例会報告 |
第43回「ノホホンの会」報告 2015年3月25日(水)午後3時〜午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:致智望、山勘、高幡童子、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問) 狸吉さんが先月に引き続き、あいにく所用のため出席がかないませんでしたが、他の方々は元気に参加されました。今回も外交問題、金融問題、さらに進化論、アレルギー論、遺伝子論と多彩な話題で盛り上がりました。ヨーロッパにも厳然として階級社会があること、アメリカでの人種の区別と差別、中国の広さと中国人の多面性など、現地体験からの比較民族論はリアリティがあります。さらに詳細は本文をご覧ください。 (今月の書感) 「中国外交の大失敗」(致智望)/「住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち」(恵比寿っさん)/「花粉症のワクチンをつくる!」(ジョンレノ・ホツマ)/「私たちは今でも進化しているのか?」(山勘)/「沈みゆく大国アメリカ」(その1)(本屋学問) (今月のネットエッセイ) 「理のことば、情のことば」(山勘) (事務局) |
書 感 |
中国外交の大失敗/中西輝政(PHP新書 本体780円)
著者の中西輝政は、我が国に於ける中国研究者の第一人者である。京都大学大学院教授の退官後同大学名誉教授を務められ、ご専門の国際政治学でのご活躍の他に多数の著書がある、特に中国関係の著書は多くの人に読まれている。 本書は、2015年1月に上梓されたばかりの第一版第一刷であり、最近の中国関連のホットな問題である、レーダー照射事件、尖閣問題、国際法を無視した防空識別圏問題、そしてアセアン外交などの立て続けに味わった中国の挫折などが、取り上げられ解説されている。本書で注目すべき論点は、著者が学者の立ち位置で全篇が論じられ、感情に走らず歴史認識をベースに論理的に述べられている、その事が、かえって読者に凄みと恐ろしさを感じさせている。 本書の書感を述べるに当たり、本書の内容全てが重要な要素であり、私がごとき者に書感など恐れ多くて述べる資格は無い、「とにかく読んでくれ」と言ってしまいそうな、内容の濃い読み応えのあるものである。 論旨の中心は、古来の中国固有の中華思想から現中国の行動の全てが起こっていると言う、それは日本を属国として扱って来たつもりでいる事にある。しかし、日本は中国を中心とした中華文化圏とは異質の文化であり続けて来たと言う歴史認識の上に立ち、日本人は、日本独自の文化圏と言う事をここで改めて認識せよと言うこと。過去に遣唐使などが中国に行ったことは、中国に勉強に行ったのであって、貢物を提供しに行ったのでは無いと言う事。相手がそれを勝手に貢ものと解釈したかも知れないが、完全に属国として従ってきた韓国とは全く別である。韓国は、完全に中華文化圏であり、同じ文化を共有する社会で、この点を確り踏まえて歴史認識を解釈し、今起こっている諸問題を理解し、韓国と中国が連携するように見えても、そこには起こりうる原因の原点があるから、日本とは異質の事象として捉えるべきで、それがもし、連携したとしても異文化圏の事象であって日本には関係無いことと考え、日本は別文化圏として、韓国など眼中におかない独自の文化によって行動を押し進めるべきと言う。 中国は、極近代まで大変まずしかった、少しでも早く先進国並みの生活レベルに達したいと望み、先進国に媚び諂ってでもノーハウを吸収し、特に日本に対しては「嘘でも媚びする態度を持ち続けよ」「中国の夢」は迂闊に口にしてはならない。中国の本音を決して知られず着々と経済力を養い、国力の灌養に励めよとケ小平の遺言であったと言う。その仮面をいよいよ、今、かなぐり捨て、隠してきた本音を露出させ始めたと言う。だから、中国は今になって、日本に世話になったなどと言ったり、思たりする事は有りえないと言う。 だから、大平内閣が行ったODAは最悪で、当時天安門事件で世界中から非難されていた中国は、崩壊寸前であったのにその危機を救ったのが日本のODAであったと言う。それは、世界の見る目を和らげる効果として絶大であった事に加え、中国の経済発展に貢献したのはもちろんの事、現在の巨大軍備に大きく貢献したと言う。 と言うことは、私が如き凡人にしてみれば、大平など国賊と決めつけてやりたい思いが走るのである、著者はその様な感情論は論じて居ないが。 以上の様な環境からおして、先に述べた以外の諸々の問題、北朝鮮と韓国、中韓反日戦線、中国経済の問題、日本の属国化を狙う中国に対し「日中国交正常化」と言う雪辱的なことば使い、愚行の冴えたる「常任理事国入り運動」、などが事細かに、解りやすく述べられている。そしてこれらの問題に対処するべき、課題や処方などが具体的に述べられていて、流石専門家と思わせられる。 ただ、本書を知恵の無い右翼や昔の全学連の様な左翼者達が曲解する恐れがあるから要注意と思うが、一人でも多くのひとが事実を知る機会として本書を読む事は必須と思う。 (智致望 2015年3月10日) |
住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち/川口マーン惠美(講談社+α新書 2014年9月22日 第1刷発行 本体880円)
著者プロフィール 1956年大阪府に生まれる ドイツ・シュトゥットガルト在住。 作家。 拓殖大学日本文化研究所客員教授。日本大学芸術学部音楽学科ピアノ科卒業。シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。 著書には、ベストセラーになった「住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち」(講談社+α新書)のほか、「フセイン独裁下のイラクで暮らして」「ドレスデン逍遥 華麗な文化都市の破壊と再生の物語」(以上、草思社)、「ベルリン物語 都市の記憶をたどる」(平凡社新書)、「ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?」(祥伝社新書)などがある。
目次 まえがき 日本人にはサッカーより野球が向いている 第一章 泥棒天国ヨーロッパ 第二章 エアロビのできないドイツ人 第三章 不便をこよなく愛すノルウェー人 第四章 スペインの闘牛と日本のイルカ漁 第五章 ケルンの地下鉄と池袋の道路工事 第六章 日本の百倍酷いヨーロッパ食品偽装 第七章 日本的になったドイツの宗教事情 第八章 歴史の忘却の仕方――ヨーロッパとアジア 第九章 奴隷制度がヨーロッパに残した「遺産」 第十章 歌舞伎と瀕死のオペラを比べて 第十一章 同性愛者が英雄になるヨーロッパ 第十二章 「移民天国」か「難民地獄」か 第十三章 EUはヨーロッパ帝国になれるか 終章 劣化するウィーン・パリ・フランクフルトVS進化する東京 あとがき ヨーロッパのジャポニスムは今も健在
9勝がどれで、1敗はどれだとは、著者は示していない。内心それを期待していた私は一部落胆も。それに、我々日本人読者がこの著書の内容に溜飲を下げても、向こう(ヨーロッパの人たち)から見れば、大分見方が違ってくると思います。文明と違って、文化の違いはそう簡単には同化しないということを認識しておく必要があると感じた。 (最近、曽野綾子が産経新聞のコラム「適度な距離保ち受け入れ」でアパルトヘイトと批判されたが、この違いを指摘しているものであって、批判は当たらないですね) この中で興味を持ったのは、ドイツと中韓の考え方(文化)のちがい。ドイツでは「忘れてはいけない」のは「人や他国に対してやったこと」である。日本と同じ。やられたことはほどほどに忘れるが中韓は正反対の思考から発している。日独の意外な同一性に感心した。過去を振り返らないのは日本人の性格。賛否分かれるところでしょうが、これは良いことだと思いますね。
30年も住んだドイツでは落し物は戻ってこない。日本は良い国なのだ。
それまで貧しかったノルウェーが豊かになったのは、1969年の北海の石油とガスの発見で、凄いところは国民全体を豊かに強くしたことである。その意味ではノルウェーは完全市場主義な社会と少し異なる。この国で生き抜くためには大昔から、長期的な視野と緻密な計画性は必要だったと誰かが言った。日本は温暖な気候で外国とは海で遮断されているので、今の国民性があるようにも感じます。(これが1敗かな)
原理主義はイスラム教にもキリスト教にもあるが、仏教にはない。おまけに(日本は)宗教に対して寛容だが、いい加減なところ、こんな素晴らしい宗教観はほかには無い。
ヨーロッパは北が豊かで南が貧しい。イタリアは政治も経済も破たん状態だが、精神的には優雅にドイツを見下している。こういうところは日本人には理解できないところだ。EUは間口を広げてしまって、夢で見るしか(今のところ)ないようだ。
いつもは、出来るだけ内容に忠実にピックアップして、自分の意見は控えめに書感としてきたが、今回は返却を督促された事情もあり、斜め読みして感じたままを書き殴りました。 (恵比寿っさん 2015年3月18日) |
花粉症のワクチンをつくる!/石井保之(岩波書店 2010年2月発行)
最近、若い人のマスク姿も見受けるようになり、多くの人が花粉症に悩まされている一方、私自身は以前から花粉症に悩まされていたのですが、なぜか、最近になって悩まされることも無くなってきています。 そんな中、読売新聞の編集手帳に本書の「花粉症のアレルギー反応は元来回虫を標的にした体の働きだったが、回虫がいなくなったことで花粉に反応するようになった。ごく大雑把に言えば、そんな説である」という解説があったので、図書館にリクエストし読んでみました。
裏表紙には、「スギ花粉症の患者数は国内で3000万人を超え、今後もさらなる増加が予想されている。しかし、現在までに、花粉症を根本的に治療する方法は見つかっていない。「スギ花粉症を引き起こすアレルギーや免疫のメカニズムとともに、根本治療を可能にする究極のワクチン開発の最前線を紹介する。」とあります。
目次は以下のようになっています。 日本で花粉症が増えた本当の理由 発症メカニズムと免疫のしくみ 飲みつづけても「治らない」薬 根本治療へのカウントダウン 滅感作療法 根本治療へのカウントダウン 免疫の制御機能を利用 究極の花粉症ワクチン」開発の最前線 花粉症治療の未来
この中で気になった1章の「日本で花粉症が増えた本当の理由」を取り上げてみました。
世界で増加するアレルギー患者 昔はアレルギーだと診断できなかった患者さんを現在は正確に診断できるようになったので患者数が顕著に増加。
遺伝か環境か 環境的要因がアレルギー発症のカギ
戦後の「食住」環境の変化 食の欧米化、と同時にさまざまな食品添加物を含んだ加工食品がアレルギー体質が助長され、食物アレルギーの発症を拡大した。 住環境では、木造建築に代わって密閉性の高い家屋が増え、快適な住空間を手に入れることが出来たが、同時にダニやハウスダストにも好都合な環境を提供、気管支喘息の発症率が上がった理由の一つに家屋内のハウスダスト濃度が高まった。 その他に、大気汚染も原因の一つとして考慮されています。 政府のスギ植林政策 部分的にイエス。この前段階に本当の原因が潜んでいる。 衛生環境の向上が原因 上下水道が整備され、汲み取り式でなくなった。 「衛生仮説」とよばれ、不衛生な環境で育つと、自然免疫が活性化し、アレルギーになりにくい。一方衛生的な環境で育つと、アレルギーになりやすい、という説がある。 アレルギー体質になったもう一つの理由 寄生虫とアレルギーの関係 IgE抗体という抗体は本来の仕事は寄生虫の排除であり、アレルギー応答は実は無駄な「勘違いの仕事」と思われる。 戦後間もないころは、日本人の七割以上が回虫を体内に持っていた。IgE抗体が免疫応答を起こしていた。しかし、DDTによって回虫が体内からいなくなったため、IgE抗体は本来の仕事を失ってしまった。 花粉と回虫は似ている?戦後生まれで回虫との共生経験がない日本人の免疫システムでは、回虫に対する免疫寛容が成立していないので、スギ花粉やその他のアレルゲンを回虫そのものだと勘違いして、IgE抗体を産出しているかもしれないのである。
先ほどの編集手帳の冒頭に、 敗戦直後の日本に上陸した米軍医が最初に遭遇した生き物は、足に群がる「飢えた蚊」だったという。彼らは自分たちで使う建物のみならず、日本中の人や家屋に殺虫剤DDTの白い粉をかけていった。 このノミ、シラミ、寄生虫の駆除対策として使ったDDTで、体内にいた回虫まで殺してしまった。と、あります。
これは、加工食品を極力控える食生活を心がけるようになったこともアレルギー改善が得られたと実感するからです。もっとも、加齢によりアレルギーに対して反応が鈍くなってきているだけのことかも知れませんが…。 (ジョンレノ・ホツマ 2015年3月20日) |
私たちは今でも進化しているのか?/マーリーン・ズック著・渡会圭子訳(文芸春秋 本体1800円)
人間の進化に関する本は、学術書から興味本位の読み物まで繰り返し出版されるが、本書は、米・ミネソタ大教授で、進化生物学と行動生態学を専門とするまじめな女性科学者の著作だが、まじめに披露する進化の実例が面白い。 オビにこうある。「人間は歴史の大半を狩猟採集で生きてきた。病んだ現代人は今こそ原始人を見習うべきだ」。しかしこれは、おそらく出版社による惹句であろう。原始時代に憧れても原始人に学んでも原始に帰ることは不可能だ。それは自明の理であり、著者は、進化には速い進化と遅い進化があるとしながらも、文明という新しい環境に人類はこれからも適応していくという立場を取っている。 その、速い進化の例については「私たちの眼前で生じる進化」の一章がある。この章では、「ハワイで鳴かない新種のコオロギが現れたのは環境の激変に適応するためだった。動物の世界では数十年単位で急速な変化が起きている」という事例を紹介する。 コオロギは、ハワイ諸島に150年ほど前に持ち込まれたとみられるが、やがてメスの気を引くために鳴くコオロギのオスの鳴き声を捉えて寄生バエが襲うようになった。コオロギに幼虫、ウジを生みつける。ウジはコオロギの体に穴をあけて潜り込み、体内を食いつくす。宿主が死にかけると這い出して地中にもぐってサナギになり、やがて成虫のハエになる。そしてこの島のコオロギは絶滅寸前の状態に陥った。 ところが、2003年に筆者が同島を訪れた時、コオロギは元気で繁殖していた。わずか5年で進化した、鳴き声を出す器官を消失させた新種のコオロギである。20世代ほど進化を繰り返して危ない“楽器”を手放したらしい。 人間の進化の例では「ミルクは人類にとって害毒か」という一章がある。この章では、「哺乳類の中で離乳後もミルクを飲むのは人類だけだ。なぜミルクや乳製品を消化できるようになったのか?それは牧畜の開始より前か後か」を考える。 動物は、自分の子を育てるために乳を与え、まもなく離乳する。人間は本来子牛のものだった牛のミルクを横取りし大人になっても飲む。 ミルクにはラクト―ス(乳糖)が含まれており、これを小腸で分解するのがラクターゼという酵素である。このラクターゼは離乳後にほとんど体内で生産されなくなる。ラクターゼが働かなくなった大人がミルクを飲むとお腹の具合が悪くなり下痢をしたりする。しかし、ラクターゼの働きが持続してミルクや乳製品を消化できるのは世界の約35%の人々で、それは数千年前に牧畜が始まった地域の民族が中心だという。人間は数千年の進化を経て牛乳を飲めるようになったというわけだ。 また本書は、アメリカを中心に近ごろ流行りの、肉食中心だった原始人にならって私たちはコメや麦などの炭水化物の摂取をやめるべきだとか、石器時代に学ぶ最適の運動は何かといった“パレオファンタジー”(石器時代への幻想)や“パレオダイエット”(石器時代のダイエット)に、進化論の立場から異議を唱える。 巻末に「解説 炭水化物は人類を滅ぼさない」とする垂水雄二(科学ジャーナリスト)の小論がある。その終わりはこう結ばれている。「文明の発展と共に、人類は良きにつけ悪しきにつけ、劇的な環境の変化を生みだしてきた。生物としてのヒトの体は、その変化に応じて微細な改革を積み重ねてきたのであり、これからもそれを続けていくに違いない」。大方の読後感はそれに尽きるだろう。 (山勘 2015年3月21日) |
沈みゆく大国アメリカ/堤未果(集英社 2014年11月19日第1刷 12月16日第3刷 本体720円) (その1) “鳴り物入りで始まった医療保険制度改革「オバマケア」は、恐るべき悲劇をアメリカにもたらした。「がん治療薬は自己負担、安楽死薬なら保険適用」、「高齢者は高額手術より痛み止めでOK」、「1粒10万円の薬」、「自殺率一位は医師」、「手厚く治療すると罰金、やらずに死ねば遺族から訴訟」、これらはフィクションではない。すべて超大国アメリカで進行中の現実なのだ…” カバーの袖に踊る過激な惹句が、アメリカが2010年に導入した国民皆保険を目指した新しい医療保険制度の悲惨な状況をよく表わしていて、情緒的なタイトルからは想像もできないあまりに衝撃的な内容に驚かされる。 アメリカ在住の著者はニューヨークの大学で国際政治やマスコミ論を学び、これまでもアメリカ社会の貧困や弱者問題など、日本のマスコミが報道しないこの国の現実を伝えてきた。今、アメリカの医療や保険の現場で何が起こっているのか。本書は、新しい医療保険改革の欺瞞と真実に迫った出色のルポであり、同時にアメリカの経済・社会システムを追随し続ける日本への鋭い警告書でもある。 オバマ大統領が「もう誰も無保険や低保険で死ぬようなことがあってはならない」と宣言して成立した医療保険制度改革法、いわゆる「オバマケア」は、アメリカ国民の大きな希望と期待を担ってスタートしたかにみえたが、その後の新しい民間医療保険は各種の付帯条件をカバーしないと違法になり、オバマケアの保険料は年間2500ドル下がると謳っていたはずが、保険商品の選択肢が狭まって顧客の希望とは無関係に付帯条件の多い高額保険を買わされて、従来と同じ保険が2倍に値上がりすることになった。 アメリカには65歳以上の高齢者、障害者・末期腎疾患患者用の「メディケア」と、最低所得者層のための「メディケイド」という2つの公的医療保険があるが、このうち州と国が費用を折半するメディケイドの受給条件は国が決めた貧困ライン以下の住民が対象で、一般の中間層の国民は入れない。また、310万人が加入する週14ドルで年間2000ドル分の医療費をカバーする最安値保険「ミニメド」は、医療保障面でオバマケア規定を満たさないため今後は使えないなど、実際にはかなり不合理なシステムであることがわかった。しかも、オバマケアの実態についてアメリカ国民の60%がよく知らないという。 こうした現状に対して、多くの中小企業や安い時給で社員を雇用するファストフード店、チェーン量販店、組合などは成立後にホワイトハウスに押しかけ、自分たちをオバマケアの「従業員への健康保険供給義務から免責してほしい」と要請する騒ぎになった。全国1万4000か所の店舗に約3万人を雇用するマクドナルドは、オバマケアの条件を満たす医療制度を全従業員に提供すると各店舗で最高3万ドル(300万円)コストがかかると抗議した。理由は人件費で、社員50人以上の企業がオバマケア指定の保険を提供した場合、人件費が1人あたり時給で1.8ドル、物価が高いニューヨーク州やニュージャージー州では3.8ドル加算される。 企業は、社員の地位に関係なく同レベルの保険を提供しなければならず、もし社員が企業保険以外のメディケイドやオバマケア保険を購入した場合、社員総数から30を引いた人数×2000ドルの罰金を払う。50人の会社なら4万ドル、企業が提供する保険が社員の給与の9.3%を超えても罰金が発生する。するとその社員は自動的に企業保険を外れてオバマケア保険に送られ、企業が払う罰金は1人あたり3000ドルに上る。マッキンゼー社の調査では、全米企業の約半数が罰金を払って企業保険を廃止するほうを選んだそうだ。 また、労働組合が提供する医療保険はオバマケアの基準より充実しすぎているとして、今後40%の課税対象になるが、オバマ大統領は反対が多いその引上げを暫定的に2018年まで延期したそうで、オバマケア成立後、2011年末時点で450万人が雇用保険を失ったなど、その後のこうした深刻な現状も紹介している。 アメリカでは大企業寄りの共和党が労働組合を解体してきたので、アメリカの労組がなくならないよう民主党とオバマを信じて全力で押した結果、こんなことになったと民主党支持層や労働者たちは嘆き、オバマケアを大宣伝した当事者たちが法案の中身を知って逆に免責を申請し始めたことを、彼らは夢にも考えなかっただろう。雇用主を通じて保険に加入する人口は1億7000万人もいて、オバマケアはアメリカの中小企業を衰退させ、中流の労働者から企業保険を奪う悪法だとアメリカ国民がいい始めたと本書は書いている。 アメリカの場合、通常の民間保険の医師への支払い率を100とすると、メディケアは70〜80%、メディケイドは60%と医師への報酬は低くなる。オバマケア保険の支払いも同じで、病歴があっても加入拒否できない、保険金の生涯支払い額に上限がないなど保険会社に不利なので、保険各社はオバマケア加入保険者を診断する指定医療機関リストを大幅に縮小し、治療費の支払い率を下げた。医療報酬が下がれば、アメリカの医者は生活できない。同時に新薬の自己負担率を上げ、オバマ政権が癌やHIV薬などの薬価交渉権を放棄したことから市場原理から薬も医療費も値上がり、今やアメリカで自己破産理由のトップは医療費になったそうである。 では、アメリカはどうしてこんなことになってしまったのか。現在のアメリカの政策立案の現状について、著者は面白い表現をしている。リーマンショック後の金融危機の最大の責任者である5大メガバンク(シティグループ、ゴールドマン・サックス、バンクオブアメリカ、モルガンスタンレー、JPモルガン・チェース)が税金で救済された最大の理由は、金融業界が2500人のロビイストを雇い、一方で1500人に及ぶ元政府職員を雇い入れ、彼らを政府と業界の間にある“眼に見えない回転ドア”を使って頻繁に出入りさせたことだと。 つまり、業界の息のかかった人間を政府に送り込み、逆に政策立案にかかわって制度を熟知した人間を業界に取り込む。そうすることで、彼らの精力的な働きかけが政府の政策に影響を与え、メガバンクは金融危機の責任を逃れた。2008年にリーマンショックを引き起こした張本人たちは、政府に救済されて信じられない額の退職金を手に悠々と表舞台から去っていったという。今日のアメリカはこのように、国家の方針や政策までが実質的にグローバル超大企業やウォール街、金融・投資資本などによって支配されているというのである。 オバマケアも構造は同じで、現場の医師や患者、一般国民の声の届かないところで最大利益団体の医療保険会社が構想し、設計したこの法案は、アメリカの医療だけでなく医療事業者や患者、中小企業や労働者たち、そして社会全体に及ぼす影響が大きいにもかかわらず、その利益のほとんどが医療保険会社や投資銀行に流れるシステムであることを、アメリカ国民はようやく理解し始めたわけである。 (その2に続く) (本屋学問 2015年3月23日) |
エッセイ |
理のことば、情のことば
当たり前の話だが、言葉というものは表もあれば裏もあって面白い。最近、テレビで外国製の刑事ドラマを見ていたら、定年直前のFBI刑事が、「この仕事が面白いという奴は仕事の手を抜いている奴だ」というセリフを吐いた。しゃれた一言に笑わせられた。このセリフで思い出した話がある。三井系だったと思うが、大企業の名前も有名だった社長の名前も忘れてしまったが、その社長に「仕事は面白いか」と聞かれた新入社員が「はい、面白いです」と答えたら「じゃあ、給料はいらないな」といわれた話である。安易に「面白い仕事」を欲しがる今時の若者に聞かせたい警句である。 またこのドラマの刑事が、「子どものころは刑事になりたいと願っていたが、今は、なれるものなら子供になりたい」というセリフも年老いてみると切ない実感である。それで思い出したのは、同年輩の女性が子供のころ、「本を読んでも勉強してもすぐ忘れてしまう」と父親に嘆いたら、父親が、井戸(当時はまだ井戸が使われていた)の水を汲み上げる桶を例に引いて、「水を汲んでただ捨てているように見えても一生県命汲んでいれば、桶に水こけが溜まるように大事なものが溜まっていくんだよ」と教えられたという。 それにしても、後期高齢者と呼ばれる齢まで生きてくると、長い人生の折々に出会った人に聞かされた話、忘れられない一言が衰えた脳裏に浮かぶ。その中に、この2月に死去した工業デザインの草分け、栄久庵憲司さん(享年85)の一言がある。その死去がマスコミで大きく報じられた栄久庵さんの代表作は日本人なら誰でも知っている、あの赤いキャップの小さな「しょうゆ卓上びん」である。僧侶だった父と、妹が広島で被爆(後に死去)。被爆世界の「凄惨な無」に直面して「秩序のある美しいモノの世界」を創造する工業デザインの道に進んだという。 その栄久庵さんに40年ほど昔、お会いしたことがある。日時などを確認するのが面倒なので、大雑把な思い出として書かせてもらうが、当時、私が編集を担当していた日刊工業新聞社の技術雑誌で、栄久庵さんと東京工業大学教授(現在、名誉教授)の森政弘さんの対談を組んだことがある。森さんは言わずと知れたロボット工学の先駆者で「ロボコン博士」の異名を持つ。一方、「メカ」だけではなく「心」に目を向ける仏教哲学者でもある。 その対話の中で、栄久庵さんが言った一言がいまだに忘れられない。それは大型プラントの自動制御についての話の中で出た一言である。電力や鉄鋼などの大型プラントの「中央制御室」の広い壁面にはめ込まれた「コントロールパネル」には、プラントの稼働状況を計測し制御するための計器類などの機器がびっしりとはめ込まれている。 いうまでもなく機器は冷たく無機的である。計器の針や計測値の数字が動いているだけである。その無機的で人間味に欠けるコントロールパネルのどこかに、「プラントの不具合に応じてベソをかいたり涙をこぼす仕掛けが必要ではないか」というのが、さりげなく出た栄久庵さんの言葉である。これは仏教徒でありながら“物教徒”と自称してモノと人との関わりを追求した栄久庵デザインの精神から出た言葉であり、近時の原子力発電の事故などを思うと軽くて重い意味のある一言である。 それにしてもこの齢になると、若いころグサリと心に刺さったり神経を逆なでされた鋭利な言葉、「理のことば」は忘却の彼方に遠のき、情に絡んで心にとどまっている言葉、「情のことば」の方がよく思い出される。つまるところ、理に適っても情に通じない言葉は弱いということではないか。 (山勘 2015年3月21日) (ネットで、中高年クラブ「ばばんG」をご覧ください) |