第10回「ノホホンの会」報告
 
2012年3月16日(金)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:六甲颪、狸吉、致智望、山勘、ジョンレノ・ホツマ、恵比寿っさん、本屋学問)

 久しぶりに全員参加で、投稿も充実した会になりました。とくに今回は世相を反映したエッセイに力が入り、皆さんの関心の深さがよくわかります。

会場の確保に尽力いただいている恵比寿っさんに感謝します。また、会議室のお嬢さんが毎度お茶を入れてくださり(六甲颪さんのおかげですが)、これまた感激です。機会を見て会費からお礼でも。

 近親結婚の遺伝学的問題、福島原発事故とGE社の関係、宗教戦争の実態、国家の税金は誰のものか、親子2世帯が同居する難しさ、古事記や日本書紀以前から存在した日本語のルーツ、技術開発の多重性について…。今回も普遍的なテーマを熱く語り合え、本会の面目躍如でした。

(今月の書感)

 「十字軍物語Ⅲ」(致智望)、「科学嫌いが日本を滅ぼす」(六甲颪)、「日本人は原発とどうつきあうべきか─新・原子力戦争」(恵比寿っさん)

 200年にわたる十字軍戦争で、人民は疲弊し、確立した文化もすっかり退廃したとか。

何時の時代も戦争は本当に愚かなことです。

(今月のネットエッセイ)

 「信じるということ」(本屋学問)、「うるう年の語源」(ジョンレノ・ホツマ)、「謙譲の美徳は時代遅れ?」(山勘)、「身内にも油断がならない?」(同)、「少子高齢化を喜ぶべき」(狸吉)

 

(連絡事項)

 今回の投稿は当日の発表での訂正を反映させていますが、さらに各位チェックいただき、訂正があれば事務局までご連絡ください。それを最終的にホームページに掲載します。

「少子高齢化…」はデータ化が間に合わなかったので、次回改めて紹介ください。

 

次回は、2012年4月25日(水)午後3時~、三鷹SOHOパイロットオフィス会議室です。次回から、遅くとも前日までに暫定の投稿を皆さんにメールし、当日は発表リストを配布します。



(事務局)
 十字軍物語Ⅲ/塩野七生(新潮社)

塩野七生著による「十字軍物語」は、いよいよこのⅢ編によって最終となります。

十字軍は、第1次に始まり第8次十字軍にて最後となりますが、結局その間200年に及ぶことになります。そして、小説「十字軍物語Ⅲ」は、第3次から第8次に至る十字軍の事が語られています。

  

聖地イェルサレムは、イスラム国家群の中に在って、元々はローマ帝国の領地内であったものを帝国の滅亡によって、イスラム国家群の領地内になってしまったものを「神が望んでおられる」と言うローマ法王の発言によって、聖地奪還の旗印の下に始まったものです。

地理的条件から言って聖地のみの奪還は有りえないところに、この十字軍遠征の難しさがあり、取ったり取られたりの結果、第八次十字軍の派遣までに至ってしまったと言う結果です。キリスト教国にとって大きなダメージを残し、イスラム教国にとっても「迷惑」以外のなにものでも無かったと言う結果で、8回にわたる十字軍の遠征は終わります。

それも、モンゴルの襲来と言う予測も付かない災難によって、イスラム側もキリスト側もこれ以上の消耗が許せない情況に立ち至ったと言うことで終了するのですから、戦争好きと言う人間の「性」を感じないわけには行きません。

さて、第3次十字軍から第8次十字軍までの戦果ですが、イギリス王のリチャード獅子心王率いる十字軍は、戦上手の王であり、また現代的に言うリーダーとして、人格、人望、全てに於いて理想的なリーダーであり、攻略により戦わずして目的を達し成功しました。そして、第4次、第5次は敗北。第6次は、第3次と同様に有能なリーダーに率いられて殆ど戦わずして攻略によって目的を達成し成功裏に終わっています。

成功した第3次、第6次十字軍の結果に付いて、ローマ法王は頗る機嫌が悪く、特に6次十字軍を率いたフリードリッヒは、2度も法王の破門に遭うという情況でした。それが、第7次、第8次十字軍の派遣につながるのですが、この第7次は致命的な負け戦で、十字軍を率いたフランス王ルイが捕虜として囚われると言う最悪の事態になります。

そのルイは、懲りもせずに第8次十字軍を率いて再度発って行くのですが、又も大負けして帰ってくるのですから、我々読者として人のあり方、宗教のありかた、リーダーのあり方、いろいろ参考になるから実に面白いのです。

中世社会は、人間社会の現実を知らないローマ法王の発言によって動かされる宗教主導の社会でありました。ローマ法王に心酔するフランス王ルイは、今で言うキリスト教オタクであります。そして、戦果を揚げた現実現場主義のリーダー達、第3次を率いたイギリス王リチャード獅子心王、第6次を率いた神聖ローマ帝国皇帝のフリードリッヒ、負けた人、勝った人、それぞれの違いが浮き彫りになります。

そして、勝った現実主義の王二人は、ローマ法王の怒りを受けつつも後世に英雄として語り告がれています。そして、2度も負け戦をし、内1度は捕虜になると言う醜態を演じたフランス王ルイとローマ法王は、これ程までの権威の失態を招きながら何故か責任を問われる事は無く、16世紀になってルターが疑問を呈するまで誰も何も言っていないのです。

この書感にて、ストーリーを要約しましたが、ストーリーの進行はその時々の事象を捉えて面白く、七生節を交えたもので、読み出すと辞められない面白さでありました、そして面白くなかった高校の教科書が、こう言う事だったか、と思うのであります。


(致智望 2012年2月18日)

「科学嫌いが日本を滅ぼす/竹内 薫(新潮選書 1100円)

内容はノーベル賞関連を中心に多岐にわたっているが、そのすべてを記すことはできないので、興味ある科学上の主な話題を取り上げることにする。

1 科学技術書としてのネイチャーとサイエンスの特徴

ネイチャーは1869年、イギリスの民間出版社が雑誌を発行し今日まで続いているが、日本人も南方熊楠氏が明治時代に論文発表したりしてきた。採用の確率は7ないし8%で審査も厳格であり、peer reviewを保っている。

サイエンスの方は全米学術団体が主体となり、それと数名の学者の寄付とが合体して1883年以降会誌を発行してきた。珍しい例としては、1992年には今上陛下の「日本の科学の揺籃期を支えた人々」という論文が掲載されたことで特筆に値するニュースであるが、日本ではあまり知られていない。論文採用率や採択方法はネイチャーとほぼ同じである。

2 二重ラセン構造の発見とノーベル賞取得のトラブル

生物の遺伝子の構造が2重ラセンであるという論文を、1953年にワトソンとクリックがネイチャーに発表し、大きな反響を呼んだ。そして1963年にはノーベル賞がこの二人の研究者に与えられたが、この遺伝子の構造証拠写真は、実はフランクリンという女性研究者が写したもので、それを上司のウイルキンスが盗用しワトソンに渡したことがわかり大きな騒ぎとなった。しかし、彼女は37才の若さでガンのため亡くなったが、真の功績は彼女にも与えられるべきであったと著者は述べている。

3 ES細胞をヒト細胞から作成したというデッチ上げ論文事件

韓国ソウル大学教授(黄喬錫)は受精卵の移植に成功した後、2004年「体細胞からES細胞を作った」という論文をサイエンスに発表したが、ネイチャーが実験手法に問題ありと指摘し、結局デッチ上げ論文が暴露し、韓国は大きな科学上の汚点を残した。このような事件があったが、ネイチャーとサイエンスはともに世界の科学技術の確立に貢献してきた。

4 その他

科学の近傍には擬似科学やイグノーベル賞の問題があるが、一般的にはネイチャーはこれらに寛容的であるが、アメリカのサイエンスは合理性を強く主張するが新しい問題提起には両者積極的であり、科学技術の発展に貢献してきた。

日本も今後科学に対してももっと明確なフイロソフィーを持つべきであろう。


(六甲颪 2012年2月29日

日本人は原発とどうつきあうべきか 新・原子力戦争(田原総一朗 PHP研究所 2012年1月12日発行 本体1,200円)

著者は1934年生まれ。ジャーナリスト、評論家。早稲田大学文学部卒業。岩波映画製作所、テレビ東京を経てフリージャーナリストとして独立。生放送中に、出演者に激しく迫るスタイルを確立して人気(サンデープロジェクトなど)。「原子力戦争」など著書多数。

本書の構成:
序章   原発事故=「第二の敗戦」を超えよ

第一部 原発事故勃発

第一章 “悪の権化”として孤立する東電

第二章 事故対応の誤算

第三章 技術の破綻か、管理の手抜かりか

第四章 汚染水処理の現状

第二部 日本のこれからのエネルギー戦略

第五章 「脱原発」は情報に基づき、冷静に議論せよ

第六章 自然エネルギーの比率を増やしつつ原発を活用

第七章 細野豪志・原発事故担当大臣を直撃

終 章 放射能汚染とどう向きあうか

あとがきに代えてー「脱原発」は一国平和主義だ

 あらまし:東日本震災による津波で福島原発がメルトダウンを起こしたことに始まる日本の原子力政策・エネルギー戦略に迫る力作。

かつていろいろと取材した結果、脱原発を唱えて会社にいられなくなって独立したジャーナリストだけあって、人脈も広く単独に取材したレポートが最新で最先端の原子力技術の実情を伝えてくれている。文系の著者なので、私には技術的に不満な表現も一部にあったが、骨のある著書と言えます。 

第一次石油危機(63年)を機会に日本は原発依存にかじ取りした。当時から賛否両論があり、反対派は原発が人間の生存を脅かすと主張し、推進派は建設しなければ人間の生存が脅かされると強調。推進派のやり方はお世辞にもフェアと言えず、当時の著者はどんどんと反対派寄りになった。しかし、推進派も追い込まれていた。電力の3分の1以上を原発で賄わなければ日本の電力は確実に不足するからである。推進派は使命感で悪役に堪えていた。当時、著者は迷った挙句原発なしでは日本の生活は持続できないと判断せざるを得なかったと述懐している。しかし、危険極まりない存在なので最悪の事態を想定して建設すべきと主張した。

原発事故の補償の仕組み(法律)がない日本。

安全神話が崩壊したのは事実だが、技術的に破たんしたわけでもなく、管理に手抜かりがあったというわけでもない(著者はこうは明言していないが)。(私は、単に津波対策をやっていなかっただけ、と思っています)。

メンテをしっかりやれば原発は100年は持つ(石川迪夫:推進派 原子力協会元理事長)、また元原発設計者の後藤政志は原発において事故は「想定内」で如何に慎重な安全対策や危機管理を用意すべきか、など興味ある話が尽きない。なお、後藤は3月12日に水素爆発が起きた時に(現場にいたわけでもないのに)「メルトダウンが起こっている」と考えたそうです。専門家には常識(空炊き→水素=溶融)なんですね。

原発導入が決まった時、通産省は電力の主導権(戦前は国家管理)を取り戻そうと九電力会社と戦争した。20年前の政党に原発反対はどこも無かった国民も夢のエネルギーと絶賛していた。リスクの確率の議論が出来ない日本では推進派は「絶対に安全」と(嘘を)言わざるを得ない。ヨーロッパでは一万年に1回の洪水を想定して、その上で事故が起こった場合に、一気に危機的な状況になることなく、危機状況が緩やかに進むように緩衝を設けてリスク管理が出来るように設計するそうです。日本は「適当なところで作っておいて、いざとなったら逃げましょう」という文化か。日本の弱点は、社会の中で使いこなしてゆく仕組みがなかなか新しいやり方(新技術)に対応して行けないこと。科学的合理性だけで済まずに社会的な合意を得るのに多大な時間と労力がかかる。日本独特のシステムが却って硬直化した空気を作り、日本人が新しいモノを生み出せないでいる。いま、脱原発が国民的な潮流だが、私はくみしない。むしろそのことを危険と感じている。


書感:

 私は著者が過去このような立ち位置にいたとは知らなかったが、現在も変わらない私の「推進派」としての立場に似ているのは驚きであった。私はエネルギー戦略的に原子力に勝るものは今のところ無い、という立場です。しかし、危険なことには変わりがないので万全を期すべし、です。福島事故後は、何の検証もせずに感情だけで脱原発を首相までもが言い出す国に唖然としていますし、この国の将来を危惧します。最近は「シェールガス」が注目されて来ています。これも踏まえて日本のこれからのエネルギー戦略を立てることが先ず必要なことです。その上でバランスの良い、将来につながる施策を投ずるのが政治の仕事ではないでしょうか。

 日本の原子力技術は世界のトップクラスです。広島、長崎があったので、危険なものを危険と言えずいつの間にか、呪文のごとく唱えて安全神話を作った方も無責任ですが、いまこそ「東京湾内に原発を作ろう」という動きがあっても然るべきです。

(恵比寿っさん 2012年3月16日)

エッセイ 2012年2月分

信じるということ

 大手のビデオレンタル会社から京都に住んでいる長女宛に、なぜか東京の我が家に「重要」と印刷された1枚のハガキが届いた。個人情報保護のシールが張ってある。私はビデオを借りたことがないので何の意味かわからなかったが、家内はピンときたらしく「あら、返してないのね」といい、保証人は私ね、と続けた。我が家のコロンボは、このハガキだけでそこまで推理してみせた。

 差出は京都市上京区、宛先は東京都渋谷区なので、出すほうも少しは推理力を働かせて、まず本人に確認したらと思うが、案の定、4週間ほど延滞しているという「レンタル商品ご返却のお願い」を、50円切手まで張って律義に送り付けてきたのである。

 「お姉ちゃんはだらしないから」「あの子は本当にバカだ」「昔から忘れっぽい子だったよ」…。家族は欠席裁判で一斉に長女を非難した。誰一人、ひょっとして先方の間違いでは?と疑問を持ったのはいなかった。何事も普段が肝心である。

皆で彼女の性格や生活態度をさんざんにこき下ろした後、家内がようやく電話を取り上げ、本人に確かめることにした。「まだ、会社から戻ってないのかしら」。しばらくして、本人から電話がかかってきたが、彼女の弁明はこうである。

確かにDVDソフトは借りたが、機械かソフトの不具合で見られなかったのですぐに返した。その後、店から連絡があって、クリーニングしたのでもう一度確認してほしいといってきた。そこで、また借りて試したが状態は同じだったので返却した。

それがどうしてこんなことになったのか、本人がその店に連絡して問題はすぐに解決した。我が家のコロンボは、「お店の人がそのソフトは不良品として捨てちゃったのに、貸出リストには名前がそのまま残ったのよ」と、誰でも思い付く推理をしたが、本当のところはわからない。

今度は長女が電話口で逆襲してきた。私をそんな人間と思っていたのか、信じられない…。よほど腹に据えかねたのか、ついでに店員が通う大学の名まで出して悪口をいったそうだ。名前を出された大学こそ、とんだとばっちりである。

それはともかく、考えてみれば普段は家族の絆だの、子供を信じなくて何が親だのといっている自分が、いざとなるとこんな程度なのか、情けないやら一瞬でも子供を疑ってしまったという罪悪感で、娘に合わせる顔がなくなったような気がした。

でも、よく考えてみると私たちは、往々にしてこの種のものを当然のように信じがちである。世間を騒がせている振り込め詐欺の被害者を笑うのは簡単だけれど、それだけ身内への思いが深いということか。そんな心情に付け入る犯人こそ、絶対に許せない。自分たちにも同じようにお爺ちゃん、お婆ちゃんがいるだろうに。

本当かどうかわからないが、関西で被害が少ないのは元来がドケチな土地柄だからという。子供を装って電話をしてきても、「そんな銭あらへんで」と一蹴されるそうだ。我が家も、ハガキには騙されても振り込め詐欺には絶対に騙されないという自信はある。そんな金は持ってないからだ。でも、子供の声を十分に聞き分けられる耳は持っている。

(本屋学問 2012年2月21日)

うるう年の語源

2月29日は、4年に一回のうるう年だと思い起こし、更にオリンピックが始まる頃には、今年はうるう年だと思い起こしていました。平年であれば、2月と3月は日にちと曜日が同じですが、閏年は曜日がずれて、ああ今年はうるう年だったという程度の認識でした。

しかし、うるう年の「うるう」という語源が「ほつまつたえ」の中にあることを知ってからは、昔から暦の中で続いていたと思い返すようになりました。

「天照大神」のときから、一年を12カ月の月に見立てて、お妃を12名揃え、月替わりでお世話することになりました。それまでは一夫一婦でしたが、後継ぎがなく代が途絶えてしまいました。そのたため、「とようけの神」が遠い親せきすじであった「いさなぎ」(北陸出身)・「いさなみ」(仙台出身)の二人を結びつけます。

しかもこの「いさなぎ」・「いさなみ」の間に、世継ぎが容易くできたわけでなく、周りも大変な苦労の末、やっとの思いで世継ぎが出来たことを訴えています。その世継ぎが「わかひこ」で、後の「天照神」になります。

ところが、そのうちの一人、南の「すけ妃」の「せおりつ姫」が絶世の美人・聡明であったのでしょう、「天照神」は一人だけ中(宮中)に入れてしまい一緒に暮らすことになりました。

そのため、空白になった南の局「せおりつ姫」の空いた後に、もう一人の妃を補充しました。その13人目の妃となったのが、「かなやまひこ」の娘の「うりふ姫ながこ」と言い、暦の「うりふ月」(閏月)と言うようになったとありました。

ついでですが、この「せおりつ姫」の名前が、「むかつく」という言葉の語源にもなりました。中宮の「せおりつ姫」の別名が「むかつ姫」とも言います。天照神が自ら迎い入れてしまった(自分から向かった)ので付けられた名前です。

天照神の御幸中に、代理として「むかつ姫」が権限をもっていて、ある理由があって「もちこ」「はやこ」という妃に暇をだす(追放)ということをしています。そのためこの二人からは「むかつの奴、殺してやる!」と逆上され、「むかつく」の語源になったようです。この言葉のニュアンスが、今も昔も全く同じで使われていることに驚きます。

もう一つ、「操をたてる」という言葉が出てきます。

この12妃たちについての記述のところで、

 「みなはたおりて みさほたつ」(6綾10)とあります。

12人のお妃は全て機(はた)を織り、操裁つ。すなわち、お妃は機織り機械を操(あやつ)って、天照神の御衣を仕立てました。と言うのが、元々の意味で使われていたのだと分かりました。


(ジョンレノ・ホツマ 2012年2月29日)

「謙譲の美徳」は時代遅れ?

一世を風靡した二人組歌手のピンク・レディー。あの独特の踊りを考案したのは既に亡くなった振り付け師の土居はじめさんだ。彼とは私も何度か酒の席を一緒にしたことがある、というのは余談だが、あの踊りでダイエットができるという女性週刊誌の記事を巡る裁判があった。記事中にピンク・レディーの写真が無断で使われ、パブリシティー権を侵害されたとする訴訟である。結果は、最高裁の判決でピンク・レディー側の敗訴となった。

その「パブリシティー権」なるものについて、日経紙の春秋氏は『少々難しい判決文をかみ砕いて平たくすれば「有名人の名前や写真は、人を引きつけて商売上の利益を生む経済的な力を持つことがある。その力を他人には使わせず、独占する権利」とでもなろうか』と解釈する。

 で、最高裁の判決は、原告側の敗訴となった。有名になればあちこちに名前や写真が出るが、この女性誌記事への掲載写真程度ならばパブリシティー権を振りかざすほどでもないから我慢しろというのが最高裁の判断らしい。

ピンク・レディーの踊りもさることながら、「経済的な力を持つ」観点からすれば、ダイエット効果をもつ土居はじめ氏の振り付けの権利はどうなるのだろうか。こちらも裁判すれば「我慢しろ」ということになりそうだ。

この一件、深刻な問題ではない。深刻なのは現代社会におけるあまりに過剰な自己主張と権利主張である。「恥ずかしいから言うのを我慢しよう」とか「自分のことばかり言うのははしたない」といったレベルの日常的な自己抑制もなく、自己中心の言い分や権利を声高に主張する人間が多くなった。

まだ読んでいないが「自己愛過剰社会」(トウェンギ、キャンベル共著、桃井緑美子訳、河出書房新社)という本では、香山リカ氏(精神科医)の書評によれば、現代はアメリカ型の自己肯定、自己主張社会になり「深かった人間関係は浅いものになり、社会的な信頼関係が崩壊して、特権意識と身勝手さが増大した」と指摘しているという。

香山氏によれば、「謙譲の美徳」がかろうじて生き残っている日本社会なら、まだ間に合うとして、エゴむき出しの“アメリカ病”に陥る前に経営者、政治家から学生まですべての人に読んでもらいたい一冊だとこの本を薦める。

一般的にいえば経営者、政治家は社会的強者であり、学生は強者予備軍だが、問題はこうした層の強者のエゴだけではない。これまでは忍耐強くつつましく生き、大きな声を上げることの少なかった庶民や、国の世話になるような社会的弱者とみられる人々まで、今は声高にエゴ、自己主張、権利主張をするようになった。ここに現代病理の深刻さがある。

冒頭のピンク・レディーの一件に対する最高裁の判決は、従来の日本的な常識に近い“大人の判断”ではないか。日本人が失いつつある「謙虚さ」の再生は、もはや手遅れで不可能なのだろうか。


(山勘 2012年3月7日)

身内にも油断がならない?
 

荒んだニュースばかりの世の中だが、ある日の読売新聞「ぷらざ」欄に向井さち子さん(58)の、ほのぼのとした投書が載っていた。夫は無口で名前を呼ばれたこともないという。夫が書類を書いている時に、妻の名前欄があったのでヨコから「さち子だよ、『さち』はひらがな」と言ったら、「そんなこと知ってるよ」とご主人が答えたという。

ある日、自転車に乗ったご主人が遠くに見えた。さち子さんが大きく手を振ったらライトをピカ、ピカっとつけてご主人が応答してくれた。で、さち子さんは自分の口元がゆるんでいることに気づき、まだ、大好きなんだな、と自分の心に驚いた、というのである。

さち子さんには、無口な夫を話題にして大笑いできる息子と娘もいる。こんな夫婦と家族で歳をとれたら幸せこの上ない話だが、世の中はますます世知辛くなって笑えない親子関係が増えている。

これは私の身近で見聞きした信じられない話である。Aさん夫妻は、Aさんの定年後に古い家を売って新しい土地に、それまで別居していた息子夫婦と孫二人と一緒に住める家を新築した。一年ほどは同居生活が上手くいったが、徐々にAさん夫婦に対する嫁の態度が冷たくなっていった。

その揚げ句、思いもよらない宣告を受けた。嫁さんに「若いうちは私たちだけで暮らしたいから別居してもらいたい」、つまり「出て行ってくれ」と言われたというのである。人の良いAさん夫婦は途方にくれている。

B子さんは、絵描きだった。何年か前に亡くなったご主人はジャーナリストだった。B子さんは主人の残してくれた一軒家で絵描き人生を送っていたが、よそで暮らしていた息子夫婦に、マンションを買って一緒に住もうと誘われ、老後の心細さも手伝ってその気になり、家も売り、有り金をはたいてマンションの頭金を出した。そして同居生活が始まった。

ご多分にもれず最初はよかったが、そのうち嫁にいびられ、それまで百号を超す大作を描いていたB子さんだったが、油絵具が臭いなどといわれて小部屋に閉じこめられ、絵を描くこともままならなくなった。B子さんはついに精神をわずらって入院し、“おこり”のように震えながら亡くなった。

C子さんも、絵描きだった。亡くなった主人が残してくれた小さなアパートの上がりで、暮らしに不足はなかった。一人娘がレストランを経営する男性と結婚した。その住宅兼レストランを改築してC子さんを引き取りたいという娘夫婦の誘いを受けて、C子さんはアパートを処分して改築資金を援助し、娘夫婦との新しい生活を始めた。

ところが数年後に急な病で娘が亡くなった。さらに数年してムコさんが新しいヨメさんを迎えた。居づらくなったC子さんはその家を出た。その後の消息は分からない。

以上の話は正真正銘、本当の話である。歳を重ねるにつれて身の回りでこんな話が多くなった。昨今は、冒頭の向井さち子さんご夫妻のように、昔風に穏やかに暮らすことが難しくなってきたような気がしてならない。年寄りを狙うのはオレオレ詐欺だけではない。身内の親切にもうっかり乗れないとなると情けない世の中になったものだ。


(山勘 2012年3月7日)