例会報告
第57回「ノホホンの会」報告

2016年6月24日(金)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

 今回は、事前に欠席を申し出ていた致智望さん、何と開催日を間違えていた山勘さん、しばらく休会を申告されている高畑童子さんと3人も出席いただけず、何とも寂しい会になりました。とくに山勘さんは書感、エッセイ合わせて3本投稿があり、心中の無念さをお察しします。次回はお三方はもちろん、全員で暑気払いをしましょう。


(今月の書感)

「日本語の謎を解く」(山勘)/「あなたの人生を変える睡眠の法則(恵比寿っさん)/「音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉」(本屋学問)/「日本人と日本文化」(狸吉)


(今月のネットエッセイ)

「舛添さんは自ら決断せよ」(山勘)/「変だよ安倍さん、酒の安売り規制」(山勘)/「政治家の“人間力”とマスコミの責任」(山勘)/「ホツマエッセイ 神武天皇誕生までの経緯」(ジョンレノ・ホツマ)

(事務局)


 書 感

日本語の謎を解く/橋本陽介(新潮選書  本体1300円)


著者は、慶応大学と付属志木高校の非常勤講師。本書の副題に「最新言語学Q&A」とある。カバーには「万葉仮名から、ら抜き言葉まで、日本語の起源・音声・文法・表現―73の意外な事実」とある。それは、言語学研究の現状と成果を分かりやすく解説したいと願う著者が、勤務先の高校生たちに出してもらった250ほどの疑問を、73の疑問に体系的に整理し、10章に分けて解説したもの。

本書の前半では、日本語の歴史的な音声や語彙、文学、日本語の変化などについて、後半では、日本語の文法について、「類書より一歩突っ込んで紹介」しているので、レベルは必ずしも高校生向き、一般人向きではない。特に後半の文法解説や筆者の専門とする小説言語に関する研究成果は文字通り専門的なレベルである。ここでは、本書の全般的な内容を紹介する紙幅がないので、(私の)興味本位?にいくつかの日本語の謎についてポイントを紹介する。

助詞の「は」「へ」を、「わ」「え」と読むのはなぜか。いま使われている表音主義に立った現代仮名遣いは戦後にできたもので、これに従えば「は」「へ」「を」は「わ」「え」「お」となるが、現代仮名遣いを決めた昭和21年の国語審議会では、大論争の末、語源主義による歴史的仮名遣いの「は」「へ」「を」など助詞・助動詞は伝統が最も濃い日本語の根幹で、あらゆる時代、あらゆる地域や言語を統一して表記できるとして歴史的表記のまま残したものだという。当時の、日本語のローマ字化など「表音主義化」への反発もあり、当時の「常識的意識」で決められたものらしい。

「氷」は「こおり」なのに、なぜ「道路」は「どうろ」なのか? いずれも発音は「コーリ」「ドーロ」と長母音で発音されるが、もともと「氷」は古来の日本語であり、「道路」は輸入された中国語である。歴史的仮名遣いでは「氷」は「こほり」であり、さらに平安時代の発音ではハ行は「ファフィフフェフォ」だったので、氷は「コフォリ」であり、さらに古くはハ行はパピプペポだったとされるから氷は「コポリ」だった。現代になって「ほ」は「オ」と発音されるようになり「こおり」となった。一方の「道路」の「道」や「王」などは、漢字の音読みでは「どう」「おう」であり(歴史的仮名遣いでは「だう」「わう」)である。表記は中国語の音を真似したが、二重母音(dau、wau、後にdou、ou)の発音が苦手の日本人が道路を「ドーロ」、王様を「オーサマ」と発音するようになったので、氷の「コーリ」と紛らわしくなってしまったという。

「全然、大丈夫」という表現は、日本語として間違っているか? これは「乱れた日本語」の代表格として挙げられる。これらの、「全然~ない」「少しも~ない」「決して~ない」「たぶん~だろう」など、述語の動詞より前に出てくる副詞などの語が、述語の文末表現の語に結び付くかたちは、「呼応表現」と呼ばれる。しかし「全然」に限っていえば、戦前は文字通り「すべて」「全面的に」という意味だったと言い、漱石や芥川も使っているという。「全然~ない」でなければ間違いだとされたのは戦後になってからだという。本書に書かれていることではないが、江戸川乱歩も作品の中で「全然、路面が濡れている」といったような記述をしていると聞いたことがある。

そもそも日本人は「は」と「が」をどう使い分けているのか? 「は」と「が」は、どちらも主語に付く助詞とされるが、両者を比べると、たとえば「私は食べた」と「私が食べた」の場合、「は」より「が」のほうが、「新情報」を提示して「強調」し、「排他的意味」を持つという。また本書はそもそも主語とは何かと問う。文の根幹は、主語+述語だが、文の主役は主語ではなく述語であり、極端に言えば日本語は主語抜きでも成り立つと言う。また、主語の特定も容易ではない。「私は足が痛い」という場合は、主語は「私は」か「足が」か。学校文法では「足が」のほうが主語になると考えられるが、痛いのは「私」だとも言える。言語学者の時枝誠記は「私は」が主語だとしているという。

本書は、「結びにかえて-日本語の立場からの言語理論の必要性」を説いている。すなわち、「主語」や「述語」をはじめ、「文」の主要な概念は明治以降に輸入されたものであり、それ以前はかならずしも明確なものではなかった。しかし、少なくとも日本語は西洋の言語学の通りではないのではないかとみて、筆者は「新たな言語理論を作れないかと日々考えている」という。

(山勘 2016年6月17日)

 あなたの人生を変える睡眠の法則/菅原洋平(自由国民社 本体1400円 2012年9月21日発行 13年5月30日第16刷発行)


著者紹介 作業療法士。ユークロニア㈱代表。青森県生まれ。国際医療福祉大学卒業後、作業療法士免許を取得。

民間病院精神科勤務後、国立病院機構にて、脳のリハビリテーションに従事。脳の回復には、睡眠が重要であることに着目して臨床実践をする。また、障害者の復職支援を行う中で予防の必要性を強く認識する。病気予防を、面白く魅力的にするため、生体リズムを活用して企業の業績を高めるビジネスプランを作成し、SOHOしずおかビジネスプランコンテストにて、最優秀賞を受賞。その後、ユークロニア㈱を設立。企業を対象に、生体リズムや脳の仕組みを使った人材開発を精力的に行う。


はじめに 

第1章 やる気にはメカニズムがある

第2章 やる気の警告サインをキャッチする

第3章 朝5分 光の法則

第4章 昼5分 負債の法則

第5章 夕方5分 体温の法則

第6章 眠りの悩みを解決する

おわりに 


質の良い睡眠で記憶を整理すれば、どんな状況でもやる気が湧きあがる!と著者は言います。かなりオーバーな表現なタイトルと思ったものの興味があったので予約したが、案の定かなりの時間がかかって手元に届いた次第。

睡眠は昔からかなり大切にしてきたが、それは生理的な必要性から自然にそうさせてきたというもので、法則だの人生を変えるだのという大袈裟なことは考えても見なかったので、面白く読了した。


著者の主張は、生理的な現象を最大限に活用することが、一番手軽で、効果的にやる気を引き出す法則なのだという。


内容は、睡眠のリズムを活用する3つの法則①起床から4時間以内に光を見て②6時間後に目を閉じ③11時間後に姿勢を良くする、ことで自然とやる気が出てくる、というものです。

①はよく言われてますね。②は5分間目を閉じることで脳の睡眠物質を減らすことでスッキリできるそうです。また、人には「深部体温リズム」というものがあってこれが睡眠に大きく作用しているとのことです。不眠症の人はこの体温リズムが狂っていて(遅れていて)、眠るべき時間に体温が高く眠りに付けないと解説しています。


そもそも最もやる気が出る状況というのは、50%は既に知っていることと残り50%は未知の領域のことに取り組むときだと著者は主張する(発達の最接近領域)。

海馬から側頭葉への記憶移転は質の良い睡眠によって得られるが、それには夜ではなく昼間の過ごし方が重要。


睡眠を司る3つのリズムについても触れていて①メラトニンリズム②睡眠―覚醒リズム③深部体温リズムが1日の体のリズムを構成しているという。

①は光を感知すると減少し、暗くなると急速に増加、睡眠を誘発

②は眠る脳(大脳)と眠らせる脳(脳幹)が持つ、脳の働きを維持するシステム
大脳を眠らせるシステムが強く働く時間帯は、起床から8時間後と22時間後の2回だそうです。


③体の内部の温度が変化するリズム


睡眠法のハウツーもあり、①入眠時心像は脳が自分を眠らせるためにみせている映像だから、映像に集中すればスムーズに眠りに入れるとか、悩み事がぐるぐる頭を回るときは、書き出せば、脳は直ぐに忘れてくれる。眠る直前まで仕事をしたり、考え事をしたときは頭を冷やせば、脳の温度が下がりむだな脳の働きが静まり、寝付きやすくなるそうです。


私は普通眠れないってことがないのですが、こういうメカニズムは全く知りませんでした。

なお、やる気が出るのは「これは面白い!」と思うことだと、著者は言ってますが、これは睡眠には関係ないと思いますが…(笑)。

(恵比寿っさん 2016年6月20日)

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉/岡田暁生(中央公論新社 2009年6月初版 本体780円)


本書の「はじめに」を読んだだけで、クラシック音楽を少しかじった程度のファンにとっては圧倒される博覧強記の才を感じるが、著者は京都大学人文科学研究所に籍を置き、本書で芸術評論に与えられる「吉田秀和賞」を受賞したという気鋭の音楽学者である。

本書は、著者がいうように必ずしも西洋のクラシック音楽だけを論じているわけではない。しかし、「おわりに」に続く「文献ガイド」には、音楽の聴きかたにはどんな本を読んできたかが重要だとして、「モーツァルト書簡全集」、「テュルク・クラヴィア教本」、「ハイドンのエステルハージ・ソナタを読む」、「ワーグナー著作集」、さらにはアドルノの「フルトヴェングラー論」、「ストラヴィンスキー自伝」、「ブーレーズ音楽論」まで、およそ聞いたことも読んだこともない文献を挙げていて、基本的にはクラシック音楽を念頭に置いて読むほうが理解しやすいが、一度読み通したくらいでは正直いってよくわからない。

アメリカの作曲家ジョン・ケージの作品に「4分33秒」という‟曲”がある。演奏の定義が変わっていて、「どんな楽器でもまたどんな楽器を組み合わせてもいいが、ただし音を出さない」。演奏者はストップウォッチを持ってステージに上がり、4分33秒経ったら退場する。無音の緊張感、外界の雑音が一体となった究極のサウンドを表現するという、何とも人を食った音楽ともいえないものだが、本書を読んで最初に思い浮かべた東洋思想にも通じるイメージがこのことである。



 
実際、著者も本書のなかで「ケージ美学」という言葉を使って、彼の音楽以後は硬直化した西洋クラシック主義の権化のように批判されてきた‟音楽表現の意味“などから解放されて、もっと自由にサウンドの世界に身を任せて良い、傾聴するばかりが音楽の聴きかたではないといっている。といいながら、著者はクラシック音楽、ポピュラー音楽を問わず、聴くには相性があり、「型」がある。つまり、自分がどんな聴きかたをしているのかを自覚することが大切だという。もっとわかりやすくいえば、音楽を言葉で表現できるか? これがこの本の命題である。

「音楽と共鳴するとき」、「音楽を語る言葉を探す」、「音楽を読む」、「音楽はポータブルか」、「音楽の正しい朗読法」、「音楽は社会がつくる」…、目次に踊るタイトルが示すように、音楽をかなり”文学的“にとらえた分析方法はこれまでの音楽論とは一線を画しているが、著者が勧める音楽の聴きかたのマニュアル、極意は次のようなものである。

自分の感じたものを大切に/世評には敏感に/自分の好みを知る/名曲名演奏の存在を実感する/両極端の音楽や演奏を体験する/有名な音楽家を神格化しない/判断に幅がある音楽は多いことを知る/絶対的な傑作を除いて大部分の音楽は演奏家による/聴き上手になる/音楽には本来の文脈がある/そのジャンルに精通した友人を持つ/聴く耳を持つため地元の定期をよく聴き定点観測する/固定客の反応に学ぶ/ライブを聴く/立ち去りがたさを大切にする/語彙を豊富にして音楽を言葉にするのを躊躇しない/音楽書を読む/音楽の文法を知る/貴重なリハーサル、練習風景を見聴きする/音楽の原語を学ぶ/音楽の組立パターンを知る/音楽を聴く集中度を知る/前衛音楽など音楽の固定観念を捨てる/音楽が生まれ育った文化を知る/演奏の場を楽しむ/自分でも演奏をする

坂本龍一が帯で「ぼくもご多分に漏れず、音楽は言葉で表せないと信じていた人間ですが、読みすすむうちに著者に説得されて、むしろ音楽を言葉で表す努力が、作る、演奏する、聴くと同じくらい大事なことだと思いました」と書いているのを読んで、この難解な評論の一部でも少しわかったような気になった。

(本屋学問 2016年6月20日)

日本人と日本文化<対談>司馬遼太郎・ドナルド・キーン(中公文庫 1984年4月 本体552円)


私たち日本人の国民性と日本文化なるものは、いつどのようにして形成されたか、文学と歴史に造詣の深い有名作家二人の対談。司馬氏は中国と日本の歴史に詳しく、キーン氏は日本の中世文学を研究する傍ら、谷崎潤一郎や三島由紀夫とも交流があった。この二人の対談により、日本文化の形成過程が立体的に浮かんでくる。


碩学二人の対談だけあって、一人が発した言葉の意味を相手は瞬時に理解し、それから先に話を飛ばす。厚さわずか1cmのこの新書版の中に膨大な知識と思想が詰まっているのだ!本書を読み進むうち、二人の会話についていけず、引用された原典を読んでやっと意味が掴めた箇所が多々あった。繰り返し読んでもまだ全体を理解したとは言い難いが、とりあえず「目からウロコ」の思いをした箇所を紹介する。


第1章「日本文化の誕生」では、その要因として、仮名文字の発明と当時の女性の高い地位を挙げている。中国から漢字が伝来するとまず男性が漢文、すなわち中国語を学んだ。女性は表向きは男性と同じ教育を受けないので、仮名文字が生まれると歌や話をそれで書き記した。やがて男女とも大和言葉を仮名で書くようになり、源氏物語のような長編小説が誕生した。大陸から離れていた日本は、朝鮮半島のように中国文化に同化せず、独自の文化を誕生させることができた。


第2章「空海と一休」では密教を学ぼうと長安に渡った空海の話から始まり、密教、禅宗、キリスト教に至るまで、わが国に伝来した様々な宗教について論じている。その中で日本人に最もうまく適合した宗教は、「神のいない」禅宗である。ただし、これが本当の禅であるか否かは疑問。


第4章「日本人の戦争観」では、「生きて虜囚の辱めを受けず」といった命を軽んじる思想は、日本古来の伝統ではなく、昭和に入り陸軍が10年の間に国民に植えつけたもので、大正時代には、そのような思想は無かった。


第5章「日本人のモラル」では、日本社会の秩序を保っているのは宗教ではなく、「恥ずかしいことをするな」という美意識である。「盗みをするのは格好悪いから止めとけという理由で犯罪が少ない」と説いている。


第3章「金の世界・銀の世界」、第6章「日本にきた外国人」、第7章「続・日本人のモラル」、第8章「江戸の文化」も、それぞれ二人が薀蓄を傾け、興味深い議論を展開している。ことに第4章は子供時代軍国少年として育てられた私には驚きだった。わずか10年で文化が変るということは、「いつまた軍人が支配する社会が出現するかも…」との悪夢が過ぎった。

(狸吉 2016年6月22日)

 エッセイ 

本当のおもてなし


アメリカのCNNニュースで読んだ話である。サンフランシスコに住む女性が、テキサス州にいる母親の容体が悪化したと知らされ、急いでユナイテッド便に乗った。ところがあいにくこの便に遅れが出て、中継地のヒューストンで乗り継ぐ最終便に間に合いそうもなくなったのである。取り乱して泣く彼女に客室乗務員はやさしく声をかけ、できる限りの手は打つと約束した。

ヒューストンに着いて必死でゲートを走る彼女に、空港の係員が「お待ちしていました」と声をかけた。客室乗務員から事情を聞いた機長が乗継便に連絡し、彼女のために出発を遅らせていたのである。彼女はそれを知って「胸が一杯になった」という。空港職員のはからいで、手荷物も乗継便に間に合った。

無事母親のいる病院に駆け付けることができた彼女は、「母は一度目を開けた。自分のことをわかってくれたと思う」と語った。彼女の母親は翌朝、娘に看取られて息を引き取った。自宅に戻った彼女はすぐにユナイテッド航空の客室乗務員、機長、空港関係者に感謝の手紙を書いた。この手紙は、接客の模範的な事例として社内報に紹介されているそうである。

私はこれを読んで、正直意外な感じを持った。乗客の安全と快適さを第一に考えることはどこの航空会社も同じだろうが、効率第一、日本のような“おもてなし”やサービスとは無縁に思えるアメリカで、たった1人の乗客の個人的な理由のために、機長の判断で飛行機の出発を遅らせることができるのか。遅れたことにクレームを付けた乗客はいなかったのか。最終便でなければおそらくこの美談は生まれなかったのかもしれないが、彼女の必死の願いを叶えてあげたいという関係者の見事な連携プレイは、まるでヒューマンドラマのようで目頭が熱くなった。

さて、定時運航率世界一を誇る日本のエアラインで、もし客室乗務員や機長が同じことをしたら、会社や他の乗客は果たして理解してくれるのだろうか、日本でも美談として取り上げられただろうか。

日本は“おもてなし”の国である。日本を訪れた世界中の人たちが、この国の美しい風景と人の心の優しさと、そして素晴らしいサービスを絶賛している。確かに日本人1人1人の心は、皆思いやりに溢れている。ところが、これが官庁や企業や組織となると、残念ながらまるで違ってくるのが現状である。

「前例がない」「例外は認められない」…、とくに生活保護者や外国難民など社会的弱者に対する日本の役所の冷たい対応を見てもわかるように、この国では法律や規則を盾に硬直化した杓子定規の行政しかできていない。本当に困っている人のための血の通った行政やサービスはないに等しい。要するに融通が利かないのである。

日本の役所も企業も裁判所もマスコミも、自分たちは少しも見識を備えていないくせに型通りの常識を振り回す大衆や、まるで見当外れな意見を披歴する無知で馬鹿なネット民に迎合して、せっかくの個人個人の好意を陳腐なルールや多数論理で潰してしまっている。それはどうしてか。何か起こったときに、誰も責任を取りたくないからである。

ユナイテッド航空のケースでは、出発時間がどれだけ遅れたのかはわからないが、機長や運航管理者が直接の責任を取り、最終的には会社の幹部が了承したのだろう。しかし、模範的な接客事例として取り上げられるくらいだから、同社としてはあえて飛行機の出発時間を遅らせた彼らの臨機応変の処置を評価したことになる。

それに対して、日本の社会システムの柔軟さはまだまだ不十分で、おもてなしも何かぎこちない気がする。真の博愛精神、真の寛容さ、責任感という観点から考えると、本当のおもてなし精神を養わなければならないのは日本の社会全体かもしれない。

(本屋学問 2016年5月13日)

変だよ安倍さん、酒の安売り規制


テレビを漫然と見ていたら、タレントが世界の未開地を訪れる番組で現地人に酒をふるまわれた話があった。飲んだ後で聞いたら、主婦が何かの食物を噛んで唾にまぶして、器に貯めて発酵させて作った酒だったという。いわゆる“噛み酒”である。そんな“醸造法”がまだ生きていることに驚いた。日本でも古来、若い娘や(若くない女や)巫女などが噛み酒を作っていたことが知られている。

酒は原始、木の“うろ”などに溜まった果実や果物などが自然発酵してできたという。サルや動物が溜め込んだり自然に溜まった原料でできたものだが、サルが作ったとして“サル酒”とも呼ばれる。

人間、というよりヒトは、700万年前以前にサルやゴリラと分かれ、100万年ぐらい前にチンパンジーと分かれたというから、ヒトより先にサルが一杯やっていたかもしれない。

人と酒の付き合いは古い。ものの本によれば、人と酒の付き合いの痕跡は、紀元前8500年前の古代メソポタミアや、中国における紀元前7000年ごろの遺跡にみられるという。

以来、人間は、切っても切れない酒との関係を続けてきた。中国史で最初の王朝、夏王朝、次いで殷王朝、周王朝と続くが、周の皇帝が、夏と殷は酒で国を滅ぼしたといって禁酒令を出したという。もちろんこんな“お触れ”で酒を排除することはできなかった。

禁酒法の実施は古今東西で繰り返されてきたが成功したためしがない。アメリカの禁酒法(1920~33年)はギャングの親分アル・カポネを酒密売でしこたま儲けさせ、買収で国を汚職まみれにした。

酒に関する諺は賛否両論で豊富だが、「酒は百薬の長、されど万病の元」とか、「一杯 人酒を飲む、二杯 酒酒を飲む、三杯 酒人を飲む」など、酒の功罪をバランスよく説いた俚諺も多い。

神道では“お神酒”といって神に捧げ身を清める酒の力をあがめるが、仏教では苦しみの元となる悪しきものとして酒を禁じている。しかし実際は仏門でも“般若湯”と称して愛用してきたことはよく知られている。私がむかし世話になった禅宗の高僧に、「葷(くん)酒山門に入るを許さず」と読み下すのが正しいはずの漢文を、これは「燻を許さず酒山門に入れ」と読むのだと“異説”を教えられたことがある。ちなみに葷はニラ、ニンニクなどの臭い野菜や肉、魚などのことである。

閑話休題。言いたかったのはそんな話ではない。このほど安倍内閣が成立させた酒の安売りを規制する法律のことである。この法律は、酒税法と酒類業組合法の改正法であるが、目的は、量販店などの安値販売から「町の酒屋さん」を守ることだという。

そのために過剰な安売りを規制して違反した販売業者には販売免許の取り消しや罰金などの処分を科すという。しかしそこには、税収の確保をねらう財務省と酒類販売の既得権を確保したい酒類販売組合の狙いが透けて見える。

しかし、安値販売の量販店などが損を承知で商売しているわけではない。厳しい経営努力で利益を確保しているのであり、その経営努力が消費者の利益にもなっている。それに、他業者を廃業に追い込むのが狙いのような「不当廉売」は、公取委が独禁法違反で取り締まることになっている。

たしかに「町の酒屋さん」はこの20年ほどの間に半分近くまで店舗数が減っている。しかし減ってきたのは酒屋さんだけではない。八百屋さんも衣料品店も本屋さんも豆腐屋さんも床屋さんも、あの店、この店、個人経営の店はみんな減少してきている。

その中で町の酒屋さんだけを法律で守ろうとするのはどこかおかしいのではないか。これでは、酒の業界が魅力的な票田だからかと疑われることになる。先ごろ、バター不足を補うために生乳の流通を規制緩和しようとしたが農協の抵抗にあって後退した。いずれもアベノミクスの主題である「規制緩和」で、“岩盤規制”も打ち壊すといった安倍さんの主張に反するのではないか。まずは少しでも安い酒を見つけて「憂いを払う玉箒」としている庶民をいじめないでもらいたい。

(山勘 2016年6月17日)

政治家の“人間力”とマスコミの責任


のっけから私の主宰する“めけり”を詠み込む「めけり川柳」で、いまだに“時の人”である舛添さんの、辞任にいたる経緯を詠んでみたい。

秀才の都知事弁舌揺れめけり(都合悪けりゃ言い換える)

しもじものセコさに増してセコめけり(庶民のセコさは生きる知恵)

まだ伝票精査したいはアホめけり(一目瞭然ニセ伝票)

名を言わぬ理由は「信義」寒めけり(似合わぬ人が「信義」言い)

みじめけり「リオまで」などと懇願す(なんと未練な命乞い)

鉄面皮ギョロ目で辞任早めけり(同情呼ばぬ面構え)

辞めければセコく生きても責められず(早くお楽になりなされ)

毀誉褒貶は世の習いで人の評価はコロコロ変わる。田中角栄はロッキード事件によって金権政治家のレッテルを貼られ、巨悪の根源のようにマスコミと国民に非難されて命を縮めた。その“角さん”が、変節的な?石原慎太郎氏の角栄礼賛本をきっかけにマスコミに持ち上げられて、いまや敬愛すべき偉大な人物として見直されている。

舛添元都知事は家族べったりの政治家として非難されたが、小泉元首相の秘書官だった飯島勲氏は、テレビで、政治家のもっとも身近な同志は家族だという意味の“舛添擁護的”な発言をしている。また、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、たった十数人(と言ったか)の編集関係者による週刊文春の記事が火をつけたとして“マスコミ警戒的”な発言をしている。

土光敏夫さんは、生涯にわたって質素な生活を続けたことで「メザシの土光」と呼ばれた。「知恵を出せ、それができないものは汗をかけ、それができないものは去れ」というのが土光さんのモットーだったといわれるが、土光さん本人は、それは誤解だ、「まず汗をかけ、本当の知恵は汗の中から出る」と言っていたという。マスコミに悪く書かれることのなかった土光さんだから、“マスコミ批判”というほどでもないだろうが、マスコミには言ったことと違うことを書かれるとコボしていたという。

近ごろ気になるのは、政治家に「国民の目線」を求める風潮だ。選挙とカネでチョンボをした田母神敏雄氏は、ブログで「国民の目線でとか政治家が言うのは、責任を取らないために言っているのです。国民には政治家が得られるほどの情報はないわけですから、国民が正しい判断などできるわけがないのです。政治家は国民のためと思う政策を行い、その結果については責任を取るべきです」といっている。国民目線を政治家が言うときは田母神氏の指摘どおりになる。市民が言うときは、肝心の自分の目線とは何か、自分の家族や友人、知人の目線とは何かを考えなければならない。あまり高くない目線で要求するとすれば“政治の低俗化”を求めるに等しいことになり、田母神氏に「国民が正しい判断などできるわけがない」と見くびられることになる。

ドイツの社会学者・経済学者のマックス・ヴェーバーは、支配者による支配の形には「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」の3つの型があるといい、政治家の資質に関しては「責任感」「情熱」「判断力」を挙げているという。舛添さんはどうだったのだろう。支配の3類型のどれにも属さなかったようにも見えるが、時とともに“周囲に人なし” の状況を“設営”したのだから、「カリスマ的支配」に憧れていたのかもしれない。そこからくる自信と過信が、舛添さんも当初は持っていたはずの「責任感」「情熱」「判断力」に“ひずみ”を生じさせてしまったのではないか。

ヴェーバーの教える政治家の資質は、人間として求めるべき資質でもある。結局は“政治力”の前に“人間力”が問われるのではないか。その政治家が生きてきた「人生」と「人柄」こそが問われなければならない。一般人はマスコミを通してしか人物を知るすべがない。舛添辞任を機に改めて政治家の“人間力”重視と、それを伝えるマスコミの責任が問われなければならない。

(山勘 2016年6月20日)


ホツマエッセイ 神武天皇誕生までの経緯



現在解読中ホツマツタヱの26~27綾(章)は紀元前660年より以前に当たります。神武天皇誕生までの経緯の記述内容を一目で分かるように表にしてみました。この綾はヒコホホデミとトヨタマ姫と皇子のカモヒト・ウガヤフキアワセズが中心になっています。

表の中にある「葵・桂の葉で夫婦のあり方を説得」(26-15~19)というコメントの背景を追記します。



ヒコホホデミが筑紫(九州)を治めるように父親のニニキネ(分雷神)から勅りを受け、開拓活動をしているときにトヨタマ姫と知り合い、その後懐妊します。そのとき、瑞穂の宮におられた父親から日嗣(天皇の位)を譲るから上京しなさいという伝令が入ります。



九州の志賀島(後に金印が見つかった所)から舟に乗りますが、身重であったトヨタマ姫はカモ舟(敦賀まで約1ヶ月)であとからついて行き、ヒコホホデミは一番速度の速い大ワニ舟で先に行って産屋を作っておくことにしました。

途中、姫の乗ったカモ舟が割れてしまい、岸まで必死で泳ぎ切ります。別の舟を見つけることが出来て無事敦賀へ到着します。そのとき、まだ産屋が出来上がっていませんでした。しかし、そこで無事出産しました。生まれた皇子はウガヤフキアワセズという長い名前を授かります。



このあと生じた大問題は、産屋の隙間から産んだばかりで素っ裸で開けっ広げのあられもない姿をヒコホホデミに覗き見られてしまいます。姫は、覗かれたことに気づき、もう生きてはいけないと恥ずかしさのあまりこの場を逃げ出します。

生まれたばかりの皇子は途中の遠敷の宮に置き去りにして、弟のカモタケヅミと山奥の貴船神社にたどり着き隠れてしまいます。

その後居場所を突き止め戻ってくるよう説得しますが聞き入れません。トヨタマ姫の父親も九州から駆け参じますが聞き入れることはありませんでした。

日嗣(天皇の位)を譲るための大嘗祭に新しい天皇にお妃が不在ではかっこが付かないため父親が九州から一緒に連れてきた妹のオトタマ姫を代役のために奉りました。

大嘗祭が終わって一年経ってもトヨタマ姫は隠れたままであったため、大上君(別雷神が日嗣・天皇の位を譲った後の呼び名)は葵の蔓を持ってミズハ宮(貴船神社)に出掛けます。葵の葉と桂の葉(双葉)は、夫婦と同じように左右両方そろって初めて葵の葉と言い、桂の葉と呼ぶのだということを諭します。

任務の終わった大上君(別雷神)はその後、貴船の山奥から「むろつ」(兵庫県たつの市御津町室津)に着き、遺言を残し、亀舟という大きな舟に乗り、鹿児島に向い「そお」(曽於)国の高千穂の峰(霧島山)につき、そこで神上がりします。

高千穂からは、「あさま」(富士山)の方から昇る太陽(日の霊)に向かってご来光を祈るので、この地を「ひむかう国」(日向国)と名付けられました。日向(ひゅうが)の語源になっています。



大上君(別雷神)が神上がりしたことを知ったトヨタマ姫は喪に服します。喪に服していることを知った瑞穂宮のヒコホホデミは歌を詠みイソヨリ姫に持たせます。



沖つ鳥 鴨着く島に

我が寝ねし 妹は忘らじ

世(夜)の事々も



とイソヨリ姫がヒコホホデミの歌を詠み、トヨタマ姫は返し歌をしたためます。

沖つ鳥 鴨(天下・神々から下々まで)を治むる

君ならで 世(夜)の事々を

えやは防せがん



この返し歌を葵の葉で包み、君(ヒコホホデミ)からの歌を桂の葉に包んで、赤白の水引草(みひきくさ)で結び文箱に納めました。

二人の気持ちが通じ、トヨタマ姫を御輿に乗せて宮に入り天下晴れての中宮になりました。



ここのトヨタマ姫とヒコホホデミの記述は、葵祭の起源になっていると思われます。また、おめでたい水引の語源にもなっています。

(ジョンレノ・ホツマ 2016年6月21日)