第9回「ノホホンの会」報告

2012年2月8日(水)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室)
参加者:六甲颪、狸吉、致智望、山勘、ジョンレノ・ホツマ、恵比寿っさん、本屋学問

 久しぶりにメンバー全員が元気に顔を揃え、普段にも増して活発な議論が復活しました。前回同様、地震は予知できるかが大きな話題になりました。日本の技術開発の国際競争力が国の税制と大きくかかわっていること、技術者の待遇改善や国際的地位の確立、TPP、グローバリゼーションの危うさなど、いつものように議論は広がります。

 東日本大震災、原発事故は、心底から日本人の人生観、世界観を変えました。今回も自然災害、時局、経済関連の書感やエッセイが多く、皆さんの関心の深さがわかります。今こそ明るい未来に向かって、肌理細やかで上質な日本人の心が、技が、遺憾なく発揮されるべきでしょう。また、エッセイ「後世に残したい歌」で紹介された「新いろは歌」はテーマとしても実に新鮮で、まさに本会らしい面目躍如の感がありました。ここに再録します。

鳥なく声す 夢覚ませ 見よ明け渡る 東を 空色映えて 沖津へに 帆船群れいぬ 靄のうち


(今月の書感)
 大陸移動説を採用した造山運動を解説した「山はどうしてできるのか―ダイナミックな地球科学入門」(六甲颪)、今こそ日本人に教えたい「世界から絶賛される日本人」(ジョンレノ・ホツマ)、健康なうちに読んでおきたい「死ぬときに後悔すること25」(恵比寿っさん)、最初から目指したわけではなかった大英帝国の誕生と衰退までを描いた「ヘブンズ・コマンド―大英帝国の興隆」上巻(狸吉)、数多くの著名作家の登竜門になった「赤い鳥」創刊号復刻版(同)。「日本に足りない軍事力」(本屋学問)は、時間切れで次回に紹介します。

(今月のネットエッセイ)
 「後世に残したい歌」(六甲颪)、「有機EL-TVは何故サムスンに先行されたか」(致智望)、「ほつまエッセイ―気象神社」(ジョンレノ・ホツマ)、「『絆』のウラおもて―続」(山勘)、「東日本大震災―巨大地震の原因」(恵比寿っさん)、「駐車監視員制度の愚」(本屋学問)。
しみじみと読み返してください。

(連絡事項)
次回は、2012年3月16日(金)午後3時~、三鷹SOHOパイロットオフィス会議室です。
2月8日の例会で発表後、そこで字句などを訂正した書感、エッセイを添付します。さらに訂正があれば、ご面倒ながら事務局までご連絡ください。それを反映させて、最終的にホームページに掲載します。

(事務局)

書感 2012年2月分
 山はどうしてできるのか/藤岡換太郎(講談社 2012年1月)

 日本は多くの山に囲まれており、山の風景はありふれたものと見られているが、この山々がどのようにして出来、どのよう変化してゆくのかを述べた書籍は意外と少ない。この本の著者は、基本的な山の定義から其の成り立ちの歴史を1合目から順次解説のレベルを上げてゆき、最後の9合目、10合目ではかなり専門的な深みのある解説となり、読む方も息苦しくなる位熱意にあふれている。

 1合目は山の普通見方は地上からのであるが、海から見ればどんなに違ってくるか、陸の平均高さと、海の平均深さは約4000mで海のほうが深いこと。また宇宙からの視点、逆に近接位置からの視点もまた新しい発見がなされる。

2合目は山の高さの議論を進めていて一般には海面からの高さで示すが、地球は完全な球でなく回転楕円体で赤道半径のほうが極半径に比べ20km長い形となっている。従って地球の中心から山の高さを測るとエベレストは31番目と下り、富士山は44番目の高さに昇格する。

3合目、4合目は山の出来る原因の歴史的論争が述べられているが、ウエーゲナーの地動説が出るまで水平運動の地球収縮説や逆の垂直運動論(上下動)が主体であった。1910年という比較的現代に近い時代になってやっと地動説が有力となったが、地球の磁極が南北個別に井戸する原因が不明のため、大陸移動説は学会から消え去ろうとしていた。しかし、デカン高原の動きの研究の結果、逆に大陸移動説以外にありえない事がわかり、造山活動の基本が明らかとなってきた。

5合目では新たにプレートという概念が追加された。1960年代の頃やっと提起されたもので、地殻とマントルからなる岩盤では地震が多発し、ゆっくりと動いていることがわかった。この動き方、硬さ、速さと種類でいろいろな地形や温泉や地震が起こるというのが現在での定説となっている。

6合目では断層から出来た山、大陸が衝突して出来た山等の実例を解説しているし、7合目では実例の多い火山活動による山の出現、特に海底火山の成因が述べられている。8合目、9合目、10合目は、山の構成物質の種類や日本近海の山々の実例に触れている。

最後に、エレベスト山では今後侵食が進み、これ以上高くならないであろうと見られている。山に特化して詳しく研究されていて学ぶところが多かった。

(六甲颪2012131日)
 日本人だけが知らない世界から絶賛される日本人/黄文雄(徳間書店 201112月)

 誉められるとうれしくなるような気分もたまには良いかなと思い、本書をとり上げてみました。

著者が親日家とは知っていましたが、台湾には親日家の方々が多いという背景も改めて認識しました。ほとんど戦後生まれに近い小生にとって、全く知らない方々が多く記載されていました。それもそのはず、ほとんどが戦前の方でした。歴史の重みを痛感しました。さらに言えば、現在の日本人を叱咤激励しているように思えました。

以下に、著者が選んだ絶賛される人々です。

 

1章 世界が憧れ続ける日本人

塙保己一(はなわほきいち)盲目の国学者・ヘレンケラーが人生の目標にした

柴五郎 北京市民に神として敬慕された駐在武官

佐久間勉 欧米の海軍でもっとも尊敬されている潜水艇の艇長

山田虎次郎 トルコのエルトゥールル号遭難義援金を独力で集め届けた

杉原千畝(ちうね)・樋口季一郎 ナチスから追われたユダヤ人を救った日本人たち

第2章 他国の発展に命をかけた日本人

梅屋庄吉 支那革命に命をかけた日本の志士たち

坂西利八郎(ばんざいりはちろう) 中国に近代軍を創設した日本陸士出身の軍人たち

鈴木啓司 ビルマ独立運動を闘った日本人

柳川宗成(むねしげ) インドネシア独立のために戦い死んでいった者たち

梨本宮方子(なしもとのみやまさこ) 韓国の障害児の母となった大和撫子

第3章 技術で世界を幸福にした日本人

浜野弥四郎 毒水蛮雨の島、台湾に上下水道を整備した日本人

八田與一 1930年に世界第3位のダムを建設した技術者

西岡京治 アジアの飢饉を農業で救った日本人たち

台湾を人の住める島に変えた台湾医学界の恩師たち

野口遵(したがう) 朝鮮に巨大な水力発電所をつくった電気化学工業の父

田賀田種太郎 破綻していた朝鮮の金融財政を立て直した大蔵官僚

第4章 前人未到の冒険を成し遂げた日本人

福島安正 ユーラシア大陸1万4千キロを単独走破した情報将校

秘境チベットに潜入を試みた若い求道僧たち

鹿野忠雄 人跡未踏の台湾の山林を探検した博物学者

河原操子 単身モンゴルに渡り女子教育の先駆となった女性教師

支倉常長 1614年日本船で史上初めて太平洋を横断した遣欧使節

第5章 世界の文化に貢献した日本人

西洋の数学を凌駕していた和算愛好家たちの頭脳

400年ぶりに韓国にハングルを復活させた日本人たち

伊沢修二 台湾の民衆を覚醒させたアジア近代教育の父

日本人の殉国の精神を世界に知らしめた神風特攻隊

欧米で爆発的な人気を博した禅の大師

世界の文化を変えた発明者たち

屋井先蔵(乾電池の発明)、高柳健次郎(ブラウン管に映像)、早川徳次郎(シャープペンシル)

安藤百福(インスタントラーメン)、御木本幸吉(真珠の養殖)、杉浦睦夫(胃カメラ)、中村修二(青色発光ダイオード)西澤潤一(光ファイバー)、嶋正利(CPU)、井上祐輔(カラオケ)

上記から、欧米の海軍でもっとも尊敬されている潜水艇の艇長・佐久間勉を選んでみました。

佐久間艇長を含め14名を乗せた潜水艇が訓練中に事故で沈没してしまい、全員が死亡してしまった。欧米で同種の事故があれば我先にハッチに殺到するが、驚くべきハッチ付近には誰一人おらず、全員が自分の持ち場を離れずそのまま息絶えていた。さらに佐久間艇長は遺書を残していた。必死に修理を行なったが浮上出来ず、自分の最後の使命として遺書を書き残すこと、この事故を潜水艇の継続的発展研究の前車の轍として鑑にしたいことが書き記されていた。さらには天皇陛下へのお詫びだけでなく、部下の遺族への援助の依頼なども記していた。遺書は一部の機密事項を除き全文が新聞に掲載され、感銘をもたらした。米、英、独などの国々にも伝えられ大きな驚きで報じられ、以後、各国の海軍士官教育に典範として用いられている。

先般の豪華客船の座礁事故の例は極端であっても、覚悟を決めて乗船していたという当時としてはごく当たり前であったのかもしれないが、感動した次第です。

(ジョンレノ・ほつま 201222日)

死ぬときに後悔すること25/大津秀一(致知出版社 本体1500円)


著者は1976年生まれ。岐阜大学医学部卒業、緩和医療医各種研修の後、日本最年少のホスピス医として京都や東京の病院に勤務し、入院・在宅の両方での終末期医療の実践。著書「死学~安らかな終末を、緩和医療の進め」「余命半年~満ち足りた人生の終わり方」など。

表紙には、1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いたとサブタイトル的に書かれています。



はじめに 「先生は後悔したことがありますか?」と終末期の患者に聞かれ「いつも後悔している」と答えると安心し、落ち着きを取り戻している。思えば、何度も同じ質問を投げかけられた。終末期の患者の身体的な苦痛を取り除けても、その人の心の苦痛を取り除くのは難しい。もはや解決できない、あるいはおそらく解決できないであろう問題が示されると、どうすることも出来ないのである。ただ、裸の人間として話を聞くしかない。

患者の後悔が、その人の人生で解決していない問題に由来していると、それを取り除くのは難しい。人間は後悔と不可分の生き物で、患者は程度の差こそあれ後悔をしていた。明日死ぬかと思って生きてきた人間は、後悔が少ない。1日1日最善を尽くしてきたからである。「思い残すことはない」と言って死んだ人は、早くから後悔を残さないように準備してきたように思える。後悔の内容も、それほど多様性はない。私は代表的な悩み25を紹介する。

これらを早めに遂行することで、後悔が少ない人生が用意されるであろう。

第1章  健康・医療編

1.健康を大切にしなかったこと 健康なうちから健康を大切にする 病気になってから金を使うかなる前に使うか
2.たばこを止めなかったこと ガンばかりでない喫煙のリスク

3.生前の意思を示せなかったこと 家族の意思との違い 平素からの意思疎通 遠慮のない話し合い


第2章 心理編

1.自分のやりたいことをやらなかったこと 自分の気持ちに嘘を付かない 自由に生きるか忍従に生きるか

2.夢をかなえられなかったこと 1つの事を続けると良い事がある 人が人であるように生きる

3.悪事に手を染めたこと 度を過ぎる罪悪感は自らを損なう 死を迎える犯罪者の苦しみ4.感情に振り回された一生を過ごしたこと 平静な心と忍耐の限界 小事に心を揺るがせない

5.他人に優しくなかったこと 優しさを行う難しさ 心の優しい人は後悔が少ない

6.自分が一番と信じて疑わなかったこと 耳順の難しさ(孔子でも60歳) 良心的な医者はセカンドオピニオンをすすめる 一歩引いて物事を考える

第3章 社会・生活編

1.遺産をどうするか決めなかったこと 遺産と介護の問題 分与の話は元気なうちに

2.自分の葬儀を考えなかったこと 自分の望む葬式とは 自分の葬儀を準備した女性

3.故郷に帰らなかったこと 死期が迫ると人は過去へと戻ってゆく 断ち切れない故郷への思い 余命数週間の女性の奇跡的な旅路 故郷の病院への転院で幸せな最期を迎えた女性

4.美味しいものを食べておかなかったこと 食べたくても食べられない現実 本当に欲しいものを望んだときに 味気ない栄養食 好きなものを楽しく食べる

5.仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと 「仕事命」の人生を後悔しないために 病気をきっかけに散歩の喜びを知る 粘土細工に家族への思いを込めた女性
6.行きたい場所に旅行しなかったこと 旅行は出来るうちにしとくほうが良い 最後の旅で人生を完結させた人たち

第4章 人間編

1.会いたい人に会っておかなかったこと 人は終わりまで他者を求める 人との出会いは一期一会の精神で

2.記憶に残る恋愛をしておかなかったこと 恋愛の記憶は最後の日々を豊穣にする スローラブのすすめ 良い恋愛は死出への道を照らす

3.結婚をしなかったこと 結婚と言う「形」がもたらす安心感 夫婦の強い結びつきが苦しみを和らげる

4.子供を育てなかったこと 多くの家族に囲まれた患者には笑顔が多い 自由と孤独はいつも隣り合わせ 血縁の強さを実感したある出来事(母娘を残して出奔した男の終末期):家族であるがゆえに許せる

5.子供を結婚させなかったこと 子供が結婚していないと言う心残り 結婚を勧めない親の身勝手 まず子供をひとり立ちさせる

第5章 宗教・哲学編

1.自分の生きた証を残さなかったこと 人生の総括は早めにしておく 生きた証に何を残すか 手紙に思いを残して 自らの生きた証がの人に力を与える

2.生と死の問題を乗り越えられなかったこと 生の意味、死の意味を考える マイ哲学を確立する

3.神仏の教えを知らなかったこと 世界で一番死を恐れる日本人 「来世」のもつ癒しの力 天国どろぼう 健康なうちに宗教について考える


第6章 最終編

1.愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと 家族愛が問われる時代

書感:高齢者の一人として冷やかし半分で手に取ったのですが、いま自分がやらなければならないことがたくさんあるように思えて来たのには驚きました。自分の人生ですから大切にしたい、と言うのが実感です。

(恵比寿っさん 2012年1月3日)


山はどうしてできるのか/藤岡換太郎(講談社 2012年1月)


 日本は多くの山に囲まれており、山の風景はありふれたものと見られているが、この山々がどのようにして出来、どのよう変化してゆくのかを述べた書籍は意外と少ない。この本の著者は、基本的な山の定義から其の成り立ちの歴史を1合目から順次解説のレベルを上げてゆき、最後の9合目、10合目ではかなり専門的な深みのある解説となり、読む方も息苦しくなる位熱意にあふれている。

 1合目は山の普通見方は地上からのであるが、海から見ればどんなに違ってくるか、陸の平均高さと、海の平均深さは約4000mで海のほうが深いこと。また宇宙からの視点、逆に近接位置からの視点もまた新しい発見がなされる。

2合目は山の高さの議論を進めていて一般には海面からの高さで示すが、地球は完全な球でなく回転楕円体で赤道半径のほうが極半径に比べ20km長い形となっている。従って地球の中心から山の高さを測るとエベレストは31番目と下り、富士山は44番目の高さに昇格する。

3合目、4合目は山の出来る原因の歴史的論争が述べられているが、ウエーゲナーの地動説が出るまで水平運動の地球収縮説や逆の垂直運動論(上下動)が主体であった。1910年という比較的現代に近い時代になってやっと地動説が有力となったが、地球の磁極が南北個別に井戸する原因が不明のため、大陸移動説は学会から消え去ろうとしていた。しかし、デカン高原の動きの研究の結果、逆に大陸移動説以外にありえない事がわかり、造山活動の基本が明らかとなってきた。

5合目では新たにプレートという概念が追加された。1960年代の頃やっと提起されたもので、地殻とマントルからなる岩盤では地震が多発し、ゆっくりと動いていることがわかった。この動き方、硬さ、速さと種類でいろいろな地形や温泉や地震が起こるというのが現在での定説となっている。

6合目では断層から出来た山、大陸が衝突して出来た山等の実例を解説しているし、7合目では実例の多い火山活動による山の出現、特に海底火山の成因が述べられている。8合目、9合目、10合目は、山の構成物質の種類や日本近海の山々の実例に触れている。

最後に、エレベスト山では今後侵食が進み、これ以上高くならないであろうと見られている。山に特化して詳しく研究されていて学ぶところが多かった。


(六甲颪2012年1月31日)

 日本に足りない軍事力/江畑謙介(青春出版社 2008年9月 本体860円)


 著者は、長くイギリスの防衛専門誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウイークリー」通信員として、また軍事技術専門家としてしばしばマスコミに登場し、的確な軍事評論で定評があったが、2010年に60歳で亡くなった。題名はキナ臭いが、決して日本の軍備増強を主張する本ではない。核武装も戦略兵器構想も明確に否定し、「予想される脅威に備える」という国家の安全保障上、最大の義務について世界と日本の軍事力を冷静に分析し、国防とは、兵器とは何かを数多くの例を挙げながら現実的に論じている。

日本は、防衛費の目安をGDPの1%としてきた。年間約4兆1000億円、アメリカ軍の駐留関連経費を含めると約4兆8000億円が、いわゆる軍事費として使われている。この額は、アメリカの約53兆7500億円を筆頭に、中国の約8兆8000億円、ロシア、イギリス、フランスに続き、世界で6番目に多い。以前、中国が日本の防衛予算増額を「軍事大国化」と非難したことがあったが、経済力の大きさや人口、海洋国家ゆえの広大な海上防衛を考えれば、過大かどうかは一概にいえない。しかし、これだけの投資が果たして日本の防衛体力維持に、本当に効果を上げているのかというのが本書の論点である。

そこで、①弾道・巡航ミサイル防衛、②長距離攻撃能力、③空対地精密攻撃能力、④パワープロジェクション(軍事力投入)能力、⑤宇宙戦・サイバー戦という、現代のハイテク戦争を想定した日本の防衛能力について、世界の軍事環境とあまりにかけ離れた国家施策の浮世離れぶりを著者は指摘する。

高価な大型輸送艦を建造しながら、政治的配慮から大型ヘリを艦内に入れるスペースをつくらず、収容時は分解しなければならないという非効率さ、同じく航続距離を意識的に短く設計した輸送機や哨戒機の開発、国産技術を育成せず高価な外国製戦闘機を安易に調達する無策、陸上と海上、あるいは航空との連携を考慮しない装備や作戦計画、独自の偵察網を持たない偵察機購入プランなど、実は日本の防衛体制の内情はきわめて脆弱だという。

一方で、日本は大型人工衛星を打ち上げるロケットを各種持ち、IRBMやICBM、巡航ミサイルに転用可能な基本技術を保有しているといわれる。また、世界第一級のハイテク飛行艇技術もある。しかし、日本の防衛装備品は原則的に防衛省調達以外になく、量産できないので高価になる。まさに“ガラパゴス化”で、それらのことが武器輸出禁止緩和への動きになっている。

世界の軍事事情と合致しない日本の防衛政策は、世界に対する役割、義務の回避と著者は主張するが、それはともかく、単純に「武力は悪だ」「軍事力はなくすべきだ」という概念や独自の価値観だけから、国家の方策を決めるべきではない。また、敵のミサイルに対する先制攻撃論も、技術的に相当難しい現実を知らなければ、保有すべきかどうかの議論にもならないと本書はいう。

防衛力とは、たとえば生物兵器、毒ガス兵器は保有しないが、それに備える技術は持つという矛盾を抱えながら、国家規模に見合った毅然とした存在感を示すものだ。日本の自衛隊は、組織的にも装備的にも世界の評価は高いといわれているが、投資対効果を最大限に発揮するためにも、その防衛政策と防衛費用の内訳は、もう一度詳細に“仕分け”されるべきではないか。国家の危機管理という観点からは、はからずも福島原発事故後の政府や東電の対応への検証としても十分に説得性を持っている。


(本屋学問 2012年2月1日)

 ヘブンズ・コマンド―大英帝国の興隆/ジャン・モリス著・椋田直子訳(講談社 2008年 上巻2,200円)

 欧米で人気の歴史紀行作家による大英帝国の始まりの物語。続く「パックス・ブリタニカ」、「帝国の落日」と併せ、全6冊の3部作(各部上下巻)を構成する。

 上巻は9章からなり、各章に「素敵な思いつき」、「神の御業」など興味を引きそうな表題が付けられ、さらに各章の始めのページに節ごとの中身を示す表題がまとめて並んでいる。一つの節を読み終わると、すぐ次の表題に引かれて読み始めてしまう。上巻だけで420ページもあるが、いくつもの小冊子を次々と手にとる感じで、気がつくと終わりまで到着している。


 物語は1837年インド総督の旅の情景描写から始まる。それから次々と場面が変わり、当時の情景や事件、社会情勢の描写が続く。1830年代の英国は産業革命の入り口に立ち、東インド会社はすでに200年もインドを統治し、その他世界各地に領土を有していたが、組織化された帝国の建設には興味が無かった。しかし、その後原住民の反乱、植民地の独立志向、蒸気機関による移動速度の向上などの要因が絡み合い、次第に帝国化への道を辿った。上巻はこの時代海外で成功した英国人の優雅な生活の描写で終わっている。


 本書の場面描写は生き生きと色彩豊かでまるで映画を見ているようだ。読者はシーンが切り替わるごとに、インド、カナダ、アラスカ、地中海と連れ回される。そして人々の優雅な暮らしだけでなく、当時の貧困、飢餓、殺人、不潔などのぞっとする光景も見せられる。



 中でも忘れられないのは、19世紀半ば、じゃがいもの凶作に苦しむアイルランド農民の惨状。高校時代、「このため多くのアイルランド人が北米に移住した」と簡単に教わったが、この本に捕まるとそんな生易しい記述で通過させてはくれぬ。「まだ生きている男が、死んだ妻と死んだ子どもふたりを抱えてベッドに横たわり、そばでは猫が三人目の子どもの死体を食べていた」と、悪夢の映像を読者の脳裏に刻み込むのだ。「セポイの反乱」の無残な処刑、「悪魔的な宗教団体サグ」の殺人儀式も、ぞっとする描写で場面が忘れられない。

まるで著者と共に時空を飛び回り現場に居合わせているようだ。


 まだ上巻を読了した段階だが、本シリーズの魅力にすっかり捕まってしまった。流れるような日本語にしてくださった翻訳者の努力に感謝したい。早く残りを読みたいと思う。

(狸吉 2012年2月6日)

 日本人だけが知らない世界から絶賛される日本人/黄文雄(徳間書店 2011年12月)


 誉められるとうれしくなるような気分もたまには良いかなと思い、本書をとり上げてみました。

著者が親日家とは知っていましたが、台湾には親日家の方々が多いという背景も改めて認識しました。ほとんど戦後生まれに近い小生にとって、全く知らない方々が多く記載されていました。それもそのはず、ほとんどが戦前の方でした。歴史の重みを痛感しました。さらに言えば、現在の日本人を叱咤激励しているように思えました。

以下に、著者が選んだ絶賛される人々です。


第1章 世界が憧れ続ける日本人

塙保己一(はなわほきいち)盲目の国学者・ヘレンケラーが人生の目標にした

柴五郎 北京市民に神として敬慕された駐在武官

佐久間勉 欧米の海軍でもっとも尊敬されている潜水艇の艇長

山田虎次郎 トルコのエルトゥールル号遭難義援金を独力で集め届けた

杉原千畝(ちうね)・樋口季一郎 ナチスから追われたユダヤ人を救った日本人たち

第2章 他国の発展に命をかけた日本人

梅屋庄吉 支那革命に命をかけた日本の志士たち

坂西利八郎(ばんざいりはちろう) 中国に近代軍を創設した日本陸士出身の軍人たち

鈴木啓司 ビルマ独立運動を闘った日本人

柳川宗成(むねしげ) インドネシア独立のために戦い死んでいった者たち

梨本宮方子(なしもとのみやまさこ) 韓国の障害児の母となった大和撫子

第3章 技術で世界を幸福にした日本人

浜野弥四郎 毒水蛮雨の島、台湾に上下水道を整備した日本人

八田與一 1930年に世界第3位のダムを建設した技術者

西岡京治 アジアの飢饉を農業で救った日本人たち

台湾を人の住める島に変えた台湾医学界の恩師たち

野口遵(したがう) 朝鮮に巨大な水力発電所をつくった電気化学工業の父

田賀田種太郎 破綻していた朝鮮の金融財政を立て直した大蔵官僚

第4章 前人未到の冒険を成し遂げた日本人

福島安正 ユーラシア大陸1万4千キロを単独走破した情報将校

秘境チベットに潜入を試みた若い求道僧たち

鹿野忠雄 人跡未踏の台湾の山林を探検した博物学者

河原操子 単身モンゴルに渡り女子教育の先駆となった女性教師

支倉常長 1614年日本船で史上初めて太平洋を横断した遣欧使節

第5章 世界の文化に貢献した日本人

西洋の数学を凌駕していた和算愛好家たちの頭脳

400年ぶりに韓国にハングルを復活させた日本人たち

伊沢修二 台湾の民衆を覚醒させたアジア近代教育の父

日本人の殉国の精神を世界に知らしめた神風特攻隊

欧米で爆発的な人気を博した禅の大師

世界の文化を変えた発明者たち

屋井先蔵(乾電池の発明)、高柳健次郎(ブラウン管に映像)、早川徳次郎(シャープペンシル)

安藤百福(インスタントラーメン)、御木本幸吉(真珠の養殖)、杉浦睦夫(胃カメラ)、中村修二(青色発光ダイオード)西澤潤一(光ファイバー)、嶋正利(CPU)、井上祐輔(カラオケ)

 上記から、欧米の海軍でもっとも尊敬されている潜水艇の艇長・佐久間勉を選んでみました。

佐久間艇長を含め14名を乗せた潜水艇が訓練中に事故で沈没してしまい、全員が死亡してしまった。欧米で同種の事故があれば我先にハッチに殺到するが、驚くべきハッチ付近には誰一人おらず、全員が自分の持ち場を離れずそのまま息絶えていた。さらに佐久間艇長は遺書を残していた。必死に修理を行なったが浮上出来ず、自分の最後の使命として遺書を書き残すこと、この事故を潜水艇の継続的発展研究の前車の轍として鑑にしたいことが書き記されていた。さらには天皇陛下へのお詫びだけでなく、部下の遺族への援助の依頼なども記していた。遺書は一部の機密事項を除き全文が新聞に掲載され、感銘をもたらした。米、英、独などの国々にも伝えられ大きな驚きで報じられ、以後、各国の海軍士官教育に典範として用いられている。

先般の豪華客船の座礁事故の例は極端であっても、覚悟を決めて乗船していたという当時としてはごく当たり前であったのかもしれないが、感動した次第です。

(ジョンレノ・ほつま 2012年2月2日)

ヘブンズ・コマンド―大英帝国の興隆/ジャン・モリス著・椋田直子訳(講談社 2008年 上巻2,200円)

 欧米で人気の歴史紀行作家による大英帝国の始まりの物語。続く「パックス・ブリタニカ」、「帝国の落日」と併せ、全6冊の3部作(各部上下巻)を構成する。

 上巻は9章からなり、各章に「素敵な思いつき」、「神の御業」など興味を引きそうな表題が付けられ、さらに各章の始めのページに節ごとの中身を示す表題がまとめて並んでいる。一つの節を読み終わると、すぐ次の表題に引かれて読み始めてしまう。上巻だけで420ページもあるが、いくつもの小冊子を次々と手にとる感じで、気がつくと終わりまで到着している。


 物語は1837年インド総督の旅の情景描写から始まる。それから次々と場面が変わり、当時の情景や事件、社会情勢の描写が続く。1830年代の英国は産業革命の入り口に立ち、東インド会社はすでに200年もインドを統治し、その他世界各地に領土を有していたが、組織化された帝国の建設には興味が無かった。しかし、その後原住民の反乱、植民地の独立志向、蒸気機関による移動速度の向上などの要因が絡み合い、次第に帝国化への道を辿った。上巻はこの時代海外で成功した英国人の優雅な生活の描写で終わっている。


 本書の場面描写は生き生きと色彩豊かでまるで映画を見ているようだ。読者はシーンが切り替わるごとに、インド、カナダ、アラスカ、地中海と連れ回される。そして人々の優雅な暮らしだけでなく、当時の貧困、飢餓、殺人、不潔などのぞっとする光景も見せられる。



 中でも忘れられないのは、19世紀半ば、じゃがいもの凶作に苦しむアイルランド農民の惨状。高校時代、「このため多くのアイルランド人が北米に移住した」と簡単に教わったが、この本に捕まるとそんな生易しい記述で通過させてはくれぬ。「まだ生きている男が、死んだ妻と死んだ子どもふたりを抱えてベッドに横たわり、そばでは猫が三人目の子どもの死体を食べていた」と、悪夢の映像を読者の脳裏に刻み込むのだ。「セポイの反乱」の無残な処刑、「悪魔的な宗教団体サグ」の殺人儀式も、ぞっとする描写で場面が忘れられない。

まるで著者と共に時空を飛び回り現場に居合わせているようだ。


 まだ上巻を読了した段階だが、本シリーズの魅力にすっかり捕まってしまった。流れるような日本語にしてくださった翻訳者の努力に感謝したい。早く残りを読みたいと思う。

(狸吉 2012年2月6日)


赤い鳥」創刊号(昭和52年復刻版)

 文学史上たびたび言及される「赤い鳥」創刊号の復刻版を入手した。よく知られているように、本誌は夏目漱石門下の鈴木三重吉が、当時の文壇作家たちの協力を得て大正7年に創刊した児童雑誌である。赤い鳥運動に賛同した作家リストには、泉鏡花、小山内薫、徳田秋声、高浜虚子、野上豊一郎、野上弥生子、小宮豊隆、有島生馬、芥川竜之介、北原白秋、島崎藤村、森森太郎、森田草平など、わが国近代文学史上の有名作家たちが並んでいる。


 表紙を開くと、まず赤い鳥運動の格調高いモットーが目に飛び込む。「現在世間に流行している子供の読物の最も多くは、その俗悪な表紙が…」に始まり、「…子供の純正を保全開発するために、現代第一流の芸術家の真摯なる努力を集め、兼ねて、若き子供のための創作家の出現を向ふる、一大区画的運動の先駆である」と高らかに謳っている。


 ページをめくれば芥川龍之介の創作童話「蜘蛛の糸」、今日でもよく知られた名作が掲載されている。その他、島崎藤村の童話や北原白秋の童謡など、当時の有名作家が子供のために作品を書き下ろしている。



 大正時代の人々の高い志とその時代の空気に感銘を受けた。平成の今日、このような運動に身を挺する芸術家はいるだろうか?仮にいても、残念ながらドンキホーテと見なされるのが落ちだろう。復刻版とはいえ、この史上名高い雑誌に触れることができたのは有難い。


(狸吉 2012年2月7日)


エッセイ 2012年2月分

「絆」のウラおもて-続


 子供の頃、といっても自我の芽生える10代の頃、親がいなかったらどんなに自由だろうとか、親兄弟のしがらみにとらわれない自由、天涯孤独の自由などを夢見たことがあるという人は案外多いのではないか。少なくとも私はそうだった。

 子供のころは親の拘束や圧迫感からの逃避願望、長じては人間関係のしがらみや桎梏からの逃避願望がある。たとえば社会からのドロップアウトと見なされる路上生活者などの中にも、そういう思いでそういう道をたどった人もいるのではないか。

 えてして親は子を束縛し子は親に反発するものだが、もがいても憎んでも断ち切れないのが親子の絆である。歳を重ねて「孝行をしたい時には親は無し」となってようやく親の心情を思ったりするほどに、人間の心底に深く沈殿しているのが「絆」ではなかろうか。

 日本語大辞典(講談社)では、絆とは ①動物をつなぐつな。②肉親間などの、絶ちがたいつながり。深い関係。ほだし。とある。ところが「ほだし」で引くと①馬を歩けなくするために、足にかける縄。②手かせ、足かせ。③拘束すること。人情でからむこと・もの。となってマイナス面が強調される。動物をつなぎとめる綱といった非情な意味が強くなり、情に「ほだされる」などといったウエットな「滋味」が薄くなる。

 例解古語辞典(三省堂)では、絆について《動物をつなぎとめる「綱」の意から》①離れがたいつながり、②絶ちがたい愛情、とした上で、[用例]として、①「父の鎧の袖・草摺りに取り付き(中略)慕い泣き給うにぞ、憂き世の絆とおぼえて」【平家七・維盛都落ち】、②「名告(の)らで過ぎし心こそなかなか(=カエッテ)親の絆なれ」【謡曲・景清】と、いずれも古今に変わることのない、絶ちがたい親子の情愛を挙げる。

 こんな「絆」だが、英約すると「ties」もしくは「bond」となるようだ。これでは実に欧米風の、人間関係におけるただの「つながり」や「結びつき」で、日本の精神風土に根ざした絆の持つ深みに欠ける。大げさに言えば「きずな」は日本文化の特質でもある。そうだとすれば英訳せずに「きずな」で理解してもらうべき言葉であろう。

 ところがいま、問題は自己中心の若者をはじめ日本人の間で急速に「絆」が失われていることだ。「絆」には、煩雑な「付き合い」とか「腐れ縁」のような負の側面もあるが、根底には「感謝」「報恩」「思いやり」などの精神がある。そこから生まれる人間の紐帯が「絆」のはすだ。その精神作用が弱くなると、「絆」は限りなく「ties」もしくは「bond」のワールドに接近していく。

 昨年末から今年のはじめに大はやりした軽薄な「絆」連呼に、にがにがしい思いをした人も少なくないと思うが、いま改めて日本人の精神の深みに沈潜する「絆」の意味を問い直すべき時ではないか。

(山勘 2012年1月25日)

東日本震災巨大津波の原因

 昨年3月11日の東日本震災で起きた津波は、地震が発生してもこんな津波にはならないと予測されていたそうです。大地震は海底よりもずっと深い、即ちプレートの競り合っているV字点ではなく、もっと奥の方で起こるものであるので、たとえ大地震になっても、(それが海水の突発的動きへ与える影響は少ないので)大きな津波にはならないと地震学者は考えていたそうです。それで、「想定外」なんて言葉が出ているのかと思うと、何とも釈然としません。

何故かと言うと、私はV字点での突然の界面移動が津波を起こすと(素人考えで)思い込んでいたからです。震源地が内陸にある場合は津波が起こらない、という考えは今でも変わらないですが。

専門家は、境界面の浅いところ(即ちV字の底点)では、温度の条件(*1)などからプレート同士は固着せず(歪は大きく残らないから)大地震の源にはならない、と考えていたそうです。専門家が考えていたのは、プレートの岩盤がくっつきやすい深いところにある固着域なのだそうです。もしそうだとしたら、津波そのものが小さなもので終わり、今回とかスマトラ沖などでも大きな津波は起こらなかった筈です!!

そして、今回の震源はV地点に近いので、専門家としては新たな謎が残った、と言うことのようです。浅い場所でも「プレートは固着するのか?」という疑問のようですが、これっておかしいように思います。

だって、たとえV字点よりも奥の方で界面が動いたとしても、その影響がV字点に及ばないと言うことはない筈だからです。素人考えの方がより素直で、現実に合っていると手前味噌なことを考えてしまいます。

専門家は、過去の観測データから「深いところで長期間ズレが生じていないと言う場所が見つかっていて、そこが震源になる」と予測していたそうです。

今回の地震の結果、「かいれい」の観測によれば、V字点は宮城県沖の日本海溝(水深≒7400m)で東南東方向に≒50m移動し、更に≒10m盛り上がっていたそうです。即ち、北米プレートの先端部が太平洋プレートの上を≒50mスリップしたと言うことです。プレートテクトニクスを単純に考えれば、固着域もなにも考えずに、界面のV字点では地震によってズレが生じるという素人的考えが何故専門家には理解できないのか、不思議です。

勿論、界面の奥の方で起こる地震(界面のズレ)も起こるでしょうが、一度にすべての界面のずれが起こると言うことは考えられないので、部分的にズレは起こる。だから内部でも起こるでしょうし、V字点でも起こると考えるのが自然だと思います。

どうも専門家の考えることは素人離れしていて、現実の事象を十分に捉えていないような気までして来ました。


*1:プレート深部の温度の高いところでは、プレート(岩石)は柔らかくなり滑りやすく、V字点は水温なので温度は低く、岩石は硬くズレは一気に起こるように思います。

(恵比寿っさん 2012年1月30日)

有機EL-TVは何故サムソンに先行されたか

毎年の年初に、ラスベガスにてCES(コンシューマー・エレクトロニックス・ショーの略)が行われている。このショーは、これからの家電商品の動向を示す有力なショーとして注目されている。

今年の話題の中心は、韓国サムソンの有機EL-TVで、来年には発売すると言って、話題をさらっていたとのことである。市場では、サムソンによって有機EL-TVの分野で先を越されたと言っているが、世界で始めて商品化に成功したのは、日本のソニーである。しかし、その商品は小型であり、しかも高価であったために売れなかったし、その他の事情で生産中止され、今では業務用のディスプレーとして販売され、コンシューマー用のものでは無い。コンシューマー用としての商品化の難しい技術にも関らず、韓国サムソンはそれに成功し来年には発売すると言っている。

私は、この分野で日本が負けたと言う結論は、時期尚早とみるべきと思っている。そもそも、販売促進を目的としたCESのような大きなショーには、チャンピオンを以って展示すると言うのが慣例である。韓国サムソンもそうだと言い切れるわけでは無いが、そう言うことも考えられると言うのが一つの見方である。一方、業界の噂を聞いてみると、可なりの確率で成功しているとも言われている。

この技術の商品化には、膨大な設備投資が必要である。対する、日本の設備メーカーは、煮え切らない日本のセットメーカーを相手にせず、もっぱら、カネ払いの良い韓国詣でとなるのは自然の理、材料メーカーも全く同じ情況との事である。膨大な設備投資は、企業にとっては益金勘定となり、法人税の高い日本企業には動けない。どうやら、技術のノーハウは垂れ流しの情況との事である。

ひと時、企業減税の重要性が言われた事があったが、企業優遇などと言いつつ実現しなかった。企業を虐めて仕事が増えたり、失業者が減ったりする事などありえないのだが、税制論議の度に弱者への配慮などと言うピント外れの議論によって、消費税を始めとして、増税案は進まない。増税政策と弱者への施策を別に行えば良いと思うのであるが、如何した物か。知名度の無い落選しそうな議員、主義主張は同じなのに政権奪還しか目標の無い党首の声が大きいのに気になる。

この論議をここで論じるのは目的で無い。要は、技術立国、物作り立国の基本が崩れようとしている事を憂いている。

(致智望 2012年2月2日)

後世に残したい歌


 日本語の文字数は幾つあってどうやって記憶したか英語の場合はABCDEFG…、とそのまま丸暗記させられたが、日本には1000年も前から「いろは歌」言うのがあり、いろはにほえど ちりぬるを わがよたれそ つねならむ ういのおくやまけふこえて あさきゆめみし えひもせす

と見事に「ん」を除く47文字を重複なく全部使っているだけでなく、仏教的色彩のある無常観が読み込まれている。

これは弘法大師が作ったものとされ、約1000年にわたって辞書の索引順とか名簿の順等に使われていたし、これと並ぶ作品はあらわれなかった。

明治になって「萬朝報」という新聞社が、「新いろは」歌として明治36年一般公募したところ、この難問を見事突破して新しいいろは歌が選ばれた。1等の作者は埼玉の坂本百太郎という人で、見事に47文字も「ん」も読み込んでおり、歌詞の内容も朝の情景を巧みに表現している優れたものである。

その歌詞は


 鳥なく声す 夢覚ませ 見よ明け渡る 東(ひんがし)を 空色映えて

 沖津へに 帆船群れいぬ 靄のうち

 

となっているが、昭和になって「いろは歌」順からアイウエオ順に変わって関心が薄くなって来たので、折角の名歌「鳥なく声す」も知る人が少なくなってきた。そこで、この歌を後世に残したく、あえて取り上げた。せめて「ノホホン会」に記録として残したい。写真は、この歌の話をしたら、ある書家が感動して書いてくれたものである。

明治でも日本には、坂本さんのような独創者がいることを頼もしく思った。


参考文献:「企業文化の創造」杉山 卓著 1989年10月 ダイヤモンド社


(六甲颪 2012年2月4日)


駐車監視員制度の愚


 車を運転する人にとって最大の悩みは、目的地に着いて車をどこに止めようかということである。駐車場があればいいが、ちょっと駐車するだけで料金を払うのはもったいないし、わずかな時間のために遠く離れた駐車場まで行く気もしない。そこで、つい路上に車を止めるとすぐにやってくるのが、あの2人組の駐車監視員である。

 彼らは警察から業務委託される民間法人で「見なし公務員」と呼ばれ、逆らえば公務執行妨害罪も適用されるという。しかし、誤解を恐れずにいえば、あの人たちは少しおかしい。宅配便が配達のたびに車を止めても、訪問介護の車が駐車しているわずかな時間でも、弁当屋がビルの高層階まで配達している最中も、彼らは容赦なく証拠写真を撮影し、記録する。いってみれば、権威を笠に着て営業妨害をしているのである。

都心の繁華街の道路脇には、「荷捌(にさばき)場」と名付けられた駐車スペースがある。文字通り、運送トラックなどが荷物の積み下ろしをするための場所だ。これ自体はいいアイデアだが、そこはいつも関係のない一般車両に占領されていて、肝心の荷捌きができないと運転手はこぼす。でも、そんなところに監視員の姿はない。菽麦(しゅくばく)を弁ぜぬほど、彼らは愚かだからである。

一体、誰がこんな制度を考えたのか。それより問題なのは、監視員の報酬や駐車違反金の多くが、警察や警察OBの天下り先である警備会社、コインパーキング経営会社の重要な収入源になっているのではないかといわれることだ。そこで、収入アップのために先のような常軌を逸した取締りをしがちになるという。年度末になると、成果を上げるために白バイやパトカーがやたらと違反を摘発したという話とどこかよく似ている。

 違法駐車は渋滞の原因になり、交通事故を誘発して危険だという。2重、3重駐車が当たり前の大阪ではさすがに渋滞緩和の効果があったらしいが、路肩に車が止まっていても道路が広ければ、毎日車を運転する者にとってはそんなに気にならない。路上駐車してもしなくても、渋滞するときは渋滞する。事故も起こる。極端な迷惑駐車でもない限り、お互い様と思うのがドライバーの人情である。

 ずいぶん昔のことだが、日比谷のプレスセンターの前に2重駐車していた飲料配達の車に向かって、婦人警官が3人も乗ったミニパトの拡声器が「ここは駐車できないから、すぐに移動しなさい」とヒステリックに叫んでいた。おそらく、近くの自動販売機までたくさんの商品を運んでいっているのだろう。運転手の姿は見えない。

できるだけ販売機に近い場所まで車を寄せたいけれど、黒塗りの高級車がびっしりと駐車していて、そんなスペースはない。道路は何車線もあって、交通を邪魔するようなことはない。どうせ数分のことなので、仕方なく黒塗りの脇に2重停車しただけだ。その場所に駐車するのが問題なら、まずズラリと並んだ黒塗りの車に警告すべきだ。

“強きを助け、弱きをくじく”を常とする人たちには、公僕の本当の意味がわかっていない。だから、そんな想像力の乏しい、惻隠の情を微塵も持たない彼らに権威を持たせてはいけない。社会正義の番人をさせてはいけない。無能な人になまじ権力を持たせるとロクなことにならないことは、今度の政権交代で身に沁みてわかったことである。どうかこの愚にもつかない制度は、次の政権交代でぜひ廃止してほしい。

(本屋学問 2012年2月7日)