(恵比寿っさん)/「明治維新から見えた日本の奇跡 中韓の悲劇」(山勘)/「金融の世界史:バブルと戦争と株式市場」(狸吉)/「『小池劇場』が日本を滅ぼす」(本屋学問)/「99%の人類を奴隷にした闇の支配者最後の日々」続編(ジョンレノ・ホツマ)

 (今月のネットエッセイ)

「総選挙」(致智望)/「厄介な腫れ物?『憲法9条』」(山勘)/「裸の王様『憲法9条』」(山勘)/

「ホツマツタヱ・エッセイ/斎宮」(ジョンレノ・ホツマ)

 (事務局)

 書 感

韓国人に生まれなくて良かった/武藤正敏(悟空出版 2017年6月1日初版第一刷発行 本体1,250円)

商品の詳細むとうまさとし

1948年東京都出身。横浜国立大学卒業後、外務省入省。韓国語研修の後、在大韓民国日本大使館勤務。

参事官、公使を歴任。前後してアジア局北東アジア課長、在オーストラリア日本大使館公使、在ホノルル総領事、在クエート特命全権大使などを務めた後、2010年在大韓民国特命全権大使に就任。2012年退任。

著書に「日韓対立の真相」、「韓国の大誤算」がある。

 

はじめに

序章 (ムン)在寅(ジェイン)クライシスが日韓を襲う!

最悪の大統領 文在寅とは何者か

執拗な「反日の嵐」が吹き荒れる

国家も国民も孤立してゆく韓国

こんな過酷な社会では生きて行けない

宥和がさらなる金正恩の暴挙を招く

おわり

 

こんな酷いタイトルの本を元韓国大使が書くなんて非常識のように感じましたが、読んでみて納得。本書は、韓国国民による今回の政治選択が、これからの韓国にとって、そして日本や関係諸国にとってどのようなリスクがあるかを検証し、強く警鐘を鳴らすことだと「はじめに」に書いている。

私は韓国人の文化や思考様式に最近疑問を感じていた一人なので、著者の見識に脱帽です。著者は感情的にこういうタイトルにしたわけではなく、内容が大変に冷静客観的に書かれていて、非の打ち所がない記述になっています。韓国人とはどういう人達か、という点でこの本は総集編と言えます。

内容は、日本人が読むよりも韓国人に読んで欲しいものです。

怒りにまかせて何も見えなくなる国民性←よくもまあここまで言い切っていますが、私も最近そう感じていたので腑に落ちます。

新大統領は蘆武鉉大統領の最側近で人権派弁護士、世論の風を巧みに読んで今次選挙で当選した。北朝鮮のことしか考えていなかった(過去形で表現している)とか、北の核開発は理解できるとか、頭の中は歴史問題と領土問題だけ、北の核とミサイルの脅威を理解できない指導者だと著者は言う。

国民自身が今回の選択の持つ意味を自覚していないのではないか、と恐れている。怒れる中道層が迎合してしまった結果がこの大統領の誕生、後悔するときが来るのではないかと心配している。経済音痴の大統領は「あり得ない韓国を夢想」していて、国をどん底に突き落とす、とも。

 

韓国は形の上では法治国家だが、「正論の言えない情治国家」と言い切っているのは至言。

表紙裏には「喜ぶのは北朝鮮と中国、怒るのは日米、そしてシワ寄せは国民に・・・」とても無理、韓国人はたまらない、と著者は嘆いています。

韓国人は現実を直視せず「こうあって欲しい」という期待感だけで北の動向を判断している、という指摘も的を得ているように思います。

隣同士の国でこんなにも違う日本と韓国の国民性。これが民力の差になっているように思え、私も韓国人は絶対にたまらないと思う。しかし、日本が好きなのに好きと言えない韓国人の気持ちも分かる。

(恵比寿っさん 2017年10月20日)

明治維新から見えた日本の奇跡 中韓の悲劇/加瀬英明・石平(ビジネス社 本体1,200円)

 

本書のオビに「繁栄VS.衰亡という行く末はすでに150年前に決していた! 中国と韓国が未だに近代化できない本当の理由」とある。さらに、「なぜ中国はアヘン漬けになり、韓国は中国の属国であり続けた一方、日本は独立を貫けたのか」、「日中韓が未来永劫分かり合えない理由を歴史的大局から読み解く!」などとある。

著者の加瀬氏は国際派の評論家、石氏は中国出身の拓殖大学客員教授。加瀬氏は「まえがき」で、「日本も中国も古代につくられた雛形から、まったく変わっていない」といい、「中国は陸の文明」であり「日本は海の文明」だという。そして「陸の文明は傲慢で独り善がり」であり「海の文明は解放的で謙虚」だという。

それについては本文でも、日本と中国では国の雛形がちがうといい、例として中国の皇帝は「覇者」であり「先制主」だが、日本の天皇は「祭主」であり「対極にある」という。中国の皇帝にとっては天下万民すべてが私有財産だったが、日本の天皇は権力を持たない最高神だったという。

そのような天皇のもとに武家社会があり、なおかつ社会の主役は庶民だったとする。とりわけ「黄金の徳川時代」は庶民が主役で、例えば安土桃山時代のヨーロッパ向けの最大の輸出品は、日本独特の“流し漉き”による紙製品だった。職人に対する扱いも対照的で、中国・朝鮮では最下層として蔑視の対象だったが、日本では職人の技術が評価され大切にされた。日本では武士が能をたしなめば庶民は歌舞伎や浄瑠璃を楽しんだ。ヨーロッパ美術界に影響を与えた浮世絵もある。彼我の社会や生活の違いに糞尿、ゴミ、飲料などの清潔さの違いもあった。江戸の町は奉行所の役人が町民4700人に1人で足りるほど安全だった。

こうして黄金の徳川時代を過ごした日本にとって、文明開化は必要なかったと本書はいう。日本では薩英戦争などローカルな戦争で敗戦を体験し、薩長が攘夷の旗を捨てて開国に向かったが、中国・元は絶対的な権力を持つ皇帝が変革の妨げとなった。たとえば中国では統治思想だった儒教を日本では精神修養の思想に変えてしまった。中国に次いで日本を食い物にしようと乗り込んだ英米だったが日本の文化、文明度は中国の比ではなかった。中国は西洋と同じで父権的で衝突するが、日本は自国を母国といい、母性的で柔軟に相手のいいところは取り入れる。したがって日本は中華化も西洋化も文明開化も必要なかった。

中国の策略で、龍の爪は5本あるが、朝鮮は4本、日本には3本しか許されなかった。そう思い込まされていたのか、長谷川等伯の善女竜王像や葛飾北斎の版画の龍も3本だという。韓国は、日本は龍の爪が3本しかない国だと言って威張っていた。小中華であることを誇りにしていた李氏朝鮮は科挙制度を続け、両班の横暴を続けてきた。その反面で、韓国人ほど自虐的な国民は珍しいと本書は言い、アメリカが背後にいなければ北朝鮮のような王朝国家になっていただろうと言う。

本書の「あとがき」で、石氏が、「中国は近代化に失敗して一人前の近代文明国家になり損なった」のに日本にそれができたのは、近代以前に「日本はすでに近代という時代を先取りした立派な文明国家だった」と言い、それを確認することが「加瀬先生との対談の核心的部分であった」と言う。揺れる国際社会の中で、揺れてはならない日本人としての誇りを取り戻せる一書である。

(山勘 2017年10月21日)

金融の世界史:バブルと戦争と株式市場/板谷敏彦(新潮選書 2013年5月)

 

本書の紹介文に、「シュメール人が発明した文字は貸借記録の必要に迫られたものだった。ルネサンス期のイタリアに生まれた銀行・保険業と大航海時代は自由な金融市場をもたらし、国家間の戦争は株式・債券の基を創った、そして今日、進化したはずの国際市場では相変らずデフレ・インフレ・バブルが繰り返される…人の営みとしての「金融」を通史として俯瞰する試み」とあるのを見付け、興味をそそられて読み始めた。因みにこの紹介文は大手出版社が共同運用中の「BOOKデータベース」から引用されたもので、プロの手で簡潔に内容が要約されている。

 

さて、プロの要約以外に、自分で読んで興味を覚えたところ、感心したところを以下に記す。

 

1) p20-24:文字は取引や在庫管理の記録を付けるため発達した。たしかに歴史や文学は口承でも用は足りる。

2) p31-36:13世紀の旅行家マルコポーロは、中国では紙幣が流通しているのを見て衝撃を受けた。金貨や銀貨より紙切れに値打ちがあるのは、強い権力機構が存在しているからである。

3) p51-52:私有財産はローマ法によって守られるようになったが、現代でもドイツのハイパーインフレや日本の預金封鎖など、国家権力に財産を突然奪われた例がある。

4) p53-59:金融と宗教は密接に絡み合っている。ユダヤ教は同胞からの利息の受取を禁じたが外国人からは許した。このため、古くダヤ人は金貸しとして利用され、かつ憎まれた。

5) p59-67:金利計算・簿記の必要から数学が発達した。しかし、計算に便利なアラビア数字は、印刷機の発明以前はあまり普及しなかった。手書きでは1を7に、0を6になどと変造できたからである。

6) p71-89:ヨーロッパは大航海時代を経て世界に勢力を広げた。初期の探検航海を支えたのは後援者の出資金である。これが無ければコロンブスの新大陸発見もなかったろう。

7) p79-:「ドル」の起源はドイツの「ターラー」銀貨から。16世紀にドイツで銀山が開発され、ここで鋳造された銀貨がスペインでドレラと呼ばれ、19世紀の日本に到来して日本人はドルと呼ぶようになった。

8) p90-96:日本には金剛組という世界最古の企業がある。西暦578年に聖徳太子が四天王寺を建立した際、百済から呼んだ宮大工が起源で、現在1400年以上の伝統を保っている。ここにはヨーロッパにおける法人の概念の成立が論じられており興味深い。

9) p99-102:オランダでは1630年代にチューリップの球根が投機の対象となり、珍しい球根一つで家が買えるほどになった。ところがある日突然価格が暴落し、多くの人々が財産を失った。人間はこれに懲りず、その後何度もバブルの形成と崩壊という愚行を繰り返している。

10) p101-111:損害保険はロンドンのコーヒーハウスに集まる人々の会話から始まった。ここで交わされる情報で危険性の予測ができ、保険料率が定められた。

11) p129:堂島米相場会所は世界初の先物取引市場。鎖国時代のわが国が欧米に先んじて、このような制度を整備していたとは、驚くと共に先人たちの知恵に敬意を表する。

12) p143-197:何事も結局は金。南北戦争の資金調達のため双方で戦時国債を発行したが、多くの買い手を集める必要があった。北軍政府の販売を委託された民間会社は全米に販売員を送り出し、電信網を利用して各地の情報を集めた。ときには南軍にスパイを送り込み、南軍の前線が命令を受ける前に、次の行動を察知していた!

日露戦争も資金集めが大変だった。当初絶望的と見られた日本はユダヤ資本の後押しで起債に成功し、戦争遂行に十分な軍資金を得た。その後の戦況、中でも日本海海戦の結果を見た投資家がロシアの国債を買わなくなり、ロシア政府は講和交渉を始めざるを得なかった。日本は当てにしていた賠償金が取れず、戦後多額の負債を抱え込んだが、第一次世界大戦の利益ですべて返済した。(完済は昭和62年とのNET情報があるが真偽不明)

第一次大戦で敗れたドイツのハイパーインフレーションは物凄く、ポンドレートは戦前の1兆分の一にまで下落した。物価は暴騰し、紙幣と食料の交換ができなくなってインフレが収まった。

フランス政府は苦境に陥ったドイツに救いの手を差し伸べず、逆に賠償金支払いの遅延を咎めルール地方を接収した。これが後にナチス台頭の引き金となる。

 

政治・軍事・技術などの観点から記述された歴史は多数読んだが、経済・金融を軸とした歴史には始めて出合った。これまで見たことの無い舞台裏を見るようで興奮を覚える。本書を読み終え、歴史はすべて金で動いていることが理解できた。金融の門外漢にもよく分かる解説をして下さった著者にお礼申し上げる。

(狸吉 2017年10月22日)

「小池劇場」が日本を滅ぼす/有本 香(幻冬舎 2017年6月20日第3刷発行 本体1,300円)

 

著者は1962年生まれで、旅行雑誌や広報誌の編集を経て国際関係や民族問題に関する取材経験が豊富というジャーナリスト。行政の不作為で中国系資本が日本国内の山林を買い占める実態をレポートするなど、最近は国内問題にも意欲的に取り組んでいる。

何とも挑戦的なタイトルである。目次には、「小池劇場の始まり」、「石原慎太郎という敵」、「メディアが共犯者」、「小池百合子という政治家」、「築地市場の不都合な真実」、「東京を取り戻せ」と刺激的な見出しが並ぶ。

著者は「はじめに」で、「『小池ファースト劇場』とは何なのか? と問われたら、その中身は空っぽ、何もない、と答えるほかはない」と書き出し、「本書は小池個人や政界ゴシップを書き連ねることを主旨としていない。今の日本に巣食う病理を明らかにしようという試みである」と結んでいるが、小池百合子シンパには到底読むに堪えない内容で、著者は明らかに小池百合子が嫌いである。

一方で、石原慎太郎元東京都知事や舛添要一前知事、都議会自民党の古参議員たちへの評価は悪くはなく、石原慎太郎は一見ワンマンにみえるが実は職員の提言をよく聞いたとか、舛添要一は豊洲市場問題で公正な判断をしたとか、小池新知事との写真撮影を拒否して直後の都議選で落選した大物議員は実際は経験豊富な実力派だとか、それはそれで著者なりの見方があるので、ある程度はそれらを考えながら読む必要はあるが、小池新都知事に対して“王様は裸だ”といえる数少ない視点から書いていることは明らかである。

著者は小池都知事の政策に対して本書の随所で、「ビジョン・政策がなく、正当な手続きがなく、ファクトに基づくロジックがない」、「誤認だらけの豊洲移転延期、東京五輪への根拠のない見直し、人気取りだけのパフォーマンス」、「都民の声を聞くといいながら、側近の声しか聞かない」、「空疎なスタンドプレイを繰り広げる『小池劇場』と日本は心中するのか」など、これでもかと過激な字句を並べ立てて小池百合子を批判している。

小池百合子は、「都議会冒頭解散」、「利権追及チーム」、「舛添問題の第三者委員会設置」という、具体的な都政にはあまり関係のない選挙公約を掲げて当選したが、舛添前知事の卑しさや豊洲新市場の盛り土問題での東京都の不明朗さが小池の好餌となった面も否定できない。小池都知事の誕生はいわば敵失によるもので、もし本書が都知事選挙前に出版されていたら、あるいは投票の行方にかなり影響を与えていたかもしれない。

本書で、小池劇場の約10か月の損害を数字で表わしているのも興味深い。豊洲市場の維持費約9億円、業者への補償100~180億円、築地市場の補修費年間約3億円、市場問題プロジェクトチーム経費、関係職員の人件費など年間200億円…、これらがすべて無駄な支出だというのである。

…空っぽな女帝のパフォーマンスにメディアも都民も踊らされて、悪しきポピュリズムのツケが今の築地市場問題であり、それを桁外れに悪化させたのが小池劇場だといい、さらに都庁関係者の「企業なんかにもたまにいるでしょ、基本的な仕事すら十分にできないのに、目立つことばかりやってアピールだけは得意で、結局何もできずに周りに迷惑をかける『困ったちゃん』、それが東京都知事になったということ」という発言を紹介しているが、とにかく著者の小池百合子批判は留まるところを知らない。

実は石原都知事時代、築地市場の豊洲移転に際して石原が全業者一軒一軒に、印刷とはいえ毛筆署名入りの手紙を送り、それで移転反対派の一部も納得したことを紹介していて、舛添前知事も承認した豊洲市場を根底から覆した小池知事は許せないと攻撃は続く。しかし、豊洲移転反対者が廃業者の営業権(鑑札)を買い集め、結果的に自身が反対する豊洲で最大区画を占める可能性や、本来は大家に返すべき権利を店子間で売買して新規参入を阻む鑑札制度の閉鎖性も指摘している点はもっともである。さらに、ネズミやネコ、カラスやカモメ、ウミネコなどが住み着く築地市場の不衛生さを“築地動物園”と揶揄している点を紹介しているが、客観的に見ればどっちもどっちなのかもしれない。

ただ、著者はしきりに小池都政の東京オリンピック対策の遅れを批判しているが、私は元来東京開催に大反対なので、小池都政がオリンピック関連事業を成功させなくても一向にかまわない。むしろ、今からでも遅くないから返上してもらいたいほどである。

一時はよくテレビに登場して、小池百合子の腹心と思われていた音喜多駿東京都議が最近、「都民ファーストの会」を離党した。小池が「希望の会」を設立して国政に向かおうとするその姿勢を批判して決別したようだ。彼は新聞のインタビューで、「私は使いやすい手駒だった」と語っている。いよいよ“化けの皮”が剥がれてきたか。

(本屋学問 2017年10月22日)

明治維新から見えた日本の奇跡 中韓の悲劇/加瀬英明・石平(ビジネス社 本体1,200円)

 

本書のオビに「繁栄VS.衰亡という行く末はすでに150年前に決していた! 中国と韓国が未だに近代化できない本当の理由」とある。さらに、「なぜ中国はアヘン漬けになり、韓国は中国の属国であり続けた一方、日本は独立を貫けたのか」、「日中韓が未来永劫分かり合えない理由を歴史的大局から読み解く!」などとある。

著者の加瀬氏は国際派の評論家、石氏は中国出身の拓殖大学客員教授。加瀬氏は「まえがき」で、「日本も中国も古代につくられた雛形から、まったく変わっていない」といい、「中国は陸の文明」であり「日本は海の文明」だという。そして「陸の文明は傲慢で独り善がり」であり「海の文明は解放的で謙虚」だという。

それについては本文でも、日本と中国では国の雛形がちがうといい、例として中国の皇帝は「覇者」であり「先制主」だが、日本の天皇は「祭主」であり「対極にある」という。中国の皇帝にとっては天下万民すべてが私有財産だったが、日本の天皇は権力を持たない最高神だったという。

そのような天皇のもとに武家社会があり、なおかつ社会の主役は庶民だったとする。とりわけ「黄金の徳川時代」は庶民が主役で、例えば安土桃山時代のヨーロッパ向けの最大の輸出品は、日本独特の“流し漉き”による紙製品だった。職人に対する扱いも対照的で、中国・朝鮮では最下層として蔑視の対象だったが、日本では職人の技術が評価され大切にされた。日本では武士が能をたしなめば庶民は歌舞伎や浄瑠璃を楽しんだ。ヨーロッパ美術界に影響を与えた浮世絵もある。彼我の社会や生活の違いに糞尿、ゴミ、飲料などの清潔さの違いもあった。江戸の町は奉行所の役人が町民4700人に1人で足りるほど安全だった。

こうして黄金の徳川時代を過ごした日本にとって、文明開化は必要なかったと本書はいう。日本では薩英戦争などローカルな戦争で敗戦を体験し、薩長が攘夷の旗を捨てて開国に向かったが、中国・元は絶対的な権力を持つ皇帝が変革の妨げとなった。たとえば中国では統治思想だった儒教を日本では精神修養の思想に変えてしまった。中国に次いで日本を食い物にしようと乗り込んだ英米だったが日本の文化、文明度は中国の比ではなかった。中国は西洋と同じで父権的で衝突するが、日本は自国を母国といい、母性的で柔軟に相手のいいところは取り入れる。したがって日本は中華化も西洋化も文明開化も必要なかった。

中国の策略で、龍の爪は5本あるが、朝鮮は4本、日本には3本しか許されなかった。そう思い込まされていたのか、長谷川等伯の善女竜王像や葛飾北斎の版画の龍も3本だという。韓国は、日本は龍の爪が3本しかない国だと言って威張っていた。小中華であることを誇りにしていた李氏朝鮮は科挙制度を続け、両班の横暴を続けてきた。その反面で、韓国人ほど自虐的な国民は珍しいと本書は言い、アメリカが背後にいなければ北朝鮮のような王朝国家になっていただろうと言う。

本書の「あとがき」で、石氏が、「中国は近代化に失敗して一人前の近代文明国家になり損なった」のに日本にそれができたのは、近代以前に「日本はすでに近代という時代を先取りした立派な文明国家だった」と言い、それを確認することが「加瀬先生との対談の核心的部分であった」と言う。揺れる国際社会の中で、揺れてはならない日本人としての誇りを取り戻せる一書である。

(山勘 2017年10月21日)

 エッセイ 

総選挙

 

唐突に総選挙と言われて、益々不信感を増長させる安倍首相の行動は何か。消費税増税分を子育て世代に振り向けると言う「解散の大義名分」のようだが、今更降って湧いたようなものが大義名分とは恐れ入る。

「全世代にばらまきます。いいですよね」と言われた庶民にNOは無いはず。今、日本国にとって何が重要か、国政選挙の争点となるべき選択肢は、財政破綻、デフォルトをさけるために、サービスを減らしてでも財政健全化を進めるか否か、と言う課題ではなかろうか。

北朝鮮の問題もあるだろう、身近な問題として世界の基軸通貨制度の矛盾と言うのがある、これには気か付か無いように静かに蓋をしていると考えられる。

選挙民は、聴き心地の良いフレーズを言う候補者を監視すべきだ。日本が抱える問題、世界が抱える問題、人間社会が抱える問題と色々ある。人口減なども差し迫った問題であるが、意外にもっと早く訪れるであろう大問題は、国際通貨問題なのだ。品の悪いトランプの言動から察する事が出来る。しかし誰も何も言わない。選挙にプラスにならないからか。

米ドルは外貨収支万年赤字、耐えきれずにトランプの様な者が大統領になり、アメリカファーストと品の無い政策を打ち出し、日本政府はその米国にせっせっと貢いでいる、基軸通貨制度を守る、「米ドル国際通貨を守る」の一助となろうが、誰も尊敬する筈はない。この危うい構図に誰も何も言わない。この時期に総選挙とは何事か、自分の作りつつある「忖度政治」を守り、進めることに専念するための卑怯千万なる選挙と思うのである。

このところ、日本企業のガバナンスビリティーも綻びつつある、東芝、日産自動車、神戸製鋼等、日本を代表する企業が信じられないミスを犯している。更に言うと、通信インフラの次世代たる第5世代と言われる5Gの通信インフラなどは、技術の日本企業としての影すら無いのである。富士通、日本電気が何とかしようとしているようだが、今のところ全く可能性は無い。

これなども過去の悪習たる電電公社で培った忖度制度の恩恵? であろう。今になって、取り返しの付かない成果?として表れていると考える。平和が続くと忖度制度が確立し、そこには「ゴマすり」文化と言うカビが生えるのである。

民主主義は、愚かなる庶民によって崩壊すると言われている。その先陣を切るのが、我が日本国であって欲しくないものだ。

(致知望 2017年10月18日)

厄介な腫れ物?「憲法9条」

 

衆院選は与党の圧勝となった。希望の党が旗揚げした当初は、自民の過半数割れも予想されたが、野党分裂などの“敵失”もあって与党が善戦した。これでいよいよ安倍政権の憲法改正への弾みがつくと予想される。そこで今回はこんなエッセイを書く気になったが、これはたまたま先のエッセイ『裸の王様「憲法9条」』の続編のようなかたちになった。

今回の衆院選をかえりみると、各党が公約などで掲げた憲法改正の検討項目は、はっきりと改正反対の共産党、社民党以外は極めて“不透明”だ。少し面倒くさいが新聞のまとめを引用すると、読売新聞(10月17日)では、自民党が「自衛隊の明記」を目指すものの、希望の党は「地方自治」「知る権利」「原発ゼロ」、公明党は「環境保護」「地方自治」「議員任期の特例」、立憲民主党は「衆院解散権」「知る権利」など、日本維新の会は「教育無償化」など、大半の政党がまともに9条に切り込まない。憲法最大の問題は第2章「戦争放棄」であり、それを具体的に規制する第9条こそが憲法改正攻防の“天王山”のはずだが、自民以外は、まるで腫物にでも触るように9条に触りたがらない。

片や朝日新聞のまとめ(10月17日)で各党の憲法9条を巡るスタンスをみると、自民党「自衛隊の明記」、公明党「自衛隊明記の意図は理解できなくはない」、日本のこころ「自主憲法制定を」、希望の党「自衛隊の存在を含め論議」、日本維新の会「9条など時代に適した今の憲法へ」、立憲民主党「9条改悪と戦う」、共産党「改悪と戦う」、社民党「改えさせない」となっている。公明、こころ、希望、維新などの態度が煮え切らない。やはり9条に対する各党の態度には、腫物扱いの感がある。ありていに言えば党の意思・立ち位置を決めかねているのだ

旗幟鮮明なのは憲法擁護の立憲、共産、社民だが、安保法制を廃止して平和憲法に立ち返れというのは、北の脅威など現実無視の空論だ。力にモノを言わせようという相手に、「戦争放棄」「戦力不保持」の旗を掲げて話し合おうというのである。相手は“屁とも思わない”(見下して眼中におかないこと 日本語大辞典)、“蛙の面に小便”である。

先のエッセイ『裸の王様「憲法9条」』で、一般人にとって憲法が難しいのは、一般人の、新聞を読むていどの“国語力レベル”では理解できないほどに憲法の条文解釈を難しくする人たちがいるから」だと書いた。そして、『童話「裸の王様」の少年のように素直に見れば、現行の平和憲法は「弱気の王様」である。その「弱気の、平和主義の王様 憲法9条」に、強気にさせる“論理の着せ替え”を重ねてきたのである』と書いた。そしてたどり着いたのが一昨年制定した戦える安保関連法制である

そこで問題は、自民党の、というより安倍首相の「自衛隊の明記」(案)である。これは憲法9条には手を付けず、これに新たな条項を付加して自衛隊の位置づけを明記しようというものだ。それによって9条2項の「戦力不保持」に反する戦力を持つ自衛隊を認知しようというのである(なおその戦力は、憲法上の戦力ではないと強弁するややこしい戦力である)。

しかしこの別記案では、従来どおり「弱気の王様9条」に強気の“論理の着せ替え”」を重ねて、ますます国民に分かりにくい憲法にするだけだ。もうこのあたりで、「弱気の王様9条」に「戦力の保持」という重い鎧を着せるのではなく、その鎧につぶれない王様にすることを考えるべきではないか。

幸い現下の危機への対処には日米協定と安保関連法制がある。憲法改正の「国民投票」を急ぐ必要はない。憲法改正は、まともに9条の改正を論議すべきだ。9条を、政治家も迷う腫れ物にせず、専守防衛と自衛権をベースにした戦力の保持について、国民の「国語力レベル」で解る論議を進め、国民の理解と選択を待つべきではないか。

(山勘 2017年10月21日)

裸の王様「憲法9条」

 

アンデルセンの童話「裸の王様」は、ペテン師に騙されて、「バカには見えない布地」で織った新しい衣装を身に着けた王様が、お披露目のパレードに出た。お付きの大臣らはすでに「バカには見えない」立派な衣装を“賞賛”しており、見物の民衆も、下着だけの王様に戸惑うものの、やはり「見えない」と言えず讃嘆の声を上げる。そんな中で、一人の少年が「王様は裸だ」と叫ぶという話だ。

人間はいろいろな“仕掛け”に騙されて、物事をありのままに見たり言ったりすることができなくなることがよくある。そこで、私もよく解っていない憲法9条の話だが、そもそも憲法というものは、一般人にとってはハナから難しいものと敬遠されるのが常である。なぜ難しいのかというと、思うに、説明を難しくする人たちがいるからではないか。つまり、一般人の、新聞を読めるていどの“国語力レベル”では理解できないほどに憲法の条文解釈を難しくする人たちがいるからではないか。

そんな思いで改めて憲法第9条をみると、少し面倒だが、9条1項は、「日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する」となっている。2項は、「前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない」となっている。この短い条文の中に出てくる一つひとつのフレーズについて、憲法誕生以来70年以上、政府、政党、学者らによって、それぞれの立場で難解な理屈が展開されてきた。

しかし、素直に読むと、第1項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する」ことは崇高な理想だと解る。だが、残念ながら現実世界においては、「正義」と「秩序」が大いに乱れて「国際平和」があやしくなり、それをわが国が「誠実に希求」することがむなしくなる状況だ。次の、「国権の発動たる戦争」は、国の権利を発動・主張しない戦争などないだろうと簡単に読めば、問題はその後の「武力による威嚇」だ。これは現在、北朝鮮のぼんぼんやトランプ米大統領がやっているやり口で、そこから攻撃に踏み切れば「武力の行使」となる。そういうやり方を、わが国は、「国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」という。つまり意味するところは“戦争の全面否定”である。

それを受けて第2項は、「前項の目的」すなわち戦争放棄を達成するために,「陸海空軍その他の戦力を保持しない」うえに、「国の交戦権を認めない」、つまり戦を交える権利を認めないと言う。

これが素直な目で見た「裸の9条」である。要するに、「裸の王様 憲法9条」は、本来、弱気な平和主義者だったのだ。今の安保法制などを見たら卒倒しかねないほど気の弱い平和主義者だったのだ。しかし今、わが国の政府は、国家には「自衛権」がある、自衛のための防衛力は戦力ではない、自衛のための武力行使は憲法のいう戦争ではないという。

さらに、安倍内閣が、2014年7月に閣議決定した武力行使の新3要件は、①我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、この3要件をみたせば武力行使できるとする。

こうしてわが国は、世界に例を見ない長寿の憲法、「弱気の王様 憲法9条」に、「バカには見えない衣装」を着せるように、強気にさせる“論理の着せ替え”を重ねてきたのである。北朝鮮の狂気、覇権国家 中国の脅威などが増している中で、“現憲法死守”を唱える憲法学者や政治家もいるが、今こそ国民の「国語力レベル」で真面目に9条の改正を考えるべき時ではないか。

(山勘 2017年10月21日)

ホツマツタヱ・エッセイ・斎宮

 

図書館の新刊案内より、ホツマツタヱの記述に関連ありそうな「斎宮 伊勢斎王たちの生きた古代史」榎村寛之著 中公新書 を見つけました。

 

斎宮について以前から気になっていたので、ホツマツタヱの中から関係ありそうな個所を改めて読み直してみました。( )は、和仁估安聰繹述ホツマツタヱの綾(章)と頁です。

 

本書の歴代斎王一覧には、初代斎王は、トヨスキイリ姫から始まっています。 斎宮を訓読みで「いつきのみや」と呼んでいることを確認しました。

 

ホツマツタヱから初代斎王のトヨスキ姫(33-6)を探し出してみると、10代崇神天皇(33-1)とトオツアヒ・メクハシ姫(33-5)との間に生まれています。

この崇神天皇の代に、疫病が流行り、民の半数が死滅した(33-12)ことが分かりました。崇神天皇は民を治められないこの罪(助け)を神に乞い願っている様子が伺えるからです。(33-13)

崇神天皇は、自分の代になって悲惨な状況が続くのは神祀りが不十分で天に祈りが届いていない神の咎めと思いました(33-16)。

 

1.崇神天王が執られた項目です。

区切りのない5・7調の歌で綴られているため、時系列と話の内容が多少前後していますが。

 

〇神への祈りに、「いろ」の「つず歌」が詠まれます。

「い」ざとほし ゆきのよ「ろ」しも おほよすがらも

(遠く天上におられる神々よ、この神祀りをよろしくお分かりください)

〇崇神天皇は、天照神と豊受神が亡くなられて葬られているアサヒノハラ(京都丹波)に御幸します。

〇崇神天皇は娘のトヨスキ姫に天照神の御霊を「かさぬい」(笠縫)に祀らせ(33-10)、トヨスキ姫の妹のヌナギ姫に大国魂の御霊をやまべの里に祀らせます(33-11)

〇三種の神器を新たに作り直します(33-11~12)。鏡はイシコリドメの孫に、剣はアベヒトカミの孫に作らせ、神オシデも新たにします。

〇天照神と大国魂の御霊をそれぞれ新たな宮に移して祀ります(33-13~14)。

〇モモソ姫に助けを求めています。

モモソ姫に神が乗り移り、「さつさつず歌」(ご神託)が告げられます。

「さ」るたみも つずにま「つ」らで をゑにみだる「さ」(33-17~18)

去る(死んだ)民も、続けて祀らなかったので、嘔吐(おえ)に乱れてきたのですよ。

この歌を教えてくれた神(モモソ姫に乗り移った)は「国つ神大物主」であることを知ります。

崇神天皇はモモソ姫がご神託を告げたこの大物主の子孫であるオオタタネコ(33-20~24)を探し出します。そして、オオタタネコを斎主(いわいぬし)に定め大三輪の神を祀り、「ながおいち」に大国魂の神を祀ります。(33-25~28)

ここでの大物主は、先代8代孝元天皇が亡くなられた後、9代開化天皇が日嗣をうけたとき、8代孝元天皇のお后のイカシコメが名前をイキシコメと変えて、息子のお妃になったとき、伊勢の道に外れる(母を犯すことになる)と忠告した「国つ神大物主」でした。

しかしこの忠告は無視されます。血のつながらない異母であるからと受け入れられず、戒めた大物主は汚れたことは許されないと身を引き蟄居されていた経緯がありました。

 

〇崇神天皇の娘のトヨスキ姫は神の告げで御霊笥(みたまげ)を担いで、丹後の「よさ宮」(籠神社)へ行きました。天橋立の松に大和の笠縫村から雲がたなびいているとあり、御霊が繋がったと言っています。(丹後の埋葬地から大和まで)

 

崇神天皇の願いが届き、疫病も消え、豊作になり、民も豊かになりました。(33-25~28)

この時から、天照神の御霊を祀る皇女が後世に亘って斎王と呼ばれるようになったことが分かります。

 

2.モモソ姫(ヤマトモモソ姫)について

 

モモソ姫は、先々代7代孝霊天皇とヤマトクニカ・オオミヤメとの間に生まれた三つ子の長女です。8代孝元天皇(ヤマトネコヒコクニテル・モトギネ)のお姉さんになります。斎王(女)という範疇以前から居られた特別の能力をお持ちであったと思われます。

崇神天皇にとっては、かなりの年長者で頼りになる生き神様だったように思えます。

 

横道に逸れますが、「さつさつず歌」(ご神託)を告げたモモソ姫は、後に大物主の妻となり、「箸で御陰(みほど)を突いて神となる」という記述が独り歩きしています。私の解釈では、古代タタラ製鉄が行われており、溶融した鉄・滓を取り出すために囲っている保土(堤防)を突いて湯道を作る時、誤って堤防が壊れ一気に火砕流を浴びて焼け死んでしまったものではないかと推測しています。

モモソ姫は、神の言葉を知っていたという所から、一部では卑弥呼ではないかという憶測もされているようです。このモモソ姫が祀られたのが「箸塚古墳」とホツマツタヱには記されていますが、卑弥呼の墓ではないかとおっしゃっている方もいるようです。

 

3.名前(イカシコメ→イキシコメ)を変えて息子のお妃になるという背景

 

当時天皇が逝去されたら、お供の者もすべて殉死していたであろうことを思い起こす必要があります。多分、イカシコメは、まだ若くして殉死することは耐えられなかったと推測します。のちにイキシコメが占う記述も出てきます。何とか理由をつけて生き延びる方法を見つけた結果だったのではないでしょうか。

この次の垂仁天皇の代になり、兄の死に際して生きたまま埋められるという残酷な殉死を強いられる人々の悲鳴を聞き、ことの無残さを知り、以後、殉死する人に代わって「はにわ」を作って安置することに決めることになります。

 

4.2代目斎王 ヤマト姫ヨシコ

 

代が代わり、11代垂仁天皇になります。

カバイツキ姫との間に2代目の斎王(女)となるヤマト姫ヨシコが生まれます。たまき宮(垂仁天皇)22年12月8日、ヤマト姫ヨシコは11歳になり、25年3月8日、天照神を奉祀していたトヨスキ姫から、身に着けていた御霊を解き放ちヤマト姫に付けました(36-15)。

 

ヤマトタケが景行天皇の勅使として東征に向かうとき、伊勢の斎宮に居られるヤマト姫にいとま乞いをされています。ヤマト姫は、ヤマトタケに錦袋(錦織の袋で秘密の払いが記されている)とムラクモツルギ(昔、ソサノオが出雲の国を開いたときの剣)を授けたからです。(39綾)

また、当時、この伊勢で暦を作っていたことと、その暦が東征先の敵国であった日高見にも届いています。伊勢に居られた、ヤマト姫は12代・景行天皇のお姉さんに当たり、異母兄弟ですが、11代垂仁天皇の子供になります。

 

暦を作っていたことより、此処には、何かしらの天文台のような設備・機器がどこかにあると思われます。斎王(女)のシステムが発足する前からこの地は存在していたと思われます。

当時、地球の大きさ、月までの距離、北極星の高さ(角度)などの記述があることより何かしらの測定具があったはずと思えるからです。

 

纏向遺跡こそが卑弥呼を祀っているのではと言われていますが、ホツマツタヱの記述より、纏向は景行天皇の居られたところです。魏志倭人伝にある卑弥呼とは年代的にこのお姉さんのヤマト姫のことと推測します。三重県側の発掘調査を待つしかありませんが、かなり広大な敷地であったことが推測され、纏向遺跡より大きかったかもしれません。ムラクモツルギを景行天皇のお姉さんのヤマト姫が持っていたことからも頷けます。

 

5.3代目斎王イモノ姫クスコ 

 

ホツマツタヱの記述は3代目のイモノ姫クスコ(38-19)までです。

12代景行天皇(オシロワケ)とヤサカ姫と間にイモノ姫と13代成務天皇が生まれています。ヤマトタケはヒワス姫との間に双子の弟として生まれています。

 

景行天皇即位12年目に筑紫(九州)の熊襲が背いたので御狩りを乞われ、ほぼ九州全土を8年かけて遠征しています。筑紫遠征の成果を祝い、イモノ姫クスコ(38-75)は14歳で内親王になられ、ヤマト姫は108歳の長寿を喜びました。そしてヤマト姫からイモノ姫クスコにミツエシロ(御杖しろ)を引き渡しました(38-76~78)。

 

6.斎宮・いつきのみや

 

ホツマでは「神に貢ぎのミツエシロ(御杖しろ)」を手渡しています。 

神の意志に従って(代わって)生涯、天照神に仕えることを言っています。

「つきの宮」の「つき」とは、天照神を太陽に見立てて、それを受ける月に見立てていると思います。「いつきのみや」の「い」は居所を示していると思われます。2代目のヤマト姫のお母さんカバイツキ姫であったところからきているのかも知れません。

魏志倭人伝で卑弥呼と言われている「ひみこ」は、個人名ではなく、元々は「ひのみこ」のことで、「ひ」は天照神で、天照神をお守りする「みこ」(皇女)の役目を意味していると理解できます。

一方、斎宮「いつきのみや」が、天照神をお守りする月(天照神を太陽、お妃を月に見立てる)、すなわちこの皇女を言っていると思えます。つまり、卑弥呼「ひのみこ」が居られたところは、斎宮であったということに結びつくことになります。

更にヤマトタケを熱田神として祀ったとき、ヤマトタケのお妃のミヤズ姫の立場について、斎宮(いつきのみや)と比べるぐらいの力があった(40-85~86)と評価しています。

言い換えれば、当時この「いつきのみや」は絶大な力を持っていたことが客観的にも分かります。

(ジョンレノ・ホツマ 2107年10月22日)