例会報告
第39回「ノホホンの会」報告

2014年11月20日(木)午後3時〜午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、高幡童子、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

時雨模様のあいにくの天候にもかかわらず、前回に引き続いて全員定刻に集合でした。今回も日本と世界の経済から比較民族論、超古代史、健康な生き方、幸せな死に方まで、いつもながら多彩なテーマが集まりました。病老臥死は人間の四大苦ですが、それとどう向き合っていくか、また付き合っていくか、そして、いつも話題の中心になる政治改革と構造改革、忘年会の格好のテーマになりそうです。総選挙の結果は果たして……?

(今月の書感)

「金融市場を操られる絶望国家・日本」(致智望)/「脳内麻薬」(恵比寿っさん)/「アングロサクソンと日本人」(高幡童子)/「終活なんておやめなさい」(狸吉)/「ワイマールの落日」(本屋学問)

(今月のネットエッセイ)
「女のカンと点と線」(山勘)「『このはなさくや姫』の物語」(ジョンレノ・ホツマ)/「直感力と観察力」(本屋学問)

(事務局)
 書 感
 金融市場を操られる絶望国家・日本/福島隆彦(徳間書店 本体1600円)


 アベノミクスの効果も怪しくなって来た。私が今の紙幣経済に疑問を持ち始めて以来、金持ち国家日本の行く末と自分の老後生活の不安を持つ今、この人の上梓する書籍は標題がストレートで、品が無いとも言えて、読むのを躊躇することもあるが、気になって仕方なくつい読んでしまう。


本書を読んで感じた事は、我々庶民は、既に茹でカエルになりつつあるのではないかと言う事、世界経済の実態への疑問、そして経済に絡む国家戦略の不備などをあぶり出されると、なるほどと思え、ますます、目が離せなくなる。


本書のまえがきは、株式、債券、ドル、円相場、そして金など全ての金融市場が既にもう統制されており、政府によって価格が操作されていると言う。「市場との対話」とか「フォワード・ガイダンス」と言う言葉は市場操作の別名であり、市場関係者が生き延びる唯一つの道である事は判っているが、専門家でも分っているつもりで、実は分っていない。日常のルーチンとなっており、一番恐ろしい事だと言う事、この論旨が本著の基本であり、具体例を挙げて説明している。


中国の米国債保有額は、日本よりはるかに多く公表4兆ドルと言われるが、実際は20兆ドルと言う、この内10%中国が売却するとNY債権市場は暴落する。これは、何を意味するか、中国とは喧嘩出来ない、阿部政権が靖国参拝を繰り返すと中国はアメリカへ抑止力戦略を実行する。アメリカは中国と手を結び中国の肩を持つ、日本では誰もこの事を口にしない。安倍総理が参拝した時、中国は、1人民元を対ドルで6.15に為替を切り下げたが、このタイミングでの行動は、中国の不快感を表したものと言う。


米国の累積財政赤字は、5000兆ドルで長期金利が0.1%上がると毎年500億ドルの年間利払いが発生することになる。これによる信用度を守る為に、米国は金の価格を抑えてドル紙幣の価値を保たなければならない。その手段として、「金」を空売りし、「金」殺し行動をやってドル価格を維持しようとする。だから、日本が円を刷ってもその効果は一時的なもので、円高の潮流が変わる訳でもなく、日本の国力の衰退を招く行動以外に何もないと言う。


と言うことで、金価格がグラム当たり4000円を切ったら絶対に買いであるが、政府は金の売買を禁止する行動に入っており、既に個人の金売買を取りやめた大手貴金属会社も出ている、やがて全面的に個人の取引が停止されるだろうとの事。


米国の政治問題である。民主党内のハト派勢力であるオバマ大統領と、同じ民主党なのに対外強硬派である、ヒラリー・クリントンとの戦いが、今なお両勢力は四つに組んで引き下がらない。対する本来の保守派勢力である共和党は、政権担当能力を放り投げていて、まともな指導者が出てこようとしない。次のアメリカ大統領選挙の顔になろうとするものが見当たらないと言う。そして、オバマは彼の政治姿勢を貫いて、外国に軍隊を派遣する事をしない。これを無気力なオバマとタカ派から悪口を言われる、オバマとバイデンのチームは、徹底して「世界の警察官」の役割から撤退を考えている。今のアメリカの財政破たん寸前、国力衰退寸前の資金不足では、米兵を5万人も外国に投入するのはもはや出来ない。強硬派からは急ぎ立てられたが、オバマは動かなかった。


オバマは、シリア国内でばらまかれた化学兵器爆弾をさく裂させたのは、アサド大統領でなくて、凶悪なアルカイダ系の反政府軍勢力の犯行であった事を、国連派遣の調査チームの調査から真実を知った。オバマの冷静な判断は賞賛されるべきと言う。


ウクライナのヤヌコビッチ政権の崩壊に伴う混乱でも、オバマの冷静に自重した態度に現れた。それは、ウクライナで反ロシア勢力が暫定政権を作った、と言っても、親ヨーロッパのふりをしているが、実態は恐るべき右翼ごろつき人間たちであったようだ。アメリカ国務省内にも潜り込んでいる奇怪な宗教勢力が応援していたことがバレテしまった。


アメリカとヨーロッパのメディアの主流は、真実を知っているのに、オバマの弱腰外交とか、世界管理能力の低下などと叩くが、今のオバマのハト派路線は沈着であると著者は言う。


安倍政権では、首相が誕生と同時に、政府がアメリカ国債を50兆円買ってオバマ政権に流れたと言われている。このアメリカを抱き込んで買収したお金で、アベノミックスはやらせてもらった、つまり、これが人工的な円安と株高のことであると言う。この麻酔もきれようとしているが、この間に儲けたのは、米系のヘッジファンドたちで、これはアメリカの政府と同じグループで、始めからアベノミックスは日米の野合、談合、裏取引であったと言う。


考えてみると、安倍政権以前は円高で苦しんだ日本政府が、一転して円安、株高に転じたのであるから、言われてみるとそうかも知れないと思う。


この様な論調で、先進国の新たな長期不況やアメリカの金殺し、首相の靖国参拝などのテーマが述べられており、世界の裏情報をもとに著者の論理は進むのである。そしてその後の状況が、事実その方向に進んで行っているから、益々この書が離せなくなると言うのが私の書感である。


本書に記載されていることではないが、関連する事件としてオバマはビンラディンを殺し、政権の実績に掲げているから、その後に、アルカイダに活躍されると都合が悪い。シリア国内での化学兵器事件もアルカイダの仕業と解っても、公表出来なかった事情があり、この事が今後米国の政界で問題になるであろうと言われている。米国をめぐる世界情勢に目が離せない。

(致智望 2014年11月4日)

脳内麻薬/中野信子(幻冬舎新書 本体760円 2014年1月30日初版発行 5月20日現在 第九刷発行)


著者プロフィール

東京大学工学部卒業後 2004年東京大学大学院医学系研究科医科学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。

同年から10年まで、フランス原子力庁サクレー研究所で研究員として勤務。フジTVニッポンの頭脳決定戦SPで優勝。

著書に「東大卒の科学者が、金持ち脳のなり方、全部教えます」(経済界)、「科学が突き止めた『運のいい人』(サンマーク出

版)、「成功する人の妄想の技術」(ベストセラーズ)、「世界で通用する人がいつもやっていること」(サンマーク出版)など。

TV番組のコメンテーターとしても活躍中。


目次

はじめに

第一章  快感の脳内回路

第二章  脳内麻薬と薬物依存

第三章  そのほかの依存症

第四章  社会的報酬


興味あるタイトルだが、買わずに図書館予約して良かった。それでも予約待ち数か月だったので、如何に人気があるのか、ですね。素人の私にとって新しい知見が示されているが、いずれも他の科学者の文献を紹介したり、その要約的な内容。著者のオリジナルな創造的叙述を期待していた私には正直がっかり。


なお、著者はTVで有名だそうだが、TVを見るのは世界遺産やドキュメンタリー、ニュースとゴルフくらいしか見ない私は著者の名前を今回初めて知った次第です(苦笑)。なので、書感も筆が進まない。2週間の借り出し期限が来るので、止むなく読み書き進める。


唯一の興味は依存症の正体。これは依存症の依存対象そのものには共通性がないのに、何故かという?があったからです。そういえば、サブタイトルは「人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」とあった。

ニコチンやアルコール、ギャンブルやセックス、恋愛やオカルト宗教と全く共通性はない。ところが、唯一の共通点があると指摘しています。それは、依存対象に接している時、人の脳にはドーパミン(興奮性神経伝達物質)が分泌されていることだそうです。


そして、初めて依存対象に接したときに人は「意識する脳」である前頭連合野がそれを好きかどうか判断し、好きだとなると(A10神経から)ドーパミンが放出されるので、脳は快感を覚える。そしてこの結果が海馬に記憶される。だから、依存症は(アルコールなどの)物質が起こすものではなく、脳自体の病気なのだと言う。


しっかりした倫理観を持っていて心の弱さがなければ、以上に挙げた依存症なんてならない筈だと考えていた私にはショックですが、私のような高齢者はドーパミンの分泌量も(枯れて)少ない筈と気を取り直しています。


で、最初の体験が快感とともに記憶されると、「再びあの体験をしたい」と考えるようになるそうです。危ない、危ない。


日常生活で、ドーパミンが分泌されるのは特別なことではなく、そのたびに依存症が起こったら人は皆その中毒になってしまうが、(良くしたもので)抑制性の神経伝達物質(セロトニン)が過度な興奮を抑える。


依存症の人はこうした神経伝達物質のバランスが崩れたのだと考えられているそうな。


依存症で厄介なのは、その刺激の体験を重ねるうちに、快感が直ぐに得られなくなることだそうで、快感を得ようとして量や頻度が増えることだそうです。アルコール依存症が良い例ですね。これはドーパミンの受容体が減少することが原因だそうで、ドーパミンの放出側や受け取る側の神経細胞自体が変化して、結果として「依存」が脳の中に永久に記録されるんだそうな。だから、依存症から立ち直っても、ふとしたきっかけで逆戻りということになる。


怖い話だ。もともとドーパミンは「自分への褒美」だそうですから、快楽の仕組みを知ることで自身でコントロールが必要ということですね。


(恵比寿っさん 2014年11月10日


 アングロサクソンと日本人―グローバル環境への対応/久野勝邦(2010年9月 文芸社 本体1,600円)


筆者の久野勝邦氏は1940年福岡県に生まれ、旧満州にて終戦を迎える。1962年東京大学を卒業後は日立製作所傘下各社の役員、社長を歴任し30カ国170回に及ぶ海外出張を通して海外事業で活躍した。氏の命名と経歴に時世の流れがにじんでいる。


全篇で引用された文献は353におよび、多忙のなかでリーダーに求められた多面性をうかがわせる。二つの実在する文化の、歴史と特徴を比較しながら解説し、日本人がグローバル環境で生きていくために何が必要かを説き、両文化が価値観を共有する余地があると論じている。


第3章 アングロサクソンと日本人の比較

「1」言語環境の差 

日本語 表意文字の輸入と表音文字の発明 カナ

ニュアンスで修飾

敬語、丁寧語が異常に発達

漢字を表音文字化して言語的に中国から独立

漢字 複雑難解 不統一 人口多

英語 正確な文法 文字数が少ない 多民族を支配

「2」宗教感覚の差

「3」気質と文化の差

「4」グローバル資本主義経済の原点

「5」第二次世界大戦と国際政治環境


第5章 共有できる価値観

イギリス人と日本人には似た点が多くあるとも言われている。例えば「他人に迷惑をかけない」「社会ルールは守る」などの道徳意識には、共通のものがあると言われている。すなわち、両国民ともに、名誉を重んじ、正義の遂行と個人業務の履行には熱心で、正直と勤勉を美徳とするなど、行動原理という点では同じ信念を共有していると言われている。また、自然を愛し大切にする点でも、双方にはかなり近い感覚が見られる。

しかし、次のような顕著な差も見られる。

(a)日本人の特徴

自己抑制と協調性(和の重視)、集団主義(ムラ社会)

個人の成功は努力によるとの信念(我慢と協調性)

抑圧からの自由、結果の平等が重要。

苦境に立った時の我慢、勝負のときの陰険さ、運命への恨み

感情(喜怒哀楽)に身を任せ、ありのままを大事にする

社会ルールは、自然に決まっている(慣例重視)

あえて波風立てることはない。新しい試みで何か得られてもたいしたことではない。

リスクを回避―社会停滞の原因

現状に満足しようとし、そこに安住しようとする傾向がある。

過去の自らの伝統の中に、価値と権威を探そうとする

(b)英国人の特徴

自己主張と主体性(個の尊重)、個人主義(階級社会)

個人の成功は能力によるとの信念(挑戦と独自性)

苦境に立ったときの余裕、勝負のときの公正さ、運命の受容

意思選択の自由、機会の平等が重要

感情(喜怒哀楽)を克服し、冷静さ、余裕を大事にする

社会ルールは人間が決めるもの(討論重視)


個人の意思の尊重(自由主義)―特に問題がなければ、個人の意思に任せればよい。

あえて押さえつけることはない。新しい試みで何か得られれば皆のためになるだろう。

―リスクに挑戦―社会発展の原因

現状に不満を持ち、これを改革しようとする傾向がある

現在の周囲の環境の中に、新しい価値を探そうとする


(高幡童子 2014年11月17日)

終活なんておやめなさい/ひろさちや(青春出版社青春新書 2014年6月本体920円)


高齢化社会を迎え、昨今終活を勧める本が増えてきたが、これはそれに真っ向から異を唱える異色の本。著者は大学でインド哲学を学び博士課程を修了した宗教評論家。宗教、とりわけ仏教に関する解説書を多数執筆している。

まず目次を見ると内容がほぼ推察できる。

:遺言書は無用

:葬式は思案無用

:墓、墓参りはお悩み無用

:戒名こそ無用

:釈迦が教える供養とは

:真の終括とは何か

:最期を明らめてこそ生が輝く

著者は宗教学の専門家だけに宗教・宗派の歴史に詳しい。インドで仏教が生まれた当初、わが国で現在行われている行事・儀式は何もなく、その後いろいろな宗教や習俗を取り入れて変化したのだそうだ。たとえば、位牌と仏壇は儒教から取り入れ、戒名、僧侶の読経は徳川時代から、香典は大正期から始まった。毎年の盆、彼岸も後世に生まれた行事。七回忌、十三回忌など年忌法要は神道に由来し、日本以外では行われていない。

キリスト教の浸透を恐れた徳川幕府は、寺院をその監視役として利用するため、檀家制度で人々を寺に縛りつけ、葬儀も僧侶に行わせることにした。寺にとって楽な世になったが、以後日本の仏教は葬式業に堕してしまった。このように時代と共に葬儀典礼も変化する。

家制度や長子相続制度が崩れた今日、これまでの習慣に拘る必要は無い。「散骨、直葬何でも結構、人が死ねば阿弥陀仏が救い上げてくださる。死後のことまで心配するな」と説いている。著者の宗派は浄土宗であるから当然の言葉であろう。

著者も「自分は仏教原理主義者」と自認しているが、本書の根底には徹底した他力本願の信仰が流れている。NET上にはこれに対する批判も出ているが、読了後私は著者の説くところに深く共感した。自分の葬儀は連れ合いに任せるが、恐らく世間一般の慣わし通りにやると思う。しかし、それにも口を出すのは止めよう。どうせ死んだ後まで指図はできないのだから。


(狸吉 2014年11月19日)

ワイマールの落日/加瀬俊一(光人社 1998年3月 本体695円)


1914年に第1次世界大戦が勃発して、今年はちょうど100年になる。「ヒトラーが登場するまで1918-1934」という副題が付いたこの本は、1976年の初版を1998年に文庫版にしたものだが、戦前戦後を通じて外交官、評論家として著名な著者は、この時期に駐ワイマール共和国大使館員としてベルリンに滞在して、敗戦直後のドイツ国内の混乱と激動を目の当たりにするという歴史的な体験をした。


本書は、大指揮者ブルーノ・ワルターや女優のマレーネ・ディートリヒとも親交があり、その後も松岡洋右外務大臣の秘書としてヒンデンブルグ大統領始め全盛期のヒトラーやムソリーニと会った経験を持つ著者が、ゲーテやベートーヴェンを生んだ優秀な民族がなぜヒトラーに幻惑され、ナチスに陶酔したのか、一夜の悪夢として忘れ去るにはあまりにも代償が大き過ぎる、その疑問を解明したいと思って書いたと「あとがき」に記している。

第2次世界大戦終結後、アメリカやイギリスなどの戦勝国が日本やドイツ、イタリアに対して取った復興政策が、侵略によって多大な被害を蒙ったヨーロッパ各国や中国、東南アジアなどから寛大過ぎると反発を買ったが、その理由の1つが第1次世界大戦の戦後処理の反省からきているとはよくいわれる。


この大戦で敗北したドイツは、連合国との間で締結したヴェルサイユ条約によって国土の13%と人口の10%を失い、全植民地と商船隊の没収、主要鉱山や工業地帯の占領、陸海軍50万将兵の4/5削減、さらに開戦の全責任を負わされた天文学的な賠償金と、国家の解体に等しい過酷な賠償責任を課せられた。


戦勝国であるフランスやポーランドにとっては、それ以前の国境紛争で奪われた領土を取り戻すという目的もあったが、自業自得とはいえあまりに過酷な塗炭の苦しみを経験したドイツ国民は、この屈辱的で過酷なヴェルサイユ体制を心底から憎悪した。その結果、国民自らがヒトラーとナチスドイツという近代史上稀に見る異常な国家の誕生と拡大を許し、結局は祖国を再び破滅に導いてしまった。ドイツに住んだものでなければこの屈辱条約をいかに憎悪したかはわからないと著者は書いているが、日本国民が日清戦争後の「三国干渉」で抱いた“臥薪嘗胆”の感情とある意味で似たものだったのかもしれない。著者は、周囲のドイツ人がそのように考えていたことを肌で感じていたようだ。

著者はまた、ドイツでは敗戦後の混乱期に善良な市民を殺害し、人肉の缶詰を売った凶悪犯人が大勢いたのには驚くと記し、さらにこういう徒輩が後に起こるユダヤ人大量虐殺と無関係とは思えないとも書いているが、これが事実だったかどうかは検証する必要があるにしても、当時のドイツの混沌はまさに想像を絶するものだったのだろう。


敗色濃くなった1918年11月、皇帝ウィルヘルム2世が退位してワイマール共和国が成立すると休戦協定が結ばれた。ドイツのルーデンドルフ将軍がイギリス軍事使節団長のマルコルム将軍と会談したとき、戦時中のスパルタクス騒乱で作戦に重大な支障があったとルーデンドルフが身内の裏切りを吐露すると、マルコルム将軍は「ドイツ軍は後ろから刺されたのか」と同情したという。有名な“匕首の一撃”といわれるものである。


大戦に従軍したヒトラーが「ドイツ労働者党」(DAP)に入党したのは1919年、1920年には党首になり、党名を「国家社会主義ドイツ労働者党」(NSDAP)と替えた。“ナチス”はこの党名の蔑称だそうだが、ヒトラーは巧みな話術と詐術を使って、敗戦の真の原因は「ユダヤ人がドイツ民族の運命管理人的役割を果たしたこと、ヴェルサイユ条約を甘受したワイマール共和国は国際的ユダヤ戦略に支配されていたことだ」とユダヤ人排斥を世間に訴えた。


敗戦後の民主主議は敵国に強制されて生まれたと考えるドイツでは、議会制民主主義を唱えながらも、自由より秩序を求めて祖国再建を叫ぶ左から右まで無数の政治勢力、武装勢力が跋扈し、とくにベルリンは“赤い首都”と呼ばれて優勢な共産主義者と劣勢なナチス部隊が絶えず市街戦を繰り広げたという。本書によれば、当時大きな勢力だった共産党はナチス党より社民党を社会ファシズムとして最大の敵としたこともあり、その間隙を衝いたナチス党は1932年に国民選挙で第1党に躍進する。


ヒンデンブルグ大統領の下でヒトラーは副首相に任命されるが、このときルーデンドルフは大統領に書簡を送り、「この凶悪な男(ヒトラー)は祖国を奈落の底に突き落とし、国民を想像に絶する悲況に追い込むだろう。史上最大のデマゴーグに政権を与えたことに対し、いずれ国民は墓のなかの貴下を呪うに違いない。ここに厳粛に予言する」と警告したが、老獪な元帥はこの古い戦友の忠告を一笑に付したという。

その後のドイツの悲劇はよく知られているが、誇り高いドイツ軍部までなぜナチスという低劣な思想集団と行動を共にしたのか、その疑問はまだ氷解せず、あるいは永遠に解きがたい謎かもしれないと著者は結んでいる。ポーランド貴族の血を引くゼークト将軍は大戦の名参謀として知られ、ヒンデンブルグ同様に国民的人気があり、音楽を論じ、美術を語る教養人でもあった。もし、彼が大統領になっていたらヒトラーの出番はなかっただろうと著者は書いているが、結局は南京に赴いて蒋介石の顧問になった。これも歴史の“if”かもしれない。


本書の扉に、ドイツの著名な精神科医で哲学者のカール・ヤスパースが1933年につくったというジョークが紹介されているが、実に意味深長である。


「知的」、「誠実」、「ナチス的」という3つの性質があり、これらは常に2つが一緒になり、3つが一緒になることはない。知的で誠実なら「ナチス的」でない。知的でナチス的なら「誠実」でない。そして、誠実でナチス的なら「知的」でなく頭脳が弱いということである。


国家が間違った方向に進むときは、国民全体がこのような精神状態に陥っているということか。今日の日本人も、この言葉を改めて噛み締めてみる必要がある。


(本屋学問 2014年11月20日

 エッセイ 

女のカンと点と線



ひところ流行った言葉に「女の勘なのね」というのがあった。女の動物的ともいえるカンの鋭さにはほとんどの男が降参する。あきれる。舌を巻く。



ところがうっかり?辞書を引いてみたら、「勘」の勘違いに驚いた。日本語大辞典によると、勘とは①考える。しらべる。②つみ(罪)する。とがめをうける。③大切なところ。④すばやく判断や見当をつける心の動き。さとり。とある。説明の尻尾のほうになってやっと女のカンらしき説明が出てくるのだが、この説明もひごろ使っている、たとえば“ピンとくる”といったようなカンとはいささか違和感がある。



ところでこのカンの違いを洋の東西で見ると、ひごろから私は欧米人に比べて日本人の方が動物的なカンに優れているのではないかと漫然と考えていた。こんなことを考えていた背景には、西洋の論理性と東洋の神秘性の対比がある。神秘はカンを受容する。受容どころか神秘とカンは同義語だとさえいえるのではないか。



さらには、定説のように言われ続けてきた欧米語は論理的であり日本語は非論理的だとする解釈への疑問もあった。この、日本語は論理性に欠ける劣った言語だという日本人みずからの“自己卑下”的な解釈は、欧米に屈した戦後の“知識人”が国民に植え付けた偏見ではないか、という疑問からである。



たまたま読んだ外山滋比古 著「国語は好きですか」では、日本語の特性を称揚する中で、もっとも日本的な日本語の代表は短歌と俳句だという。俳句が外国人にとって分かりにくいのは「詩学」の違いによるといい、ヨーロッパの詩は“線的構造”であり、俳句は“点的構造”だという。線的構造の詩は“線”の引き方で面白さを出すが、俳句は“点”を散りばめて思いを表現する。線状表現は解釈が容易だが、点的描写は、点を線化、面化して理解する知的作業が要求されるという。



言われてみればその通りで、線的構造は論理構造を重視し、弁証法的に理屈を連ね、イエス、ノーを鮮明にする欧米言語の基本的な構造だろう。これに対して点的構造の俳句は、飛び石のように置かれた点的な言葉が響きあって広がりのある豊かなイメージ世界を構築する。日本語は論理的でないといわれる大きな理由もこのあたりにありそうだ。



日本人は古来より山川草木に神が宿ると信じてきた。近代化によって、特に戦後の教育や科学の発達によって、自然界や精神世界との距離ができてきて、精神的な受信力が弱まってきたのであろう。


とはいえ、まだ欧米人に比べれば日本人は“勘働き”に優れていると思う。飛躍し過ぎかもしれないが、ノーベル賞をとる日本人科学者が多いのも日本人の頭脳が第六勘のひらめきに強いことと関係があるのではないか。



そんな具合に欧米人に比べて“勘働き”にすぐれていると思われる日本人だが、冒頭の男と女の話に戻れば、ダントツ女の方がカンがいい。男が良からぬことを考えたり行動をしていると、たいてい女房や彼女にバレることになる。



前出の著書では、俳句界における女性俳人の増加について、俳句が手軽に出来て、一句詠んでも名前が出るから楽しいのだと、うっかりした?解釈をしているが、これも女の得意とするカンの“善用”という側面もあるのではないか。



ともあれ、グローバリズムだの社内公用語に英語を採用するだのと浮かれて、日本文化の精神的特性を捨てにかかっていると、主体性まで失って放浪する民族になりかねない。女のカンはともかくとして、自然界や精神世界における信号をキャッチする日本人的な受信力を劣化させてはなるまい。



(山勘 2014年10月31日)

「このはなさくや姫」の物語



この物語は、ホツマツタヱ24綾から抜粋したもので、天照神の孫に当たる天孫瓊々杵尊(以下天孫ニニキネ)と、大山祇命の末娘葦津姫(以下アシツ姫)が出会うところから始まります。


天孫ニニキネが80人のお伴を従え水田開発のため全国各地に立ち寄った帰り道、アシツ姫と出会います。 そこで一夜の契りを結んだ姫は妬まれ、逆境に遭い、桜の木に誓いを掛けましたが、疑いが晴れず、焼身自殺を図ります。

この話は継母の虐めに遭うシンデレラ姫に例えられており、よく似ているようにも思えましたので以下に物語として取り上げてみました。


天孫ニニキネが現在の富士山の北側の麓の酒折の宮に滞在されたとき、宴席で御膳(みかしわ)を捧げたのがアシツ姫です。姫のしとやかさに惹かれ一夜を共に過ごされ契りを結びます。アシツ姫はこのとき懐妊したことが後にわかります。


さて、天孫ニニキネは翌日酒折宮から新治の宮(茨城県筑波)に帰り、大嘗祭をとりおこないますが、やはりアシツ姫のことが気になり、再び伊勢に向かうことにします。


伊勢への途中で再会した天孫ニニキネは、アシツ姫から懐妊したことをこっそりと打ち明けられます。

これを聞き天孫ニニキネは喜び、伊勢に居る天照神に告げようと早速旅支度をしました。

しかし、これを遮るかのように、アシツ姫の母が、姉を連れて来ているのでお目通りを乞い願いました。アシツ姫の母は、私が慈しんで育てた美しい姉がいます。と言葉巧みに言い寄り、天孫ニニキネを惑わせました。


天孫ニニキネは、その気にさせられてしまい、妹と姉の方にも、二心を起こしてしまいました。

その晩、姉のイワナガ姫を召されましたが、姉の様相は厳つく、見た目も悪く、一瞬で醒めて、やはりアシツ姫でなければと宣ったところ、父の大山祇命は驚いて妻を叱りつけ、早く三島へ帰れと追い返してしまいました。


さあ、大変!母と姉は立場がなくなり、この仕打ちに対して、恨みを晴らすため、下女を使って妹を落とし込もうと企みました。


たった一晩のいとなみで妊娠したというのはあり得ないことだ。妹が孕んだ子は、他の素性の分からない男の子供であると偽りを言いふらしました。


伊勢に向かう天孫ニニキネがアシツ姫を連れて白子の宿まで来たとき、このよからぬ噂が届きます。この噂を信じてしまった天孫ニニキネは、たった一晩の契りで子供が出来たことに疑いを持ち、姫を一人残したまま、あわてて夜半に出発してしまいました。


置いてきぼりにされたアシツ姫は一人寂しく後を追い駈けることにしました。しかし、松坂で関止められてしまい、止む無く白子の宿まで戻りました。


母と姉から妬まれていることを知ったアシツ姫は、この疑い・陰謀を晴らそうと、私を陥れたこの恥をすすげと一本の桜の木に誓いました。


「桜の木よ、心あらば、我が孕み もし仇種ならば 花しぼめ

正種ならば 子を産むときに 花よ咲けと 花に誓って」


12か月後、臨月を迎えたアシツ姫は、6月1日に無事、三つ子を生みました。


三つ子が生まれたこと、三つの胞衣(えな)に、それぞれ梅、桜、卯の花の模様があることを告げましたが、何の返事もなく、未だ、疑いが晴れていないことを悟りました。


そのため、アシツ姫は、子供と出入り口のない小屋に入り、この子供たちが仇種と言うならば、もう生きてはいけませんと死ぬ覚悟(焼身自殺)で、小屋に火を付けました。しかし、子どもは炎の熱さにもがき苦しみ這い出ようとしました。


これを見たハラミ山(富士山)の峰に住む竜が水を吹きかけ雨を降らせ、子供を小屋の中から無事に這い出させました。

諸人は驚き、火を消し止めて中にいた姫を引きずり出しました。そして、神輿を用意し、アシツ姫と三つ子を乗せて、酒折宮に送り届けました。この様子は伊勢に告げられました。


一方、アシツ姫が白子で祈願を掛けた桜は、子供を生んだ日(6月1日・旧暦)も咲き続けて絶えることはありませんでした。


天孫ニニキネは、この桜の花が咲き続けていることを知り、アシツ姫の子供は自分の子供に間違いないと悟り、鴨船を飛ばして興津浜に着き、そこからは雉(伝令)を飛ばして、到着した旨を酒折宮に告げました。


アシツ姫は、裏切られた天孫ニニキネのことをまだ恨んでいました。「ふすま」(掛け布団)を頭から被ったまま、伝令に返事をしませんでした。


天孫ニニキネは暫し考えて和歌を短冊にしたため、興津彦命(おきつひこ)を勅使として、この短冊をアシツ姫に届け捧げました。


「おきつもは 辺(へ)には寄れども さ寝床も あたわぬ鴨よ 浜つ千鳥よ」


(興津浜に)置き去りにした妹(貴方)は、傍まで寄りそうと追いかけてきてくれましたが、私たちは、愛を語らい交わり添い寝することも叶わず、夫婦になれなかった鴨のようです。あちこち、さ迷い続けている浜千鳥のようです。


この歌を詠んでアシツ姫は、今までの恨んでいた涙は溶け落ちて胸にキュンときて、興津浜の天孫ニニキネのところまで富士の裾野を裸足で駆け走りました。


アシツ姫の喜び勇んだ顔を見て、天孫ニニキネも喜びました。

幸せを勝ち取った二人は神輿に並べて乗って酒折宮へと向かいました。

また、アシツ姫は子供を生んで母親になった日から、花が絶えず咲き誇るようになったので、姫の名を木花之開耶姫(這花咲耶姫・このはなさくや姫)と呼ぶようになりました。「このはなさくや姫」は、乳母を必要とせず、自分の乳だけで3人の子供を一人前に育てあげましたので、子安の神とも称えられました。


なお、三つ子の名前には胞衣に現れた花模様を付けることにしました。最初に出てきた子供の名を火明尊(ほのあかり)、実名を梅仁(うめひと)と、二番目に生まれた子は火進尊(ほのすすみ)、実名を桜杵(さくらぎ)と、末の三番目の子は彦炎出見尊(彦火火出見尊・ひこほほでみ)、実名を卯杵(うつきね)と名付けました。


古事記・日本書紀と対比してある三書比較「定本ホツマツタヱ」(展望社発行)で、見比べてみました。この個所は部分的であっても取り上げられていますので、既にご存知の方がいらっしゃるとは思います。しかし、内容的に細かいニュアンスなどは、五七調のやまと言葉で書かれたホツマツタヱに勝るものはないと改めて思った次第です。


(ジョンレノ・ホツマ 2014年11月6日)

 

感力と観察力


“ドイツにいないコメディアン、アメリカにいない哲学者”というジョークがあるが、エンゲルス、カント、ショーペンハウアー、ニーチェ、マルクス……と、確かにドイツには哲学者が多い。その巨大な山脈の主峰ともいえるウィルヘルム・ヘーゲルの著書に『フィヒテとシェリングの哲学体系の差異』という本があるそうで、最近、日本の古書店で売りに出されたこの初版本の見返しにあったドイツ語の書込みが、実はヘーゲル自身のものとわかったという話が新聞に載っていた。


私は哲学もさっぱりわからないが、その記事によるとヘーゲルの研究家である日本人の大学教授が所有するこの本は、1801年にドイツで出版され、1890年代にドイツに留学した日本陸軍の軍医がベルリンの古書店で入手して持ち帰り、神奈川県の中学校に寄贈された後に古書店が買い取ったものらしく、その本には手書きの寄贈者名と学校の蔵書印があり、「廃棄分」と書かれて処分されたものという。


この本が大学教授の手に渡るまでにもエピソードがある。その学校の図書館から2000年頃に古書店が買い取り、巡り巡って2014年に神田の東京古書会館で毎月開かれる「古書交換会」にこの本が出品されたのは前年に続いて2度目で、最初のときはもちろんこの書込みがヘーゲル自身のものとは誰も思わず、ある洋書専門古書店が引き取って再び洋書専門交換会「東京洋書会」に出品し、そこで偶然、教授が手に取ることになった。


教授が専門家の目でこの書込みを調べたところ、1802年にドイツの「エアランゲン文芸新聞」という新聞に掲載されたこの本の書評の一部が書かれていて、その内容などからおそらくヘーゲル自身が手元に置いていたものらしく、教授がドイツの「ヘーゲル文庫」に依頼した筆跡鑑定で自筆と確認されたそうだ。ヘーゲルにとっては初めての著作だったというから、他人の書評は気になって当然である。


 もし、早い段階で古書店がこの本を廃棄してしまっていたら、もちろん今回の発見はあり得なかったし、またこの書込みに誰も関心を示さずただの落書きと思われていたら、最終的には処分される運命にあったのかもしれない。


ヘーゲルが存命中にこの本を手放したのか、あるいは遺族が売ってしまったのか、それはともかく、そんな高名な世界的哲学者が自ら書込みをした初版本が日本にあったこと、そしてその本が日本人のヘーゲル研究家の目に止まり、書込みの内容や筆跡に注目したことは、まさに奇遇の産物といえようか。


一研究者の深い知識と鋭い直感力、観察力が思いがけない貴重な資料の発見に寄与したことになるが、何事によらず知識や経験というのは、このように生かしてこそ初めて意味があるものかと改めて思った。


数奇な運命をたどったこの本は、近くドイツの「ヘーゲル文庫」に寄贈されて永久保存されるそうだが、この発見に一番驚いているのはヘーゲル本人かもしれない。


(本屋学問 2014年11月7日)