第19回「ノホホンの会」報告 2013年1月16日(水)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、高幡童子、本屋学問) 六甲颪さんが急な用事で欠席された以外は、皆さん元気に新年の初顔合わせとなりました。今年も知性と教養溢れる熱いバトルを展開したいと思います。書感、ネットエッセイとも、読みたい、知りたい、好奇心に満ちた素材が満載で、皆さんの興味と関心の広さを物語っています。 日本社会はどうも全体にレベルが下がってしまった。世の中がこれだけおかしくなると、一度すべてリセットしてやり直したほうがという意見も出ました。初期故障にしては多すぎる最新鋭機ボーイング787のトラブル、携帯電話ネットワークのコンピュータ故障…。ブラックボックス化したシステムの怖さを実感する今日この頃ですが、お互いに書感やエッセイを語り合いながら、心和む時間を共有できる大切さをじっくりと味わいたいと思います。 会の後は、恵比寿っさんのご尽力で近くの居酒屋で恒例の新年会となりました。焼酎にプレミアムビール、刺身におでん、薩摩揚げ…。酒も肴もベリ-グッド!でした。 またやりましょう。 (今月の書感) 「われに明治の父ありき」(山勘)/「北朝鮮スーパーエリート達から日本人への伝言」(恵比寿っさん)/「よりぬきサザエさん」(高幡童子)/「狼がやってきた日」(本屋学問)/「田宮模型の仕事」(狸吉) (今月のネットエッセイ) 「いま」を生きる(山勘)/「夏(か)の国の西王母の記載が『ホツマツタヱ』に!」(ジョンレノ・ホツマ)/「行きつけの理髪店」(恵比寿っさん)/「日本ムラ」(致智望) (事務局) |
書感 2013年1月分 |
われに明治の父ありき/邑井 操著・川村真二編(日本経済新聞出版社 本体1,700円)
著者邑井操(本名川村義太郎)は明治45年生まれ。平成8年、84歳で没した。編者川村真二は邑井の次男である。 一方で、優しい情の人だった。そうしたエピソードの最たるものに、息子義太郎の誕生日に息子の成長と家族の幸福を祈って、大きな鯉を三尾、皇居のお堀に28年間放流し続けたという話がある。これには後日談があり、昭和18年、二度目の応召で満州に渡った義太郎が家から送られてきた朝日新聞で「宮城のお濠の鯉がいよいよ都民の食膳に供せられることになった。鯉も銃後のご奉公の一端をになうことになった。ただどうして鯉がこんなに増えたのかわからない」という記事を目にした。 そこで義太郎は、朝日新聞に手紙を書いた。大正2年から、自分の誕生日に父が親子三人にちなみ三尾の大鯉を宮城のお濠に放ってきたこと、昭和15年に母がなくなり鯉は二尾になり、同16年に自分が帰還して、父がまた二人で鯉を放ちに行けると喜びながら数日後に他界したこと。そのお濠の鯉が貸し下げられるという。「その新聞記事を義太郎さんは遠くいまハルビンで読んだのである」と、朝日新聞「青鉛筆」欄に手紙の内容が載ったという。 軍隊では、父親譲りで軍神広瀬武夫中佐の講談をやって人気を博したり、部隊歌を作って採用され、大いに流行らしたりしながら、時には親譲りの侠気で無道な上官と対立しながらも「滅私奉公」ならぬ「生私奉公」を心がけ、得意端然、失意泰然として生き延びた。 編者のあとがきによれば、義太郎は、昭和16年6月に召集解除となったものの、その12月に大東亜戦争が始まり、2年後の18年に再び召集令を受け、新妻と生後7日目の長男を残して戦地に赴く。戦後はシベリアに抑留され、22年に骨と皮だけになって帰還する。 帰還後は、ポマードの製造などで糊口をしのぎ、かたわらシベリア抑留者引き上げ促進運動を行った。講談師、四代目邑井貞吉門下に入り「邑井操」となり、財界講談という新しいジャンルを開拓する。しばらくして講談をやめ、昭和30年代半ばから人物評論、経営論、人間関係論、講演、執筆活動に打ち込む。著書は「伸びる男はどこがちがうか」「説得力101の法則」「男の値打ちは何で決まるか」「人の心をつかむ」など、63冊を数える。 (山勘 2013年1月8日) |
北朝鮮スーパーエリート達から日本人への伝言/加藤嘉一(講談社+α新書 2012年2月20日第1刷発行 本体895円)
著者は1984年静岡県生まれ。北京大学朝鮮半島研究センター研究員。同大学国際関係学院大学院修士課程修了。 英フィナンシャルタイムズ中国語版コラムニストやCCTV、香港フェニックスTV等のコメンテーターも務める。年間300以上の取材を受け、200本以上のコラムを書き、100以上の講義を行う。 著書に「われ日本海の橋とならん」はベストセラーになった。 趣味はマラソン。
まえがき 序章 北朝鮮スーパーエリート達の日常 1章 中朝国境の支配者 2章 中朝国境のアメリカ 3章 脱北者の群れ 4章 国境の少女と女医 5章 中国と北朝鮮の間にある感情 終章 習近平の北朝鮮政策 あとがき
|
狼がやってきた日/柳田邦男(文春文庫 1982年 360円)
日本の戦後経済史を振り返ると、一度だけ重要産業を最優先したときがあった。吉田内閣から片山内閣に引き継がれた「傾斜生産方式」は、荒廃した日本の経済を立て直すために、消費財生産部門を犠牲にしても産業活動の最もベースになる石炭と鉄鋼増産に施策の全精力を注ぐ、国家的視点に立った「迂回生産方式」という発想である。これはマルクスの拡大再生産論から思い付いたものだそうで、マルクス経済学が日本の資本主義の再建に貢献した例だという。 |
よりぬきサザエサン全10巻/長谷川町子(朝日新聞出版 各巻1,000円 順次刊行中)
家庭内ではいろいろな動物が人間と共存して生活していた。家屋の壁にはちいさな穴があけられ、鼠一家が出入りしている。猫は、昔中国から輸入されたころと同じように、ときおり鼠をつかまえては自慢げに主人に見せにいくが皆殺しにして自分の仕事がなくなるようなことはしないでそっと逃がしてやる。犬の役目は泥棒らしきものを見つけ大声でほえる。子供の遊び仲間でもある。庭の鶏は毎日卵を産むので大切にされるが、時がくると一家の御馳走にされてしまう。蚤も珍しくなくDDTの白い粉を頭から振り掛ける。
エイプリルフールは今よりさかんに楽しまれていた。
(高幡童子 2013年1月15日) |
田宮模型の仕事/田宮俊作(文春文庫2000年 524円)
|
エッセイ 2013年1月分 |
「いま」を生きる
人生にはないのだ おくれて 行列のうしろに立ったのに ふと 気がつくと うしろにもう行列が続いている おわりはいつも はじまりである
平易な言葉を使って日常の断片を淡々と切り取って見せながら、終わりの1、2行で読み手を思いもよらない異次元にどんでん返しで放り出す。あるいはウイットとユーモアでいざなう。そんな作品がどれも魅力的だ。 おわりの「いま」がはじまりである。ぐるぐる回転するのだから、先を争うこともない。遅れてきたものを見下すこともない。出遅れたように見える己の運の悪さ、ツキのなさを嘆くことはない。いま立っているここでいいのだ。そう考えれば、未来の「希望」と「いま」は合体できると分かってくる。詩人はそう確信して生きた。 |
行きつけの理髪店
|
夏(か)の国の西王母の記載が「ホツマツタヱ」に!
最初に来た時は「うけすてめ」という名前であり、目的は「天なる道」が途絶えたことを憂い「たまきね」(豊受神・天照神の祖父)が奥儀を授けます。(現在伊勢神宮外宮の御祭神) 「うけすてめ」は「ここり姫」(しらやま姫・いさなぎの妹)と義理の妹として契りを結びます。(しらやま姫は後日、漢字が渡来し、白山と書かれ、「はくさん」と呼ばれるようになっている。白山神社の御祭神)
にしのくに くろそのつみて かにあたる なもあかかたの とよくんぬ よゝおさむれと
うけすてめ ねのくにゝきて(15-43) たまきねに よくつかうれば みにこたえ
むすばせて やまのみちのく(15-44) さづけます
うけすてめ ころびんきみと ちなみあひ くろそのつもる みこうみて にしのはゝかみ(15-45)
おろかにて しゝあぢたしみ はやかれし もゝやふもゝぞ
ひゝのしゝ しなきみいでゝ ちよみぐさ たづぬとなげく
夏(か)の国では、支那の君が現われて、不老長寿の千代見草を探し求めていましたが見つからないと嘆いています。
みそぎせし(15-47)
よろこべは かれをなけきて みちさづく
みのたから ことわさもせな よろきみも ひとりいのちの(15-48) かわりなし
くるしみて たまのおみたれ あにあえず
(あにかえず) あにあがる ときはたのしみ(15-49) (ときはたのみみ) まかるなり 天寿(余命)を全うして、天に神上がるときは、苦しむことなく安楽に死を迎えるでしょう。 ときまちて かるゝにほひも ひとのみも すがかてはみて よろほゑて かるゝにほひも(15-50) こゝなしぞ
かんかたち
がしゝはくさく(15-50) おもみだれ とくははらひに(とくはあらひみ)
みたねゆえ くえはめのたま あきらかに あひもとむなり
米は「日」の種(精霊)、菜は「月」の種(精霊)ですから、これらを食べると、目がくっきりと見えるようになり、共に求め合い、魂も光に溢れ目が輝き明るくなります。 左目が日の精霊、右目が月の精霊、米が日の精霊、菜が月の精霊、これらがお互いに惹きつけあうことを言っています。
あひもとむ ゆえにこゝなし(15-52) めつるこれかな
|
日本ムラ
原発ムラ社会の言葉が出たところで、ムラ社会に付いて、面白い意見を聞いたので紹介したい。 この「日本ムラ」説が正しいとすれば、自民党固有の問題ではなさそうだ。 |