第25回「ノホホンの会」報告 2013年7月18日(木)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室 参加者:山勘、致智望、ジョンレノ・ホツマ、恵比寿っさん、本屋学問) 今回は、狸吉さん、高幡童子さんが所用で欠席となりました。したがって、書感3、エッセイ3と投稿数もやや少なめでしたが、それぞれにじっくりとディスカッションできました。 今月の書感も中国関連が多いのは、目下の関心事からでしょうか。中国の特殊性を考えれば考えるほど、中国はわからない国です。美術も音楽もしかり。ゴッホ、ピカソ、シャガール、武満徹、ワグナーと、今回話題に上った彼らの作品を、この夏は改めて鑑賞し直してはいかがでしょうか。 どうぞ存分にサマーバカンスをお楽しみください。 (今月の書感) 「消されゆくチベット」(ジョンレノ・ホツマ)/「中国台頭の終焉」(恵比寿っさん)/「『モノづくり』の哲学」(本屋学問) (今月のネットエッセイ) 「参議院選に思う」(致智望)/「“へたな絵”を描きたい」(山勘 2013年7月12日)/「絵の見方・描き方の深み」(山勘 2013年7月12日) (事務局) |
書感 2013年7月分 |
消されゆくチベット/渡辺一技(集英社新書 2013年4月発行 本体760円)
著者とは高校の同級生で、当時は山岳部で活躍されており、その時の原動力がチベットへ何回も訪問するためであったのかと思いました。改めてチベットの位置関係を見てみると、チベットはネパール・ブータンの北側に位置し、モンゴルの南西部に位置して標高4500mのところにあります。
2008年の騒乱以降、チベットの文化や伝統を消し去ろうとする圧力はより一層強められている。宗教活動の制限、チベット語教育への介入、天然資源の無秩序な採掘、厳しい言論統制など、中国による政治的、文化的弾圧は年々深刻化している。 だが、チベット問題は、今、世界を覆うグローバル経済の面からも見る必要がある。そして、伝統や文化の継承は風前の灯のように見えるが、厳しい状況下でも懸命に文化や伝統を守り抜こうとするチベット人が多く存在するのだ。 長きにわたって現地を取材してきた著者が、独自のルートでチベットの現況を詳細にルポルタージュする。 と裏表紙に要約されており、四半世紀にわたり、現地の人たちとのつながりを通じて体感したことを、更に、行くたびに変化していく現地の様子に、危機感をもたれたことをさりげなくまとめ上げており、ただただ感心した次第です。
目次内容は ドン(野生のヤク)を探しに 変容する食文化 ダワ(現地の知人)のお葬式 子供の情景 伝統工芸の行く末 「言葉を入れておく瓶はない」 近代化の波 となっている。
自分なりに気になった記述を一部抜き出してみました。
インドと中国の関係、インドでは母語(チベット語)が学べるが、インドで勉強しても職を得るのは難しく、インド帰りという監視の目がある。中国で教育を受けないとガイド資格の認定証が得られない。 学校で教師が話す言葉が母語のチベット語でなく、国家通用言語文字となり全て漢語に、民族が母語を失うことは、文化も伝統も歴史も、精神も失うことだ。チベット語を日常的に使われてきた地方の学校は統廃合され中央の学校に通い、遠隔者は寄宿生活になり、漢語が主体に変貌している。
金の採掘に中国人が地元の役所から権利を買っているが、地元民は反対できないでいる。政治的不穏分子と見做されるため。チベットでの金の採掘を禁じていても袖の下で法律は無きに等しい。交通違反の取り締まりをとっても、権力者側は何かと違反だとこじつけて懐を肥やそうとしている。文句を付けようものなら政治的不穏分子と見做され泣き寝入り。
食生活にも変化が表れている。流入者の激増で耕作物が様変わりしている。以前は自給自足で事足りていたが、現金収入がないと生活が成り立たなくなっている。さらに、農薬や化学肥料について、危険であるとの疑問を持っていても、使用が義務付けられており、購入しなければならなくなっている。自家用には使用していない。 今まで、草原での放牧であったが、食肉業者は効率が悪いからと畜舎で配合飼料で育て始めている。流通している食品の危険性にも気づき始めており、廃油から作られた食用油、ホルモン剤が入ったミルク、食品添加物や化学物質など、知識を得た人は今では外食を避けている。
チベットについての記述の中に、日本に対しての中国という国の側面を垣間見る気がしました。 |
「モノづくり」の哲学/小林 昭(工業調査会 1993年3月 定価2,200円)
本書は20年前の1993年に出版され、当時、日本の生産技術、精密工学研究の第一人者だった著者が自らの長い技術者人生を振り返りながら、ものづくりとは何か、その本質を人類の生産の歴史から書き起こした、タイトルどおり、まさに“ものづくり哲学”を論じたものである。 著者も出版社もすでに存在しないので、本書がどのような経緯で書かれたのかは知る術もないが、1993年といえばちょうどバブル経済が終焉を迎えた時期であり、技術開発の最前線にいた人々のなかには、当時から日本のものづくりの現状と未来に不安を抱き、このままでは日本のお家芸が衰退の道をたどるのではないかと考えていた技術者も多かったのかもしれない。 その懸念は、残念ながら現実のものになった。その後の日本は政治的にも経済的にも経験したことのない、失われた10年ともいわれる長い停滞の時代に入った。もちろん、世界の経済環境は大きく変化したが、日本の技術開発力衰退の原因が、必ずしも新興工業国の台頭や為替変動による輸出競争力低下の影響だけではないのではないか、教育環境や企業環境が時代とともに変化し、日本人自身がものづくりへの気概や志を失っているからではないか、最近の日本経済の現状を見るにつけ、改めて本書から想起されることは多い。 「ホモ・ファーベル(ものをつくる動物)」、「金属を手に入れてからのものづくり」、「工業社会の成立」、「大量生産・大量消費生活」、「技術者の期待像と心がけるべきこと」、「ものづくりと人文科学との融合」、「生産言論」という目次からみても、具体的な技術論というよりは精神論であり、気軽に読み進められる内容ではないが、全体を通して日本人が本来持っていた心を込めたものづくり、使う人の気持になってつくるという長い伝統が、グローバル化の波によって次第に損なわれているのではないかと読み取れる。 工業社会が進むと経済力は生産量の大きさで決まり、シェア争いは激しさを増し、商品のライフサイクルは短くなる。かつての日本製品には、“つくり手から使い手へ明確なメッセージがある”とよくいわれた。使いやすさ、壊れにくさ、意匠の良さ、どれひとつとっても、日本製品はコスト以上に品質を意識してつくられていた。しかし、資本主義経済を大きく形成してきた大量生産・大量消費システムは現在、かつてのアメリカやヨーロッパ、日本に代わって、中国をはじめ新興工業国が牽引している。日本がその熾烈な競争に伍していく限り、品質よりもコストは至上命題である。当然のことながら、魅力のない製品にならざるを得ない。 日本は1970~1990年代の技術革新で、LSIやコンピュータに象徴されるエレクトロニクスの発展をうまく取り込みながら、機械工業はメカトロニクス、光学工業はオプトロニクス、化学工業はケミトロニクスというように、新技術への転換を広い分野でスムースに移行させた。その結果、世界に先駆けていわゆる“新産業革命”を成し遂げることができたという。 たとえば、トランジスタの開発当初は生産の歩留まりが悪く高価で、最初は軍事用などに限定されていたが、ソニーは民需のラジオに応用して常識を打ち破った。アメリカなどからは“技術ただ乗り論”が持ち上がったが、これに対する著者の見解は少し違う。 「どんなに立派な発明も、商品化できなければ意味がない。実用化にはその10倍の努力と時間、コストがかかる。それを安価に商品化するには、さらに100倍の努力と時間、コストが必要である。これをよく考えると、決してただ乗りではない。プロセス的にはまったく異質のもので、ものづくりをあまり評価しない欧米人には理解されにくいが、これこそが“ものづくり”技術の神髄である」。 日本が先端を切って実用化した製品の数々は今日、性能面でもコスト面でも新興工業国に容易にキャッチアップされ始めているが、中国や韓国はそのオリジナリティを特許係争という形で醜い争いに終始している。彼らには技術者としての矜持があるのだろうか。 現代に求められる新しいものづくり技術者像とは、企画、開発、管理、販売、経営まで総合的な知識を持ち、奥行きと幅の広い人材だそうだが、これはやや理想にすぎるかもしれない。日本人が持つものづくりの感性を最大限に生かして、何をつくるのか、いかに豊かな社会づくりに寄与するか。遊び心と同時に厳格な倫理観に裏付けされた明確な哲学を持つことが大切と本書はいう。 現在の日本の現状は、時代の趨勢に対してあまりにも無為無策である。新興世界を中心に大量生産、大量消費を迎える時代に、日本はその先の未来を模索することが重要で、日本にとって真のグローバル化とは、日本の独自性を持つこと、オンリーワンを目指すことではないのか。現代を生きる日本のあらゆる技術者に寄せた、魂のメッセージといえるかもしれない。 |
中国台頭の終焉/津上俊哉(日経プレミアシリーズ 日本経済新聞出版社 本体890円2013年1月23日第1刷発行)
第1章 中国は5年前には中成長モードに入っていた 第2章 4兆元投資の後遺症(短期課題) 第3章 中期的な経済成長を阻むもの 第4章 新政権の課題(1)国家資本主義を再逆転 第5章 新政権の課題(2)成長の富を民に還元 第6章 民営経済の退潮 第7章 新政権の課題(3)年・農村二元問題の解決 第8章 少子高齢化(長期問題) 第9章 中国がGDPで米国を抜く日は来ない 第10章 東アジアの不透明な将来 結び
②と④は処方箋がないが、③は政策次第で5%の成長余地がある。しかし、既得権益との衝突など実行が政治的に難しい。 中国のGDPは17年に米国を抜くとか、後10年もすれば抜くとか、希望の星のように言われるが、それは幻想である。中国人は納得しないだろうが、中国経済が「成長市場」の化粧を落としたら、どれだけの魅力と優位性が残されるのか。国民の3分の2に満足な公共サービスが提供できず、少子高齢化が迫るのに年金原資も殆どない(破綻懸念の日本ですら200兆円)。尖閣の国有化を巡り、双方が外交・経済で傷つけあう現状は愚の極みである。本書の見方は現在の主流の見方とは違う(著者)が、的を射た指摘と言えよう。 中国には、現実を正視してあるべき改革を再加速して欲しいし、日本は中国の難局を嗤う立場にもない。課題先進国として、改革にまい進すべきこと、中国と変わることはない。
全章、魅力ある内容であるが、私が特に賛意を覚えたいくつかの事柄について、御紹介します。
1 4兆元投資 4兆元投資とこれに伴う空前の金融緩和が、インフラから不動産、製造業まで爆発的な投資ブームを起こした。11年のGDP9.2%成長のうち5.0%は投資がけん引したといわれ、投資の名目額は30兆元!07年には11兆元だったので4年で3倍増。物価上昇を考えても2倍以上だ。12年も同じ投資が出来れば足を引っ張ることは無いが、実際にはブレーキだ。そして、今や地方政府の負債10.2兆元、鉄道部負債2.25兆元の30%が回収不能で中央政府の負担になると言われている。国民の負担能力の向上スピードとインフラの建設スピードが合っていない。コストに見合った収益を生まない。効率を上げることが重要なのにその逆をやってしまった。 2 バブル 土地や住宅(マンションなど)はバブルかと言うとそうとも言えない。高いが、維持不可能な高値が続くという幻想を持ってはいない。これは供給体制(地方政府の独占供給体制)を崩せばバブルが崩壊するが「政府が決断できるわけがない」と中国人は考えている。
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エッセイ 2013年7月分 |
参議院選に思う
安部政権も少し落ち着いて来たのであろうか、参議院選の下馬評もどうやら自民党に風が吹いているようだ。 先の政権党は、選挙民が自民党政権に嫌気がさして民主党に変わったのであるが、その民主党の掲げる政治主導、地方分権などの自民党批判も、全くの絵空事であった事が暴露してしまった。更に、外交に於いては過去に中国との間で外交密約が有ったようで、それを知らない民主党はどうやらパンドラの箱を開けてしまったと言う事も言われている。そもそも、政権交代であっても、外交方針の継続性は担保されなければならないにも関わらず、それが出来ない自民党である。結果として、日本国の運営は自民党で無ければ遂行出来ないと言う印象を選挙民に持たせてしまったように思う。 この自民党の悪癖に一度は気が付いた選挙民であるが、この国の政治は自民党が変わらなければ絶対に変われない事に、国民はもう一度気付いて貰いたい。財政赤字を積み上げたのは自民党であって、ここでまた更に積み上げに掛かっている。規制緩和一つ採ってみても、そこに見えてくるのは既得権層の存在があらわになるだけで、基本的改革は何も進まない。加えて、「地方自治」や「政治主導」など全くヤル気が無い。そもそも中央に無心する地方の陳情体質が自民党の集票システムだから、当たり前といえばそれまでなのだ。中央集権を補完するのが中央官僚、その官に仕事をさせるのが政治家の役割と考えるのが自民党である。 自民党体質を良く知った小澤一郎などはこの点うまくやろうと努めたようだが、民主党内はそれを許さなかった。毒は毒を以って制す、などと言う高度な手法が通じるほど日本の選挙民は利口で無い。なにしろ、投票率40%では話にならない。 自民党に対極する政党が民主党とは言わないが、自民党の悪癖を知って多くの政党が乱立している、これでは、官主導の中央政権態勢は崩れないし、利権、既得権体質も温存されるまま、規制緩和など蛙の面にションベン、と言うところか。小選挙区制のもとではこの繰り返しとなろう、国力は益々衰えるだけ、勤勉な国民が積み上げた貯金も底を突こうとしている。それ程金持ちでもないシニアを金持ちと称し、何とか巻き上げようと企んでいる。これでは、この国の将来は無いと言っても良いだろうが、あと15年は持ってほしい、それは俺の寿命だ。 |
“へたな絵”を描きたい
大人の絵を下手だとけなす人は多いが、子供の絵を下手だとけなす人はまずいない。子供のころいい絵、楽しい絵を描いていた人が大人になって描けなくなるのはどうしてだろう。私もその一人だ。私はいま、いい歳になってまだ少しでもマシな絵、上手い絵を描きたいともがいている。 読売新聞のコラム「時の余白に」は、私が楽しみに読んでいるコラムだ。筆者は読売編集委員の芥川喜好氏で文章がめっぽういい。最近このコラムで、仙人とか超俗の画家などと呼ばれた熊谷守一を取り上げた(6/22)。熊谷には自伝『へたも絵のうち』がある。 その書から芥川氏は、こんな言葉を引用している。「絵なんてものは、やっているときはけっこうむずかしいが、でき上がったものは大概アホらしい。どんな価値があるのかと思います。しかし人は、その価値を信じようとする。あんなものを信じなければならぬとは、人間はかわいそうなものです」。 この言葉、熊谷一流のトボけた味わいを笑っておしまいにすればいいのかもしれない。たぶんそれでいいのだろう。しかし私はこだわってしまう。この言葉には熊谷の自分の絵に対する謙遜の意味合いもあるのかもしれない。しかし、それも熊谷らしくない。こだわって考え込むと、熊谷の真意をつかむのは容易ではない。 熊谷の発言をストレートに取れば、「絵画作品なんてものは大概アホらしい。にもかかわらず人は絵画の価値を信じようとする。絵画の価値を信じなければならぬ人間は、可愛そうだ」となる。揚げ足を取るわけではない。本当に真面目に困るのだ。本当に熊谷の言うように、絵画作品は大概アホらしいのか。人間は本当に絵画の価値を信じようとしているのか。絵画の価値を信じようとしている人間は本当に可愛そうなのか。 このことについて考えるなら、大げさに言えば一生考え込まなければならず、書けば本の1冊や2冊では済まなくなる命題だろう。などと、大上段に問題提起をしておきながら投げ出すようだが、熊谷は、絵画の価値を考えるより先に、子供の頃から好きだった絵をとことん描き続けた生涯だったのではないだろうか。だとすると、“絵画アホ論”など、熊谷にとってはどうでもいいことで、本気で考えた理屈ではないのではないか。 このコラムで芥川氏は、熊谷にインタビューしてこの「へたも絵のうち」をまとめた、当時日経新聞記者だった田村祥蔵氏の言を紹介している。田村氏は熊谷を評して「その無欲のすごさですね。超一級の絵の力量にして、あの途方のない無欲。私などにはわからない。岩のような人でした。はね返されてしまう」と言っている。 田村氏は、言ってみれば発言者の断片的な言葉の集積から意味のある文体を紡ぎ出すジャーナリストとして、本当に熊谷の真意、というより熊谷という人間をまるごと掴んだのかどうか自問自答を続けてきたらしい。私もメシを食うためにサラリーマンながらジャーナリズムの世界に生きてきた人間なので田村氏の心情、苦労がわかる。そこで田村氏は、再び熊谷守一伝をまとめる作業を始めているという。ぜひ“絵画アホ論”ももう一度説明して欲しい。 芥川氏は田村氏の言を借りて、今回のコラム原稿の題名を「岩のような人でした」とした上で、熊谷を評して「むろん名誉も権威も、流行も、熊谷には虚の側のものだった」と言い、そこから真似のできない超俗の“へたな絵”ができるのだろうと言っている。 絵とは何か。たとえばスーパーリアリズムなどといわれる迫真のいわゆる上手い絵は、上手いがゆえに似かよって、だれの作品なのか判別できなくなってしまう。結局は個性のある“へたな絵”こそ絵画の真骨頂だとも言えよう。となると少しでも“上手い絵”を描こうとあがいている私としては、大いに反省し、悔い改めなければならないことになるのだが、さて、どうすればそういう“下手な絵”を描けるのか、悩みは尽きない。 |
絵の見方・描き方の深み
最近の展覧会評では、「全体的に今回は梅雨の中休みといった感じを受けました。皆さん秋の大作の構想で頭が一杯で、今回は軽く流したといったところでしょうか」といった具合。部分的には作品のいいところを褒めたりするが、時には作家が創作意欲を喪失しかねない酷評を受ける作品もままある。そういう場合は「ご内聞に」と添え書きがあったりする。したがって大変参考になる意見なのだが、作家うちでそれをバラすわけにはいかない。 批評の一端を紹介すると、個々の作品について具体的な評を述べたあと、「凄まじいエネルギーを感じられなかったのは残念」「ずいぶん難しい題材に取り組んだものと感心」「野生の生命が感じられない花」などと結びの感想が手厳しい。ただし中には「並々ならぬエネルギーを感じさせる。描く人の力量なのでしょう」といった高い評価を受ける作品もある。 ひとの作品評は披露できないが、私の絵に対する山中氏の評を紹介するとこんな具合だ。「さて山崎さんの『想』ですが、吉岡さん(絵のモデル)も随分と歳をとってしまいましたね。相変わらずウイスキーを持って思いにふけって居られますが、前回までは、自分の歩いてきた過去に、走馬灯のように思いを馳せてきたという風情でしたが、どうも今回は、ウイスキーを持つ手も力が入らず、飲むでもなく、持って見たという感じでした。 思いも過去ではなく、先(未来でもなく、先行きです)に思いを馳せているような姿でした。それに引き換え娘さん(やはり娘さん)はキャリアウーマンとして今、油が乗り切っているところ、仕事が面白く、お父さんのことよりも、仕事のこと。そして、未来に夢を持てる。そういう充実したところに身を置いているというところでしょうか。 こういうストーリーなのですが、元気で年輪を重ねていくということの大変さを感じています」といった具合だ。評価は高くないが、ストーリーを組み立てていただいているところがうれしい。 ついでに引用させていただくと、美術評論家のワシオ・トシヒコ先生の場合は、私の絵をこんな具合に見てくれる。「熟年の男、女性、酒瓶、清流の川魚。道具立ては毎回、そう大きくは変わらない。それらを取り囲む環境のシチュエーション次第で、画面空間が微妙なミステリーとなるから不思議。この男女は親子か、それとも愛人同士だろうか」。時にはまた「男女の背中合わせの立像には、遠のく関係ではなく、求めて探り合う心理劇を想わせる。宙空に跳ねる川魚の存在が、ますます意味深長にさせる」などと見てくださり、やはりストーリーを語ってくださる。 ところで、山中氏は私の絵の女性を“女”ではなく娘だと断定し、父なる老人は「歳をとって」「飲むでもなく」「想いにふけって」いると見る。山中氏ご自身も「元気で年齢を重ねていくということの大変さ」を感じているという。 実は絵のモデル吉岡君は私の友人だが、彼がガンの術後で治療を続けていることを山中氏は知らずにいた。その山中氏に絵の中の吉岡君がそう見えたのだろうかと、絵の深みを覗くような複雑な思いがする。 これまでは、精神力とエネルギーを感じさせる老人、脇に立つ女性との間に、ワシオ先生の言うように意味深長な関係を感じさせる絵を描きたいと思ってきたが、吉岡君の衰えと私自身の衰えから描き続けられなくなりそうな恐れを今、感じはじめている。 |